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口実


大西翔は、大学生になるまで誰とも付き合わない。

高校三年になって一カ月あまりの時期、格言のように流れてくる彼の噂を小耳にはさんだ私は、残念ながらそいつは嘘だ、と言ってやりたい気分であった。大西が誰とも付き合わないのではなく、彼に告白した女子が悉く振られているだけだ。これは一見同じに見えるかもしれないが実は大きく違う。大西は付き合えないのではなく、付き合わないのだ。ではなぜそんな噂が流れたのか。彼の父親が裁判官だから、不貞を犯してはならないと厳しくしつけられたらしいと恋に破れた女子たちが口を揃えて言ったのだった。

この噂を聞いてなぜ私が、嘘だ、と思ったかと言えば、その前の年度の冬から、修学旅行以来もう会うことはないだろうと思っていた大西と再び接点を持つことになってしまったからだ。


私たちの高校は県内有数の進学校であったが、三年時の生徒会活動が認められていた。指定校推薦をもらうのを目的で生徒会役員に立候補した私は、運良く二月の選挙で承認の票数を得て会計に選ばれた。

当然と言えば当然かもしれないが、そこに大西もいた。もちろん役職は、学年の人気を独り占めにしている彼にふさわしい生徒会長だった。推薦をもらうためという極めて不純な動機で立候補した私とは違って、大西は皆に出てみないかと散々勧められ、自分もその気になってしまったから立候補したのだという。

三年の時点で生徒会長と会計に選ばれた私たちは、否が応にも話し合いの場で顔を合わせなくてはならなくなった。しかもさらに悪いことには、会計というポジションはやたらと生徒会長と行動する機会が多かった。生徒会の運営のための代金なども会計がまとめて生徒会長に提出、という過程を経なくてはならないし、部活動の予算の相談は、各部長と会計、生徒会長と会計という組み合わせでなされる。

修学旅行のバスの中であれだけ「あなたのことなんて嫌いです」と言ってしまったに等しい言葉を吐いた私には、これはかなり由々しき事態であった。仕事をするうえでいわゆる上司にあたる生徒会長に嫌われていたのでは、円滑に進む物事も上手く行かないかもしれない。そういうわけで生徒会長を補佐するとあらば、会計よりも副会長だろうと思い、出来る限りの努力で副会長に同席を求めたが、この年の副会長は私と同じ推薦狙いの者で、大西に言われたこと以外何もしないと決め込み、私の言うことになど耳も貸さなかった。

かくして奇妙な縁から大西と仕事をすることになってしまった私であったが、最初は事務的な会話以外ほとんど大西と話すことなく、一年を終わらせる、つもりだった。どうせ人気者の大西のことだから、たった一度同じ班になった私のことなど覚えてもいないだろう、と思っていた。

だがここでも、とんだ番狂わせが起こった。

旧生徒会からの引き継ぎ式――選挙で決まった新生徒会役員が、初めて全校生徒の前にお目見えする式の日の朝であった。先日掲示板に、いつもの登校時間よりも早く生徒会室に集まってくれと新生徒会員に連絡があり、私はその集合時間よりもさらに四十分も早く学校に訪れていた。生徒会室は校内一奥まったところにあるため、行きなれないと迷うかもしれないと思ったからであった。

校門に入ってから十分後には生徒会室に着いた。まだ集合時刻にはあと三十分もあった。私はどうせ誰もいないだろうと思って、生徒会室の扉を勢いよく開けた。

「おはよう。また一緒だね」

しかし予想に反して、中には大西翔がいた。彼は初めて生徒会室に入った私に、そう声をかけてきた。

廊下にも部屋の中にも、他には誰もいなかった。彼は明らかに私のことを覚えていた。

内心では何で覚えているんだ、と思いつつも、それを悟られまいとして無理矢理表情を作り「うん」と短く返事をした。大西はいつも通り、何もかもを包むような、無駄に優しく爽やかな笑みで答えた。

