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問いかけ


何かと大変だった時期も、デートの際はいつもこの店で食事をしていたのを思い出す。その度に私はカルボナーラを注文していたはずだが、やはり何度食べても飽きは来ない。

受かった大学が、高校時代からの行きつけであるこの店の近くだったことは奇跡としか言いようがないし、そもそも天才的な頭脳を持つ翔と、確かに女子で一番成績は上だったかもしれないが、努力で困難を乗り越えてきた私が、同じ大学に通っているということ自体が奇跡的だと何度思ったことか。生徒会に立候補した根本的な目的であった推薦入試にも、翔に勧められるままに別の学校を受験してしまったので結局出願しなかった。彼との関係を振り返ってみても、その道筋は曖昧で、不思議なことばかりだ。

「ん? どうしたの? スプーンをじっと見つめて」

翔に指摘され、ハッと我に返る。少し平たいスプーンの上に、カスタードクリームのよう滑らかな黄色をしたパスタがきれいに収まっていた。皿の上には食べかけのカルボナーラが、まだ三分の一ほど残っている。一方翔はと言うと、いつの間に注文したのか、もう食後のコーヒーに入りかけていた。

「いや、気になってたんだけど」

私は考えていたことを口にする。

「翔、私のどこが気に入ったの?」

恋人同士なんだからこのくらい聞いても罰は当たるまい、というより、付き合い始めてもう二年になると言うのに今まで話題に上らなかったほうが不思議だった。何せ告白されたのは二回目に会ったときだ。それに、大西翔ともなれば私のほかにも彼女候補だったら選り取り見取りであっただろうに。

「どこっていうか」

翔は飲んでいたコーヒーカップをソーサーに戻しながら言う。

「君みたいな人は初めてだったから」

「初めて?」

「うん。出会い頭に俺を非難してきたって言うの? しかもその非難の理由が、単に嫌いだからっていうのじゃなくて、自分の考えがしっかりあって、さらにそれが深い。頭いい人なんだなあ、って思ったし、こんな凄い人がうちの高校にいたのかと思うと、何かぞくぞくしたんだよ」

具体的に、と言われたら、よくわからないけど。翔はそう言って、またコーヒーカップを手に取った。

唖然とした。よくそんな理由で、どんな性格かもわからない人間に告白が出来たものだ。普通なら、「嫌な奴」という印象をつけてもう二度と近寄りたくないはずだ。それに翔に頭がいい人だと言われても、何だか素直に喜べない。お前のほうがいいだろう、と言ってしまいたくなる。

いい意味でも悪い意味でも、結局彼は箱入りだったのだ。新しい風が吹いてきたから、思わずそれを掴んでみたかったのかもしれない。

「じゃあ、そういう君は」

翔が不意にこちらを向いた。

「俺のどこが、いいと思ったの?」

私は思わず食事をしている両手を止めた。そのまま、視線を上げて、翔の顔を見た。

彼の、どこがいいと思ったのか。

私が翔を恋人だと認識したのはいつだろう、いや、認識だったら告白されて三日後の、この店に来たときにしていた。そうではなく、翔に心を許したのはいつだろう。最初は妬んでさえいた大西翔。嫌いでさえあった大西翔。付き合い始めてさえも、人間的に好きになれなかった大西翔。

金持ちだからとか、背が高いからとか、頭がいいからとか、声がいいからとか、そんなのは大西翔を取り巻く一面に過ぎない。それが理由ならば出会った段階で嫌いになんかならなかったし、付き合い始めた時点で、ラッキーとさえ思っただろう。しかし確実にそんなことはなかった。映画や小説、その他物語に表わされるような、文字通り「落ちる」という動詞を使うのが的確な恋、トキメキ、そんなものは私と翔の間には存在しなかった。私にしてみれば、知らない間に付き合うことになって、その延長で今、同じ屋根の下で暮らしたり、同じ席で食事をしたりしている相手。でも間違いなくパートナーと呼べる存在。それが大西翔なのだ。

自分で話題を振ったものの、改めて考えてみれば私も翔と同じくらい抽象的な理由しか思いつかなかった。違う。抽象的なものさえ思いつかない。

そもそも恋人だと認識させられたとき、なぜ私は大して好きでもない彼を、拒絶しようとしなかったのだろう。「恋人なんだから」と言われて、「そんなのになった覚えはない」と言ってしまえば、それまでだったはずなのに。

翔の顔を見詰めたまま、私はただ店内の音楽を聞くともなしに聞いていた。

やがてウェイターが食事の済んだ翔の皿を片づけに来た。それでも私はまだ翔の問いかけに答えられないまま、食事にも手をつけられないままであった。

「鳴海?」

そう彼が私の名を呼んだ時。

唐突に、あまりにも唐突に、翔の懐の携帯電話から着信音が鳴り響いた。

翔は一瞬だけ私から目を逸らし、「ごめん」と言って通話ボタンを押した。私と食事を共にしている時の、どこか落ち着いている声の調子が、すぐに緊張して対人向けのそれに代わる。

電話口から「来週のレポート」とか「お前がいないと困る」とかいった声が漏れて聞こえた。会話の相手はどうやら同じ大学の学生らしかった。翔はそれに対し、手短に二・三言葉を連ねて「わかった」と応対し、電源ボタンを押した。

「ごめん、これからちょっと大学に行かなくちゃならなくなった」

翔はそう言うが早いか、上着の胸ポケットの中に携帯を仕舞った。そして鞄の中から鶏みたいに丸々太った財布を取り出すと、福沢諭吉の描かれたお札を一枚、テーブルの上に置いた。

「すまないが、これで会計を済ませてバスで帰ってくれないか。どうにも急がなきゃならないらしい」

私は声も出さずに頷いた。翔はデート中に彼女を放って大学に行かなければならないことに相当抵抗があるのか、何回も詫びてから駐車場の車で店を去って行った。


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