4.8
「光魔法、か……」
ナノは花畑の中で、カルが張った結界を見ながら思う。
光魔法の論理で行くと、この光魔法の結界は悪意のある者を通さない。つまりは現在存在する人間やゴブリンをすべからく悪意のある者として弾く、そんな結界なのだ。
果たして、それが正しいことなのだろうか、とナノは考えた。
見渡せば、美しい光景。どこまでも広がる空。色鮮やかな花々。目を楽しませてくれるそれらは自然のままに存在するもので、戦乱に晒されてしまえばたちまち吹き飛ぶことは容易に想像できた。
それではあまりに花たちが不憫だ。人間やゴブリンによってもたらされた理不尽な理由によって命を落とす花。失われるであろうこの澄んだ空気に清浄な空。それを守ろうとすること自体は悪くはないと思う。
けれど、こういうものって、本当ならみんなで共有すべきなのではないか?
そんな疑問が鎌首をもたげているのである。
外は戦争をしているから、それが終わるまで安全を確保するためにここで結界を広げた。それは生きるための正当な行為だ。
──生きるため。
外では誰もが生きるために戦っている。そんな傍らで自分たちが長閑に過ごしているのは、何か落ち着かない。別に武器を取って戦いたいわけではないけれど……何か、心に凝るものがあるのだ。果たしてこれが正しいのか? と。
けれどナノの形容しがたい疑問の答えはまるで神様が悪戯でもしているかのように、掴めそうと思うと頭から霧消する。
そのもどかしさから、ナノはカルに相談してみた。表現するのが難しい疑問故、伝えるのに時間がかかってしまったが。
カルは答えた。
「僕は思考回路を神様に作られているから、深いことはあんまり考えられない。だからナノの疑問に答えることはできないけれど、ナノがそういう疑問に気づいたこと自体はいいことなんじゃないかと思う。
この花畑が、本当はみんなで見るべき景色だっていうのはなんとなくわかるな。ナノと二人で長閑に過ごすのもいいけれど、賑やかなのも悪くない」
カルはそう言って、ナノの頭を撫でた。手は相変わらずゴブリンらしく、不恰好でがさがさとしていた。
ナノはなんとなく、それに笑みが零れた。
「二人きりも、悪くないわ」
ナノは自分の瞳と同じ色の空を見上げた。
天上で神様は何をしているのだろうか。
神様は、ナノとカルに加護を与えていた。
二人が密やかに和やかに過ごせるように祈りを込めて。といっても、神様には祈る相手がいないので、祈りというのは言葉の綾だが。
カルに与えた加護は光魔法の強化だ。これでより、カルは攻撃を受けても強い威力の光魔法で返すことができる上、結界の強化にも繋がる。
カルは神様が思考回路まで作り上げた傑作であるため、干渉が容易かった。しかし、手元を離れて長い、原初のゴブリンであるナノに加護を与えるのには手間取った。
ナノは神様がゴブリンに与えた「進化」の加護を受け付けなかった存在である。進化しないゴブリンは他にもいたため、さして気にしなかったが、どうやら原初のゴブリンであるナノは神様が「進化」を与える前に独自の変化を遂げていたらしい。
故に、他のゴブリンより自我がしっかりしていて、人間嫌悪という思想にも簡単に流されなかった。
そんなナノにもどうにか干渉したのだが、与えることができた加護は「強運」であった。神様も我ながら良い選択だったと思う。
ゴブリンは元々人間として作られる予定のものであったため、雌雄体の優劣も人間そのままだ。ただし、進化を遂げれば話はまた別である。
簡単に言うと、基本的な身体能力は女より男の方が勝っているのだ。
カルとナノは人間で言うところの夫婦のような深い仲にまでは至っていないが、今の状況から考えるに、これからも共に行動していくにちがいない。それに当たって、ナノはカルとあまりにも境遇に差がありすぎる。カルには無敵と呼べる光魔法があるし、カルは男だ。ゴブリンとはいえ、身体能力にはそこそこ恵まれている。神様がわざと作ったゴブリンなだけあって、他のゴブリンより数段優れている。
それに対してナノは女の子だ。特にこれといった特徴はない。ただ、責任感が強い。もし、ナノが遅れたせいでカルに何かあったとしたら、ナノはカルの足を引っ張ってしまったと罪悪感に苛まれることだろう。
そんなことがないようにつけたのが「強運」である。良い方に作用する運を強めるという加護だ。
カルの光魔法強化にナノの強運。最強と言えそうな組み合わせ。この上ないと思われる。
だが、果たして神様のこの判断が正しかったかと言われると、そこには疑問を抱かざるを得ない。
戦争に参加するつもりのないカルの力を強くして、何の意味があるのだろうか。
確かに、二人の逃避行の手助けになるかもしれない。
だが、魔法の強化が、もしゴブリンに成されていたのなら、どうなっただろうか? 進化という加護を得ても劣勢であるゴブリンに人間と対等に渡り合える力を与えていたのなら──
この戦争の無意味さに、無限にも思える連鎖に終止符を打つきっかけになり得たのではないだろうか?
対等という座を手にしたのなら、人間も少しはゴブリンという種族を見直すことができたのではないか? わかり合うという手段を取ることができたのではないか?
力が拮抗して、膠着状態になったとき、ようやく人々は和解という言葉に辿り着く。無意味さに気づき始めるのだ。人間の理解を得られたゴブリンは、少しずつではあるが歩み寄り、その意見に耳を傾けることができたかもしれない。人間もまた然り。
人間とゴブリンが対等の力を持つ世界。それがこの世界の戦乱を終わらせるきっかけになり得たのではないのか?
だが、可能性をいくら唱えてももう遅い。神様は選択してしまった。カルとナノ、ただ二人のゴブリンを守るためだけに、神様は思索を巡らせていたのだ。
他のことなど、目もくれていなかった。
人間はやがて、ゴブリン殲滅を掲げ、ゴブリンの居住する場所に火を放つようになった。
火に対しては水魔法を使えばいい。ゴブリンは全力を尽くし、水魔法で消火した。だが、その放火は一ヶ所だけに留まらなかった。
人間は水魔法で消されるより早く、火を広げていた。火とは人間の生み出した文化だ。魔法を使わずとも、人間は火を生み出す方法をいくつも持っていた。
魔法と魔法でないもので生み出されたものの相性は悪い。火魔法に依らない放火であれば、水魔法で消火するのはできないわけではないが難しい。
火は瞬く間に広まった。
もし、神様がゴブリンの魔法を強化していたなら、力押しで火を消し止めることができたかもしれない。
ゴブリンの多くが、死に至ることはなかったかもしれない。
全て可能性論であるが、あり得たかもしれない未来であることは確かだ。
神様は結局として、カルとナノという二人のゴブリンを守ることはできたが、それよりも多大なゴブリンの犠牲を出すことになった。
それより、人間のゴブリンに対する猛攻は更に激しさを増すようになり、不完全な人間として雌雄の区別はあるものの、自力繁殖能力を持たないゴブリンは減少の一途を辿ることになった。