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完璧主義者と神


 私と翔が出会ったのは高校二年の秋だった。

 隣のクラスに絵に描いたような超人がいる、という噂が、クラスの女子の間で広まっていた。彼女たちはしきりに「かなりかっこいい」だの「あんな完璧な人は他にいない」だのといって騒ぎ立てていた。

高校に入って一年目は、高校生になったんだという達成感と、新しい環境になじめるだろうかという不安で一杯で他人のことなど気にする余裕もなかったのだろうが、二年になるとこの意識が薄れ、風紀が乱れてくるのだろう。こういう話題は日が経つごとに過激な内容になり、最終的に大西翔にできないことは他の誰にもできないのだ、と言われるまでになった。

実際のところ、一見すると大西翔は非の打ちどころがないように思えた。勉強面では県内有数の進学校である我が校において、一年の中間テストから総合点数ではほぼ学年一位をキープし続けていたし、本人が苦手と称している教科でさえ、学年順位一ケタから下に落ちたことがなかった。

運動においてはどんな競技をやらせても、たいていあっという間にコツをつかんでしまい、殊にサッカーに関しては「部活に入ろうとは思わないけど、結構好き」というだけのことはあって、毎授業必ず一回はシュートを決めていたらしい。後から聞いた話では、毎授業中、一人で一点入れるのを目標としていて、それが達成できたらチームのフォローに回る、という自分なりのルールを課していたとのことだ。彼はあまりにも簡単にそう言うが、実際には幼いころからサッカーに精通し、サッカー部のレギュラーを取る者でさえ、毎回毎回そんなことができるかどうかは怪しい。

大西翔の伝説はこれだけにとどまらない。女子たちが姦しいほど騒ぎ立てる容姿の優に始まり、一度会って話をした者は必ずその虜となってしまうといわれる竹を割ったような性格。女性が最も安心できるとされる低く安定した声音、誰もが憧れるほど高い身長(大きすぎず、低すぎず、ちょうどいい高さだったことがまた功をなしているといえる)。重ねて言うならば父親が最高裁判所裁判官で、母親が近年営業成績を伸ばしつつある大企業の女社長。長男なので何もしなくても母の会社を受け継ぐことができる、御曹司のお坊ちゃんなのである。

他にも優れた点を挙げればキリがないが、とにかく、一般的な私たちの感覚からしたら、本当にこの世の中にこのような人間が存在するのだろうかというほど、彼はさまざまなものに恵まれていた。

そんな恵まれた人間ならば、噂を聞いた直後にすぐ会ってみたいと思うのが人の心理であり、現に私のクラスメイトにもそのような者がたくさんいた。八クラスもある学年なのに、彼が隣のクラスにいるということ自体が、運命だの、奇跡だのという輩もいた。しかし私は噂を聞いても「そんな人もいるんだ」程度にしか思わず、会ってみたいなどとは考えたこともなかった。

だが高校二年の秋、何の巡り会わせか修学旅行の班分けで、たまたま大西翔と同じグループになってしまったのだ。

どうやらクラス間の交流を促進する、という目標のもと、一組から八組まで生徒を出席番号順に並べ、一グループあたり六人になるように機械的に分けていった結果らしい。同じグループには大西をはじめとし、やたらと「大」で苗字が始まる人が多かった。私の苗字である「大島」も、その例に漏れなかったというわけだ。

言うまでもないかもしれないが、当然全員一致で大西が班長になった。彼は皆に行きたいところを手っ取り早く聞いて、自由行動の計画もあっさり立て終えた。どの場所で写真を取り、どこでどのくらいの時間を割くか、そんなことまでいちいち考えていたようだった。

そして修学旅行当日の自由行動時間、私はかつてない疎外感にさいなまれた。もともと口下手である性格が不幸な方向に働いて、グループ内で完全に孤立してしまったのだ。

班の構成は男女各三人ずつ。私を除く二人の女子は、どうやらもともと顔見知りだったようで、何をするのもとにかく二人一緒だった。割って入るのは躊躇われたし、例えその輪に加わることが出来たとしても、三人というのは話しにくい。

一方男子はというと、同じく大西を除いた二人は顔見知りであった。しかし学年中で話題になっている大西が入ってそれを拒むものはいないし、彼は私なんかと違って三人でもうまく会話を成立させる能力を持ち合わせていた。故に私は、三対二対一という、六人を分けるにはあまりに不公平な比率の中歩かねばならなかった。

