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産み逃げ11  作者: あまちひさし
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悪貨と良菓

 私が子供の頃、『貧困』とは東南アジアやアフリカの枕詞であり、当地の寒村やスラムを語るためにある専門用語のようなものでした。だから、まさかそのことばが日本の社会に用いられる時代が来るとは想像もしないことでした。

 気づくと今や子供6人に一人、母子家庭の半数が貧困と言われる世の中になっていました。

 田野倉奈々恵さん、28歳は働きながら2歳の娘を育てている、いわゆるシングルマザーでした。

 シングルマザー。

 甘い将来を夢見て疑わない年齢だった頃の私は、使われ始めたこのことばに対して一種の蔑みを抱いていました。本来あるはずの後ろめたさや悲哀を横文字にすることで煙に巻き、あたかも新しい生き方を選んだ女性か何かのように持ち上げる言い換えにアレルギーを感じていたのです。

 でも新しいタイプの人物設定を喜んで取り入れるテレビドラマに感化され、病院事務という女性の職場で身近に同じ境遇の女性が珍しくなくなり、何より未収金担当という現在の職務を通じて、シングルマザーと呼ばれる人たちが単に辛抱が足りなくて離婚した人(も少なくないとは思いますが)ばかりでなく、止むを得ない事情でそうなった場合も多いことにようやく理解が及んだのでした。

 そして甘い将来を夢見て疑わなかった私は、いまや単なるシングルです。笑止でした。人を蔑むとは愚かなことです。

 愚にもつかない前置きが長くなりましたが、田野倉さんも何らかの事情を抱えて、子供の父親と別れて生きる道を選ばざるを得なかった女性の一人でした。

 でもこの人は『産み逃げ』せずに真面目に働き、貧しいながらも愛情と責任を持って幼い娘を育てていました。古着と分かる赤い子供服を着てはにかむ穢れのない笑顔を見れば、それが分かります。私は私の立場でこの母娘を支えて上げたいと思っていました。

 さて田野倉さんも病院に来る以上は病を抱えた人であり、私が関わる以上は支払いに困難を抱えた人でした。

 それは他でもない出産費の未払いでした。そうです。母親と並んで子供らしい加減のない笑みを湛えるこの子は、病院から見れば未収を代償に産まれた子でした。東氏に「おぎゃあ、ではなく、みしゅう、と生まれた」と、身も蓋もない親父ギャグにされてしまう子だったです。

 出産育児一時金の医療機関への直接支払い制度を利用しても約20万円の患者負担が残り、その支払いが滞っていたため、保証人である夫に手紙や電話で督促を続けていましたが、「今度は払う」、「次こそ払う」と繰り返し、なまじ数千円の振り込みが数回あったため、次なる策に打って出る機会を逸したまま一年近くが経過していました。

 もちろん、この夫だけを相手にしても徒に時間がかかることは明白でしたので、患者本人つまり奈々恵さんの携帯にも電話をし、敢えて夫ではなく奈々恵さんに宛てて督促状を送ったこともありましたが、いずれも応答がありませんでした。乏しい生計を一にする若い夫婦に別々に督促しても、片方の財布からだけ大判小判が振り出されるはずもないのですが、圧力を与えて支払いに真剣味を持たせるためには、これも欠かせないプロセスです。

 そうしたある日、医事コンピュータシステムに張っておいたアンテナに、一歳になった娘の陽菜ちゃんがお腹を壊して受診に来たという情報が引っかかりました。

 診察が終わりそうな頃に受付から連絡をもらい、小児科外来で待ち伏せして、周囲に声を聞かれないよう「田野倉さんですか?」と尋ねました。意外な問いかけに少しだけ目を開いて、「はい」と返事をした奈々恵さんに、

「恐れ入りますが、少々おうかがいしたいことがありますので、入退院受付までお越し願えますか」

と、丁重なことばに拒否を許さない気合いを込めて、同行を求めると、奈々恵さんはよちよち歩きの陽菜ちゃんの手を引いて、不得要領な顔で私について来ました。

 私の陣地に引き込んで、

「ご承知とは思いますが、一年前のご出産の際の入院費が大部分未払いのまま残っております」

と切り出すと、奈々恵さんの目は予期しなかったことばに覚まされたように大きく見広げられました。その様子は演技には見えませんでした。ご承知でなかったようです。

 それでも思い当たる節はあったらしく、こう釈明しました。

「支払いのために用意しておいたお金が銀行から下ろされていたので、『支払いに行ってくれたの?』と夫に聞いたら、いかにも歯切れの悪い返事でした。その後も何度か同じことを聞くと、だんだんと怒るようになったので、ついそれ以上は問い詰められなくて。申し訳ありませんでした」