「早いね」

「そっちこそ」

「まあ、ここ遠いだろうと思ったから。生徒会長が初日から遅刻じゃ、他の人たちに示しがつかないし」

 奇遇だ、たまたま私も同じことを考えてこの時間に来たんだ、ただし単なる恥を恐れてだが。などと、思ってはいても口には出さない。大西と同じ考えの自分に、軽く腹が立つ。

ちらり、と彼が横目で私を一瞥する。

「何しろ初めてだからね。いろいろ至らないことがあるかもしれないけど、そのときは前みたいに言って貰えると助かるよ」

言い終わるなり、視線を窓外に向けて沈黙した。

二人きりの生徒会室に、中庭から漏れ聞こえてくる雀の鳴き声ばかりが響く。

気まずい。私は直感した。大西は、表面上ではああして笑顔を向けてくるが、それはあくまでも仕事をこなしていくうえで支障が出ると困るからだ。腹の下では私と同じく今の気まずい状態をどうにかしようと必死に考えを巡らせているに違いない。一般で言われるところの頭がよく、気立てのいい彼のことだから、そうしたことを考えていても全く表情に表わさないし、平気で笑顔を振り撒けるだけだ。実際には何を考えていても不思議ではない。

「ねえ、大島さん」

不意に窓の方に向けていた視線を私に戻して、大西は名前を呼んだ。その声は心なしか震えていて、それでいながら今にも眠ってしまいそうなほどに安らかだった。

私は、あれ、と思い、そして手から嫌な汗が出てくるのを感じた。何かが、おかしい。自分が今まで考えていたこと、それは大西も私と同じように沈黙を紛らわすための会話を探すのに必死なのではないかということだった。しかし今の状況は、天敵と対している時のような緊張や緊迫と言った空気とは程遠い。何かが違った。大西の考えていることと私の考えていることは、決定的に何かが違った。

「俺、大島さんのこと……好き、だ、多分」

「……は?」

突然小さくなった彼の声になってしまった発言を聞いて、思わずそんな言葉が出る。寧ろそんな言葉しか出ない。完全に理解不能になっていた。

大西は恥ずかしそうに目を泳がせ、今し方、自身の放った槍に胸を貫通されたかのようにギュッと瞼を閉じた。きちんと毎週洗っているらしい真っ白な上履きの爪先で、板張りの床をトントン蹴っている。右手も左手も、拳を握っていた。

好き、彼の口は確かにそう言った。多分とは付け足したものの、おそらく嫌いではないという意味だ。だがなぜ嫌われなかったのか、理由がわからないし、このタイミングで好き、と言われる意味もわからない。しかも、大西と顔を合わせたのは今回で二回目だ。多少お互いの印象というものは理解していても、それで好きも嫌いもあったものではない。私は勝手に大西に嫌いなタイプだというイメージを持っていたが。

大西の言葉の真意がさっぱり理解できないまま、「駄目かな」という彼に対して首をかしげた。「何が駄目なの?」と問い返すと、大西はまた顔をそらして口籠った。それから一言「ありがとう」と言った。

訳が分らなかった。女々しすぎる反応に、彼の思考の中で完結している話に、私は苛立たずにはいられなかった。また二人の間には気まずい空気が流れ始めていた。お互い何も言わず、私は訝しさに眉間に皺を作り、大西はひたすら背を向けて押し黙っているばかりの空気。結局、二人の沈黙を破ったのは、集合時間より少しだけ早めにやってきた生徒会役員が廊下を歩いて近づいてくる音だった。


それが男女の関係という意味での告白だったことがわかったのは、その三日後、大西が連絡網を使って私を高校からは結構遠いところにあるイタリア料理屋に誘ったときだったのだ。