おそらく人生最後になるであろう修学旅行がこのような形で進行していくとは思ってもみなかった。それだけに私は内心複雑な思いであった。町を歩く足取りは嫌でも重くなった。話し相手もおらず、特に気にかけてくれる者もいない。口下手なのを理由に班内のメンバーに話しかけなかった私が悪いのだから自業自得といってしまえばそれまでなのだが、例えばこれであと一人でも私と同じ状況の者がいたら、私は迷わずその子と行動を共にしたことだろう。六人なのだから二対二対二で分かれる可能性は十分にあった。だがその一人が大西だったばかりに私は一人残されることになってしまった。そう考えるところもあった。勝手なことだとはわかっていたが、私が彼に最初に抱いた感情は憎悪と嫌悪感。それ以外の何ものでもなかった。


自由行動が終わり、帰りのバスの中。私は煮え切らない思いを抱えつつ、行きと同じ席に座った。帰りは座席を変えてもいいと言われていたが、最初から孤立が決まっているような私には最早関係のないことだった。自由な選択というのが苦手な私は、グループの子達の意見も聞かぬまま、それを回避した。

二人用の席なので必然的に私の隣に座る者は暇であろうと思われた。女子二人は必ず固まるだろうから、男子三人のうち、行きで大西と同席しなかった一人が隣に座るのだろうとばかり思っていた。

「あ、俺、大島さんと座るわ」

 だが予想に反して隣に座ると言い出したのは大西であった。正直このときばかりは何を考えているのか全くわからなかった。大西が私の隣に座ることで得るメリットは何もないし、帰りで同席するのを楽しみにしていた男子をがっかりさせるだけだからだ。

 行きで同席しなかったほうの男子が「はあ」と小さく声を上げたが、大西は自由行動のときにたくさん話したからいいだろう、などという大分適当な理屈でそれを受け流した。少し残念そうにしながら、大西以外の二人は席に着いた。大西も私の隣に座った。

 どうせ座ったところで話しかけられないであろうと思っていた私は、行きの時と同じく、大して眠くもないのにすぐさま背もたれを軽くリクライニングさせ、寝る体勢を作った。荷物を床に置き、いかにも疲れました、というようにため息を一つつく。

「疲れた?」

 予想外にもそのタイミングで大西が話しかけてきたので、私は首を縦に振った。

「まあそうだよね、あれだけ歩いたんだし。俺も足ぱんぱんだよ」

 嘘つけ。お前さっきまで軽々歩いてたじゃないか、と思いつつ私は座席にもたれさせた体を車窓のほうに向ける。会話に対して応答もせず、大西には背中だけが見える形になる。

大西は何を思ったのか、少し息を深く吸って、沈黙した。先に私も黙していたので、二人の間には妙な空気が流れた。

やがてバスが全身を震わせるような荒いエンジン音をたてて駐車場を出発した。

 大西は黙ったままだった。私が拒絶していることに気づいたのかもしれなかった。それならそれで好都合だ。そうだ、そのまま大人しく私に寝たふりをさせて、お前は本でも何でも読めばいいじゃないか、どうせ私はあんたと違って身長も低いし、三人で会話できるようなコミュニケーション能力もないし、反射神経だって鈍い。学園アイドルのお坊ちゃまとは住む世界が違うんだ、構わないでくれ。私は取り留めのないそういった思考を背中に駄々漏れにしていた。

これでもう後は大西と一言も話さず帰れればそれでいいとさえ思った。だが事はそう簡単には運ばなかった。バスが発車して五分経っても、十分経っても、大西はなぜか、私を無視して本を取り出したり、他の席の子と会話を始めようとしたり、私のように寝ようとする素振りを全く見せなかったのである。実際に見てないのだからそんなことわからないだろう、と思われるかもしれないが、私にはなぜかわかった。彼は何もしなかった。何でもいいから私を無視して行動してくれればよかったのに、大西は、ただ同じ姿勢でぼんやりしていただけだった。

 バスが発車して二十分経ったとき、私はあまりに居心地が悪くなって体をもぞもぞ動かした。そして遂に、負けた、とばかりに大西のほうに向き直った。大西は我に返ったようにハッとして私の方を見た。

「……暇じゃないの?」

 最初に口をついた言葉がそれとは何とも情けない、と自分でも思うのだが、それが本心だったのだから仕方ない。私は顔をしかめて大西を睨んだ。

「俺は大丈夫。それよりごめん。自由行動のとき話しかけられなくて」

 突然、そう謝罪された。私はやはり大西の真意が読めずに、ただただ混乱するばかりだった。このタイミングで謝るとは一体どういうつもりなのか? 謝ることで善人ぶって、私を取り込むつもりなのか? 