「奥様の携帯にも電話させていただいたのですが、お気づきになりませんでしたか?」

「すみませんでした。私、登録のない電話番号には出ないようにしているものですから」

「そうですか、確かにそういう方はいらっしゃいますけど」

「いえ、これは福祉事務所の指導でそうしているんです。実は私、夫の元を離れて寮に住ませてもらっているものですから」

「…寮?」

 それで「ああ」と思い当たりました。だから自宅に宛てた手紙も目にすることがなかったのです。

「誠にお聞きしづらいのですが、区の、…そういった方を匿っている寮のことですか?」

「…ええ」

 やや返事を躊躇しましたが、奈々恵さんは肯定しました。自治体が運営するDV被害者の避難所にいるということです。私は以前に、共同の玄関に管理人室がある下宿のような寮の、仮名の名札をつけた女性患者の部屋を訪問したことがありました。

「夫は去年からの不景気で、この子が生まれてすぐに工場の派遣契約を切られてしまいました。生まれた子供のためにも熱心に再就職先を探していましたが、いくつ受けても落とされたり門前払いされたりしているうちに、イライラして暴力を振るうようになったんです」

 まだ若いけれど一児の母親らしく落ち着いたこの女性がどんな暴力を受けたのか。改まった思いで奈々恵さんの顔を見つめました。

「初めのうちは夫の気持ちも考えて我慢していましたが、この子にまで手を上げるようになって、これ以上は危ないと思って、知り合いに相談して今の寮を紹介してもらったんです」

 瞬時に胸が締め付けられました。おそらくまだ赤ちゃんだった陽菜ちゃんが大人の男性の、しかも苛立ちの感情を込めた力で叩かれていた…。想像もしたくない忌まわしい場面です。お母さんと一緒にいるだけで楽しそうにニコニコしている陽菜ちゃんには、幼い人生ですでにそんな過去があったのです。いかなる心の傷も残らないでほしい。そう願わずにいられませんでした。

 詳しく話を聞くと奈々恵さんの夫が勤めていたのは、一昨年にCEOが数億円の報酬を得て話題になった自動車会社の工場でした。不景気になったとたんに余剰人員を削ったのでしょう。人を安く使い捨てて巨利を得ることが優れた経営と評価されることに違和感を拭えません。

 それでも未収は未収です。どんな未収にもそれなりの事情がありますが、斟酌はしても督促の手は緩めません。同情に左右されるわけにはいかない、この仕事の業なのです。

 幸い奈々恵さん自身は健康でしたので、夫の元を離れてからは企業の社員食堂で働いて収入を得ていました。企業から業務委託された会社の社員ですから、手取りは決して多くないはずですが、月々5千円の支払いを書面で約束しました。おそらく楽な出費ではないでしょう。それでも、奈々恵さんはこう言いました。

「この子を債務者にしたままにはできませんから」

 債務者はあくまで親ですから、少し勘違いがあるようでしたが、その気持ちには感じ入りました。帰り際にバイバイと小さな手を振ってくれた陽菜ちゃんのためにも、完済まで3年かかる長期の支払いに根気良く付き合う腹を決めました。

 ところがこの分割払いの約束が思わぬ騒動の種になりました。

 奈々恵さんは約束を守り、こちらから催促することなく、毎月決まった日に5千円を振り込んで来ました。きちんと支払いを続けてくれる人は、未収患者であってもありがたいものです。未収の残額は2万円減って、15万8千円になっていました。つまり前に会ってから4ヶ月後のことでした。