恋人でいうところのいわゆる初デート、のはずなのだが、当時は全く自覚がなかったため、ただ生徒会の付き合いで「嫌いではない」私に昼食を奢ってくれただけなのかと思った。大西家は金持ちだから、生徒会長として他の役員一人一人と真剣に向き合うために、このようなことをやってのけるのだ、と勝手に思っていた。

その時もカルボナーラを注文した。そして純粋に旨いと思い、何も考えずに声に出した。昼食を食べる場では、どういうわけか私も天敵である大西と対面してもいつもの刺々しい感情になることはなく、フォーク片手に彼が語るこの店の評価などを聞いていたものだ。

だが最後に大西が口にした言葉に私は違和感を覚え、そこで自分が如何に鈍感であったかを思い知らされることになった。

「君が喜んでくれたようで、よかった」

君、とはいくらなんでも馴れ馴れし過ぎではないだろうか。私たちは生徒会長と会計という立場であって、一夜限りの舞踏会で運命的な出会いをした王子と姫というわけではない。だから尋ねたのだ。

「何、その呼び方」

そして私は驚愕の事実を突き付けられた。

「いいだろ。もう恋人なんだし」

やたらに気障ったらしく、やたらに幸せそうな笑みを浮かべ、大西は籠の中の鳥をうっとりと見つめる目で私を見ていた。

訳が分からなかった三日前の行動に、全て合点がいった。

その後のことは、ショックが大きすぎてはっきりと覚えていない。だがさすが大西翔というべきなのか、昼食に誘うという目的で私を呼んだからには、昼食が終わったらすぐに帰す、と言って無理にデートらしいデートのようなことを強制はしなかった。お陰でこの初デートは会食のみで幕を下ろしたのだが、謀らずして大西翔の恋人となってしまった私は、真っ白になった頭で必死に考えていた。

学年一の人気を得ている大西翔が、わざわざ他の女子たちの告白を断って、私のような者を彼女にした。このことが他の女子に知られたら、私は確実に過激派からの虐めの対象になろう。そうでなくてもこれから一年は受験シーズンが到来し、精神的な負担が今までより遥かに増える。そんな不安定な時期に、人気者の大西翔と付き合っている者がいる、なんて噂が飛び交えば、下手をしたら学年全体の勉強に対するモチベーションが下がりかねない。

ここは事なきを得るべく、二人の関係は是が非でも隠し通さねばならない、と考え、私は大西に「恥ずかしいから絶対に二人の関係は秘密にしよう」という大嘘も甚だしい趣旨のメールに、付き合う上での注意を記して送った。

まず学校でそれらしい言動は慎むこと。幸いなことに私はまだ大西を異性や人間としての意味で好きになったわけではなかったし、大西もどうやら奥手のようだから、これは元より心配していなかった。

次に個人的に会う場合は学校から遠い場所にすること。あまりに人が多そうな場所も誰かに見られると危険だから控えよう、という話になった。

最後にお互いの携帯電話のメールでそれとわかるような内容は届いた直後、すぐに消去すること。付き合っている恋人が浮気をしていると気付くのは、決まってメールと電話の着信履歴だ。電話の場合は「生徒会の関係だよ」と誤魔化せるが、メールの場合は跡が残ってしまうだけにすぐに消す必要がある。

まるで何かの手引書のような内容だが、大西は何を考えたのかここまで厳しい条件もあっさりと飲んだ。もしかしたら本人も薄々、自分の影響力に気付いていたのかもしれない。


そして流れ始めた、大西が大学生になるまで誰とも付き合わないという噂。

大西には何も聞かされていなかったが、私はこの噂の正体を何となく察した。上手い理由をつけたものだ、とも思った。この噂は良い方向にこそ働けど悪い方向には絶対に働かない。少なくとも大学受験が終わるまでは、大西翔のスキャンダラスな話題で学年の戦意が下がることはない。何せ、誰とも付き合わない、とは裏を返せば、誰か一人のものではなく、皆の大西翔であるからだ。


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