「別に」

 しかし反射的に口から出た言葉は実に無愛想で簡潔だった。もっと言いたいことがあったはずではないか、大西を思いっきり罵りたかったんじゃないのか。そう思っていても、口から出たのはそれだけだった。

 大西は私の返事に一瞬、二の句を継ぐのに困っていたようだが、もう一度、とばかりに切り出す。

「……俺、大島さんのことよく知らないし、班で孤立してるのを見てどうにかしなきゃって思ったんだけど、他の奴らを跳ね除けるわけにもいかないし」

「だから、別に気にしてないってば」

 嘘つけ。お前、大西を妬むほど寂しくて仕方がなかったくせに。

「何でそこまで私に話しかけようとするの。何の得もないじゃない」

「損とか得とかって問題じゃなくて、単に俺がいろんな人と話したいだけだって」

 言われて、ああそうか、と気付く。大西は「クラス間の交流を促進する」という先生たちの言葉を真に受けて、それを律儀にも達成しようとしているのだ。あんなの明らかに班割を考えるのが面倒だった先生たちの建前であろうに。頭がいい割にこういうことは見抜けないんだ、この男は。

「……そういうところが、駄目だと思うんだけど」

「え?」

 私はうっかり考えていたことの延長を口に出してしまっていた。大西がきょとんとした顔でこちらを見た。私はため息をついて、この際だから一気に言いたいことを言ってしまおうと思った。

「あなた、何でも完璧にこなさないと気が済まないんでしょ。今だってそう。自由行動の時に私に話しかけられなかったから、バスの中でわざわざ隣の席にしてもらってまで話そう、なんて考えた。他の全員とは話せたのに、私とは話せなかったから。要は、私と会話しないと、完璧主義のあなたは満足できなかったわけだ」

 言葉はとめどなくあふれてくる。他人を非難する感覚に、だんだん思考が塗りつぶされていく。

「傍から見れば、一人ぼっちの私に話しかけることはいいことのように思えるけど、それって別の面からみれば、あなたが私の考えを無視して、話し相手になってもらえることを勝手に期待してるだけでしょ。ただの自己中心的な行動じゃない」

 強がりすぎて、隠したい気持ちを遠ざければ遠ざけるほど、何だか訳のわからない話になっていった。

「物事って何でもそうなの。固定的に存在するものは、ある面からみれば正しいけど、ある面から見れば正しくない。完璧主義のあなたには申し訳ないけど、私は完璧なものなんて存在しないと思っている。だって、完璧っていうのは、何もかもが実現可能ってことでしょう。人間として存在していれば、その他の生き物としては存在できないってこと、この時点で完璧とは程遠い。他の生物なら実現可能なことも、人間であれば実現不可能なんだから」

 次第に、話に熱がこもってくる。言いたいことが抽象的になってくる。

「完璧なんて、幻想なの。実現不可能なの。いろいろなことができない人間が作り出した、単なる憧れの概念にすぎないの。よく、神は実在するかって話し合う人がいるけど、それも何だか変な話ね。存在した時点で、存在しないという事実が実現不可能になる。神が完璧だとすれば、存在するという事実と存在しないという事実の両方が実現可能なはず。つまり――」

そこで私はなぜか言葉に迷った。つまり、結局、何が言いたかったんだろう。大西を非難するつもりが、いつの間にかただ持論を展開するだけの妙な話になってしまっていた。話が脱線しすぎて、自分でも何が言いたいのかわからなくなってしまった。最終的に何を目的として、今までごちゃごちゃと話してきたんだっけ。

「つまり、完璧なんて存在しえないから、そんなのを目指すのは止めろ、ってこと?」

 あれこれ考えている私に助け船を出すように、大西が今までの話から推察した結論を述べる。私は話を無理矢理まとめられた感じがしてひどく不快だったが、何となくそのような気がして、思わず「そういうこと」と肯定してしまった。

 そして、その次の瞬間、ふと垣間見た、いや、垣間見てしまった大西翔の顔は、二年半経った今でも忘れられない。

彼はあらんかぎりの力で、眼球が突出してそのまま外れてしまうのではないかと思うくらいに大きく目を見開いていた。口元には、はっきりと顔に濃い影ができるほどの笑みを浮かべ、眉根は広く保たれていたが、その顔全体の表情は純粋な笑みとは程遠かった。彼の瞳の中には喜びとも悲しみとも怒りとも判別しがたい、重くどす黒い何かが渦巻いていた。それは荒々しい海に平気で人を突き落とすような悪魔のようにも見えたし、ただ無意味に広大なだけで何も存在しないブラックホールのようにも見えた。

この人物は、優等生で有名なあの大西翔なのか。そんな疑問が脳裏をかすめた。

だがそう思った次の瞬間には、彼はもう元の大西に戻っていた。そして「そっか、それもいいかもね」と呆気ないほどに軽々しく爽やかな笑みで返事をした。不意を突かれて相槌を打ち損ねた私に、「そういう風に駄目だししてくれると、俺も助かるよ」という至極当たり障りのない会話で応じた。


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