 警視庁を定年退職後、うちの病院の渉外担当として再就職した妹尾さんが突然事務室に現れ、私にこう言いました。

「水野さん、田野倉奈々恵って患者、担当しているかい?」

 藪から棒な質問に、え?え?とまごついていると妹尾さんはこう続けました。

「旦那だっていう男が小児科に押しかけて来て、いま揉めているんだよ」

「ええ!?」

 驚きが声を押し出しました。

 妹尾さんと一緒に小児科外来に向かうと、到着する前から小さな子供の泣き声が耳に届きました。陽菜ちゃんでした。前に会ったときより少し大きくなった陽菜ちゃんは、堅い表情の奈々恵さんに抱えられて顔全体で泣いていました。ただならぬ雰囲気に怯えただけなのか、それとも記憶から消えていた父親の顔に本能的な恐怖を呼び覚まされたのか、それは分かりません。でも泣けば泣くほど、真っ白な心の奥に影が沁みて落とせなくなりそうで、私は居ても立ってもいられない気持ちになりました。

 奈々恵さんと1mほどの距離を置いて、若い男が興奮気味に奈々恵さんに訴えていました。これが元の夫であることは明白でした。女性としては長身の奈々恵さんと同じぐらいの背丈の細身の男性でした。視線を合わせようとしない奈々恵さんに苛立った様子で一方的に語りかけていました。

「なあ、だから本当に俺が悪かったと思っているんだよ。もうあんなことは絶対にしないから帰って来てくれよ」

 奈々恵さんは返事をしません。

「陽菜は俺の子でもあるんだ。お前一人の子じゃないんだから、勝手に連れて出て行く権利なんかないだろう」

 奈々恵さんは口を閉ざしたままです。

「おい、無視するなよ!返事ぐらいしろよ!」

 そこまででした。妹尾さんが甲高い声で割って入りました。

「おい、ちょっと、あんた!」

 男ばかりか、そこにいる全員が一斉に糸で引かれたように、びくりと肩を上げました。

「ここは病院だからな、大声を出されちゃ、他の患者さんに迷惑だろう。診療を妨げるような行為は威力業務妨害になるぞ」

「な、何ですか、あなたは」

 その威圧的な警告が自分に向けられていると知った男は、動揺に細った声でそう言いました。

「何だって、病院職員だよ。あんたこそ誰だ。患者か?面会か?付き添いか?どれでもないなら速やかに退去。従わなければ住居侵入」

 揺るぎない警察ノリでした。テレビのニュースで見る、暴力団事務所の前で組員と怒鳴り合う、どっちがヤクザか分からないような警察官そのものでした。奈々恵さんの夫はすっかり気圧されて、毒気を抜かれたようでした。奈々恵さんも驚いて見上げ、陽菜ちゃんまで泣き止んで目を丸くしていました。

「まあ、あんたにも言い分があるだろうから、こっちで聞くよ。話してごらん」

 委縮させておいて懐柔する。これも定年まで勤め上げて血肉となった警察の手法なのでしょう。そして奈々恵さんと陽菜ちゃんのもとに歩み寄ろうとした私に呼びかけました。

「水野さんも一緒に来て」

 ええ、なんで!?

「旦那の側の事情も知っておいた方が水野さんの仕事のためにも良いだろう」

 もっともなような、そうでもないような理屈で結局、私も奈々恵さんの夫と一緒に医事課の応接室に『連行』されました。

 奈々恵さんの夫、田野倉修司という男性は気の弱そうな人物でした。余裕をなくして弱い者に暴力を振るうような人は、概して内弁慶なことが多いそうです。

 常々思うのですが、「まあいいや」と受け流す心のゆとりを保つことは大切なことです。思う通りにならないことなど、生きていればいくらでもあります。そのたびに思い詰めても、ろくなことはありません。未収金担当というストレスの溜まる仕事を始めて身についた一つの自衛手段です。不真面目なようにも聞こえますが、自分にも他人にも寛容になれる便利な処世訓です。

 無論、職を失って、「まあいいや」とはなかなか考えられないでしょう。でも心の遊びをわずかでも残していれば、自分を追い詰めて悲観せずに済むことも多いのではないかと思います。

 そう考えている横で、妹尾さんは田野倉修司さんを追い詰めていました。

「あんたの奥さんはDV等支援措置にもとづいて、今の生活をしているんだ。それを脅かすような真似はストーカー規制法で一年以下の懲役または100万円以下の罰金だぞ」

「お、脅かすつもりなんてありません。本当に私が悪かったと思っているんです」

「待ち伏せなんかされて、相手にそれが通じると思うか?」

「こうでもしなければ会う手段もありません。きちんと話し合いたいだけです。夫婦なんですから話し合えば分かるはずです」

「そう思っているのはあんたの方だけだろう。話し合う気持ちにもなれないようなことをあんたがしたからじゃないのか?」

「あのときはちょうど子供が生まれたときに仕事をクビになって、再就職先も見つからなくて、なんでこんなに間が悪いのかとヤケになってしまいました。もちろん奈々恵や陽菜に何の責任もありません。まずは謝って、仕事が見つかってからでも、もう一度もとの家族に戻りたいと思っているんです」

 それを聞いて私はいくらか同情しましたが、トラブルを起こす人間を長年見てきた妹尾さんの精神軸はびくともしませんでした。

「話し合いは裁判所でやるしかないかも知れないな。もう病院で待ち伏せしたりしませんと一筆書いて、今日は帰れ」

 取り調べ以外の何物でもありませんでした。威張った医者でもここまでは言いません。妹尾さんはふだんから院内の接遇研修などで「患者さんの無理な要求には毅然とした態度で臨みましょう」と指導していますが、生え抜きの病院職員にはなかなかここまでできるものではありません。

「大体、なぜ奥さんがここに来ているって分かったんだ?」

 そうです、それです。奈々恵さんは妹尾さんも言っていたDV等支援措置にもとづいて、夫に知られず住民票を移動して自分の健康保険を持ち、陽菜ちゃんを被扶養者として届けていました。行政機関から漏れることはないはずですし、陽菜ちゃんの受診に関する通知が奈々恵さんの加入健保から夫の家に届くこともありません。

「半年ぐらい前までは出産費用の督促が頻繁に来ていましたが、このところ来なくなったものですから、気になって先日こちらの病院に『もう少し待ってほしい』と連絡したんです。そうしたら私の記憶していた残額より減っていたものですから、おや?と思いました」

「水野さん、そんな連絡があったの?」

「いえ、初めて聞きました。医事課の誰かが電話を受けたのでしょうけど、このところ定期的な入金が続いていましたから、特に疑問にも思わずに残額を答えたのでしょうね」

「それで?」

 妹尾さんは修司さんに先を促しました。

「最初は、奈々恵が少しずつ支払っているんだな、と思っただけでしたが、もしかしたら奈々恵か陽菜が受診に来たときに支払ったのかも知れないと思うようになりました」

 ご名答とはいきませんが、なかなか良い勘です。

「それで産婦人科と小児科の受付に次の受診予定日を聞こうと思い立ちました」

「電話で問い合わせがあっても、そういうことには答えないはずだぞ」

「はい、そう思いましたので『予約票を紛失して、次の受診日を忘れてしまったから教えてほしい』という聞き方をしました。診察券の番号も生年月日も言ったので信用されたのだと思います」

 私はため息をつきました。そう尋ねられたら答えない訳にはいきません。なまじ生真面目な夫は未払いを気にして当院に連絡をし、そこから得た情報を手掛かりに知恵を回して、今日が陽菜ちゃんの受診日であることをつきとめたのです。

「いずれにしても、もうこんな真似はするな。またやったら逮捕。一般人にも逮捕権はあるんだからな。そのあとで警察に引き渡す」

 修司さんは希望も気力も失った表情で、ペンに操られるように誓約文を書かされ、応接室から追い立てられました。このまま帰すのも気がかりでしたが、だからと言って何をして上げることもできません。妹尾さんに正面玄関を指差されて力なく歩き始めたとき、ある人物が修司さんを呼び止めました。三人揃って振り向くと、品の良い壮年の紳士がこちらを見つめていました。

「お許し下さい。小児科での一幕が気になって、今のお話も廊下で聞かせていただきました。誠に失礼いたしました」

 柔和な顔に同情を滲ませて、そう言いました。ふつうなら訝る場面ですが、そう思わせない人徳のようなものを感じさせる人物でした。妹尾さんでさえ敬意を示して尋ねました。

「失礼ですが、そちらさまは?」

「これは重ねて失礼いたしました。私はこういう者です」

 そう言って差し出した名刺には『㈱草久 社長 久村忠志』と書かれていました。草久と言えば城北区内にいくつもの店舗を持つ、地元で広く知られる和菓子の老舗です。品の良い甘さの餡を軽い食感の生地で包んだ『草松』というモナカは地元の銘菓です。そして店や商品以上によく知られているのが社長である久村氏の人格でした。

 生活困窮者を従業員として積極的に雇い入れ、決して甘やかしたりせずに厳しく教育して、多くの人の社会復帰を助けてきたと言われています。質の良い菓子を誰でも買える手頃な値段で提供し、子供が一つ買いに来ても丁寧に包装して頭を下げるという評判でした。

 安価で良質な菓子は、謙虚で善良な人を育てる。

 それが社訓だそうです。

 地元の名士でありながら、いつか同期と飲みに行った帰りに「ここが草久の社長の家だよ」と教えられた家屋は、周囲の古い住宅に囲まれて何の違和感もないほど、こぢんまりとした質素な佇まいでした。一昔前の伝記の人物のようですが、今の時代にそういう話を聞くと不思議な安心を覚えます。

 久村氏は田野倉修司さんの目を見て、こう言いました。

「唐突な申し出ですが、うちで働いてみる気はありませんかな?あなたは自分のしたことを真剣に悔いて、償いをしたいと思っておられる。しかも、まだ若い。若い人がやり直しの利かないような世の中では、いずれ社会そのものもやり直しの利かないところまで廃れてしまう」

 私と妹尾さんでさえ、何が起きているのか把握に手こずる思いでした。修司さんに至っては、その親身なことばが自分に向けられていることさえ理解できない面持ちでした。

「あなたが人生の階段を一、二段踏み外してしまったのは、会社というものが利潤や株主ばかりを気にして、いつの間にか人を大切にしない経営をするようになってしまったことに原因がある。あなたの再起を支えるのは、同じ日本の会社経営者としての社会への責任です。もっとも以前勤めておられた自動車会社とは比ぶべくもない零細企業ですがな」

 久村氏はそう自嘲して哄笑しました。

 笑い声に胸を揺すぶられたかのように、修司さんの硬直した体が崩れ落ち、乾いた心に沁みた情が目から溢れ出しました。差し伸べられた手に縋って跪かんばかりでした。

 私も妹尾さんも唖然として見守るばかりでした。私は思わず呟きました。

「地獄で仏とはこのことですね」

「俺は閻魔か?」

 この成り行きは奈々恵さんにも伝えられました。奈々恵さんも、そんなことがあるのか、と驚いていたそうです。

 さて、56歳の久村氏は歳相応に高血圧を患い、循環器内科の受診を続けている患者さんでした。ときおり入退院受付に私を訪ね、

「田野倉くんは熱心に働いていますよ。差し支えなければ、奥さんに会った際、そう伝えて上げて下さい」

と言って笑顔で帰りました。また、

「お口汚しにみなさんでどうぞ」

と言って、自社のお菓子を置いていくこともありました。私など一度居合わせただけなのに、縁のあった人には分け隔てなく心配りする人柄に感じ入ったものです。

 それだけに、その数ヶ月後に運命が暗転したとき、私は他の患者さんには感じたことのない胸の痛みを覚えたものです。新聞の城北区版には以下のような記事が載りました。

『一昨年の米国の住宅ローン危機に端を発した株価の連鎖的暴落による金融、貿易への世界的打撃は、地元に根を張った地方の優良企業にも及び始めた。

 創業以来70年間、地元区民のおやつとして親しまれて来た和菓子の草久も消費の落ち込み、原材料費や燃料費の高騰の影響を免れず、4店舗あった支店が閉鎖に追い込まれ、今後は本店のみで営業を継続することになった。

 現社長の久村忠志氏は母子家庭世帯の母親や身体障害者を積極的に雇用し、やる気のある従業員には暖簾を分ける形で支店を作って社会的弱者の新たな雇用の受け皿としてきたが、急激な景気悪化を受け、借入金返済の負担が重くのしかかり、善意の経営が仇となる結果となった。銘店の閉鎖は、長く親しんだ住民の間でも惜しまれている』

 この時期、不景気の影響で職を失い、国保の保険料どころか家賃や電気、ガス、水道の料金まで滞納して支払い相談に来る未収患者が急増したものです。

 田野倉修司さんが勤めていた自動車会社を解雇されたのも、この世界同時株安の影響でした。欧米やアジアに何十万台もの車を輸出している世界的企業であれば、金融や為替の影響をまともに受けるのも然りですが、防波堤を優に乗り越えた不況の荒波は、身の丈をわきまえて地道に経営していた小規模な会社や工場、店舗をも押し流し、そこに働く人々の質素な暮らしまで根こそぎ浚っていったのです。

 本意ならず、修司さんの職も解かざるを得なくなった久村氏は、律儀にも私にまでそのことを伝えに来て、深々と頭を下げました。

「経営と慈善事業とをはき違えた末路です。愚かな経営者の下で働く従業員こそ被害者です」

「そ、そんなことはないと思います。うちの職場でも『草松』はみんな大好きです」

 何の慰めにもなりません。

「ありがとうございます。でも景気に左右されて従業員の雇用を守ってやれなくなったのでは、都合良くリストラする企業と何も変わりはありません」

 でも、何も変わりなくなんかないことを後日譚が証ししました。

 久村氏は解雇した従業員一人一人の再就職のために奔走し、全員の身の振り方を定めたそうです。どこも苦しい経営状態であるにもかかわらず、「久村さんの紹介なら」と快く受け入れたと聞きました。これこそ人望のなせる業です。

 自宅を初め、めぼしい私財は融資の担保となっていましたが、それでも多少残った資産を解雇した従業員たちに支度金として配分したとも聞きました。私は胸が熱くなりました。袖振り合う程度の縁とは言え、人生においてこのような人物と関わりを持てたことに感銘を受けたほどでした。

 でも袖を振り合ったということは、やはり因縁があったということなのでしょうか。久村氏と私との関わりは、ほどなく濃く濁ったものとなりました。悪いことは重なるものです。久村氏を襲ったのは不景気だけではなかったのです。

 久村氏が胸痛発作で救急搬送されたのは、それからほんの一週間ほど経った頃でした。心労が祟ったのでしょう、急性心筋梗塞でした。カテーテル手術で一命は取り留めましたが、入院中の諸検査で進行した膵臓癌が見つかりました。膵臓癌は発見が難しく、見つかったときには手遅れであることが多いことは、私のような門前の小僧でも知っていました。久村氏の癌もすでに余命を計る段階にありました。

 内科で抗癌剤治療の入院を余儀なくされた久村氏にさらに悲運が降りかかります。想像もしなかった医療費の問題です。

 健康保険(久村氏の場合は食品組合国保)に限度額適用認定証を申請すれば、自己負担額は低所得者で35,400円、平均的所得の人で月々8万円台が上限となります。この自己負担額は前年度の所得の多寡によって5つの区分に分かれるため、つい数ヶ月前までは地元の優良企業の社長だった久村氏の場合、最上位の区分に該当することになり、月25万円超の自己負担がかかるのです。

 全財産を失い、賃貸アパート住まいとなった久村氏は、本店のみとなった会社の立て直しのため、極めて低い報酬しか得ていませんでした。このため、どう生活費を切り詰めても自己負担額が支払えなくなったのです。

 こうして久村氏は、ついに私の担当する未収金患者になってしまいました。こんな痛々しい凋落を目の当たりにしたのは、この仕事をしていても初めての経験でした。久村氏が最初に支払い相談に訪れたときには、顔を見るのも憚られる思いでした。

「この度は誠にご迷惑をおかけいたします。恥を忍んでご相談に上がりました」

 さすがに憔悴した表情でしたが、久村氏は誠実さと謙虚さは失っていませんでした。

「今になって田野倉くんの気持ちが切実に分かりました。私には愚かにも、弱い人を助けているという思い上がりがあったのです」

 そんなことはありません。あなたがこれまでになさったことは決して誰にでもできることではありません。今回は運が悪かっただけです。不運にだけは誰も勝てません。

 そういった慰めが頭を巡りましたが、私などが年長の人格者に何を言えるでしょう。

 ある日、東氏が私に真顔で問いかけてきました。

「草久の社長が支払い相談しているのか?内科の竹村教授に訊かれて、答えられなくて恥をかいたよ」

 だからどうだって言うのよ?

「もう少しまめに報告してくれないと、わしが何もやっていないみたいに思われるじゃないか」

 何もやっていないくせに。

「しっかりしてくれよ。そんなことじゃ、わしも安心して水野さんに任せられないよ」

 任せっ切りなくせに。

 東氏の身勝手で無神経な言動には、しばしば不快にさせられますが、私などはそもそも不平や嫉妬に煩ってばかりいる人間です。そんなときに自分の担当する未収金患者に接すると、自分に恵まれているものの価値に気づかされ、慰められることがあります。

 そして思うのです。不運な人や不幸な人がいてくれるのはありがたい、と。そんな見下げた料簡の私が、いったいどんな顔をして久村氏を力づけることができるでしょう。

 不運な久村氏は、あるときこう言いました。

「一つだけ幸運なことがありました。私の癌が末期だということです」

 厳粛な逆説の意味を久村氏は静かに説明しました。

「60歳までに死ねば生命保険金が入ります。60になるまで、まだ4年もあります。到底それまで生きることはできないでしょう。まだ運が尽きてはいないようです」

 私は息をもらしました。これほど皮肉な幸運があるでしょうか。

「そう遠くない将来に保険金で精算できると思います。家内にも堅く申し伝えておきます。誠に恐縮ですが、それまでお待ち願えないでしょうか」

 投げやりなところは一点もなく、久村氏はあくまで低姿勢にそう請いました。従業員の身の処し方に全責任を負った人物です。自身のことで他者に迷惑をかけることをどれほどか心苦しく思っていたに違いありません。

 でも私は職務上、その痛ましい申し入れにも水を浴びせるようなことを言わなくてはなりませんでした。

「心ないことを申し上げるようですが、ご容赦下さい」

 久村氏は、何を言われるのか、という目で私を見上げました。

「生命保険金の受取人である奥様に支払い誓約書の連帯保証人になっていただけないでしょうか」

 死亡保険金の受取人が妻である場合、一定の控除額を除き、保険金は相続税の課税対象になりますが、もしも相続放棄をされたら夫の残した債務の支払い義務も免れることになります。

 ですが、連帯保証人であれば債務者本人といわば同格です。自己破産でもしない限り、支払い義務はついて回ります。久村氏ほどの人の妻が、大金が入って債務を反故にするような真似をするとは思えませんが、死亡が視野に入った患者に連帯保証人を求めることは、私の仕事の鉄則なのです。

 久村氏は、死を以って支払うという悲壮な覚悟にさえ疑いを挟まれ、さすがに複雑な面持ちでしたが、それでもやはり紳士でした。

「ごもっともです。私も仕事の約束だけは必ず書面に残しましたので。そのようなことを言わなくてはならないお立場もお察しします。大変なお仕事ですね」

 微塵の当てつけもありません。久村氏はむしろ私を思いやるようにそう言ってくれました。未収患者と接していて、このときほど辛かったことはありません。

 その後、田野倉修司さんが久村氏の見舞いに来た帰りに私を訪ねて来ました。そして、久村氏から配分された支度金で出産費用の残額を精算しました。草久で働き始めてから奈々恵さんと同じ月々5千円を支払い続けていましたので、残額は7万円余りになっていました。

 田野倉さんは現在、久村氏から紹介された清掃会社で働いているそうです。うちの病院にも清掃委託業者が入っていますが、彼らが決して羨まれる待遇で働いているわけではないことは耳にしたことがあります。それでも、田野倉さんの表情は前回会ったときとは見違えるようでした。

「うまく行かないときは、こんなものだと思います。それは前の工場をクビになったときに身に沁みています。でも、ここでまた腐ってしまったら、社長との出会いやご厚意まで無にしてしまいます。社長のご恩に報いるためにもまじめに働いて、いつか奈々恵と陽菜と暮らせるようがんばるつもりです」

 良質な菓子は、確かに人の良心を育てていました。

 以前新聞で『株価と実体経済との乖離』ということばを読んで、軽いカルチャーショックを受けたことがあります。

 実体でない経済があるのか?それは架空経済とでも言うのか?

 でも実際、カネもモノも直には動かない経済はあるようです。スーパーの紙の値札は夕方に見切り値に下がるだけですが、もしも液晶とICタグでできていれば目にも止まらぬ速さで値を変え続けていることでしょう。とても生活感覚には馴染みませんが、私たちは売り買いの無数のenterキーで黒字が赤字に変換される、異次元のような空間に住んでいるようです。

 経済の仕組みはあまりに複雑で、到底私の理解の及ぶところではありません。でも、お金とは本来、労働の対価であるはずです。その大切な物をゲームの駒のように扱っている人たちのために、真面目に働いていた多くの人が仕事を失うような社会は絶対に間違っていると思います。


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