3.6
二人は安住の地を探して旅をしていた。
というのも、カルはどうやらたくさんのものに追われているらしいのだ。人間にも、ゴブリンにも。
森の中で焚き火をしながら、カルは重たい口を開く。
「何があったかと言われると説明するのは難しい。僕は何の変哲もないただのゴブリンなのだから。……たまたま、光魔法が使えただけで」
光魔法。それは人間の間では神の魔法とされ、人間でもゴブリンでも、光魔法を使える者はなかなかいないという。ナノもカルが使っているのを見たのが初めてだ。
カルは語った。
「近頃、人間にも光魔法を使える者が誕生したらしい。どうやら、神様が『そのように作った』ものだけが光魔法を使えるらしいんだ」
「鍛練によって成せる業ではないのね」
「残念ながらね」
カルは苦笑いした。少し、神様の元にいたときの記憶が蘇ったのだ。
神様が「光魔法」という概念を生み出したのは、人間とゴブリンの間に生じた、妬み、嫉み、憎しみから形を成した「闇魔法」に対抗するためである。
闇魔法は光魔法と同様に、まだ使い手が少なく、どういうメカニズムで発動するのかもわかっていない。ただし、それは人間とゴブリンの話である。
神様は知っていた。「闇魔法」は人間やゴブリンの抱く負の感情が実体となった強力な魔法だと。発生したのは想定外で、神様は慌てた。闇魔法は危険なのだ。
戦乱の続くうち、積もりに積もった負の感情が大きな黒い塊となって、敵味方の区別なく、その身に宿す力でもって駆逐する。そんな殺戮の魔法が自然発生してしまったのだから。
しかし、光なくば闇なし。それに対抗する方法はあった。それが神様の考えた「光魔法」である。
「光魔法」は人間とゴブリンの戦端が切り開かれてから、ずっと神様が作ろうとしていた概念であった。人間とゴブリンの間の確執を断つには、その確執の元となる負の感情を浄化するものが必要だ、と。ただその浄化という概念を切り開くのに神様は苦労していた。新しい概念というのは生み出すのに苦労するし、世界への適合性というのもある。憎しみ合う世界の中で憎しみを浄化する魔法というのは馴染みにくい。譬、世界に必要だとしても。
故に神様は闇魔法が発生するまで、光魔法を生み出すことができなかったのである。
そう、皮肉なことに光魔法が生まれたのは世界に闇魔法という概念が生まれたからであった。
「闇魔法が生まれたことによってようやく形となった光魔法というものをその身に宿せる人間を神様は作ろうとしていた。人間に生まれた感情というものを神様の操作で極限までコントロールしたんだ。負の感情を抱きにくいように。光魔法に悖らぬ清浄な心が生まれるように」
確かに、現在戦乱が起きていることからもわかる通り、人間の心というのは負の感情に簡単に流される。しかし、それでは光魔法を扱う適性が足らない。
故に神様は新しい人間を作ったのだ。光魔法を駆使するに相応しい感情回路を持つ人間を。
「神様は人間にありのままであることを望んでいた。けれど、そのありのままの結果が今だ」
ゴブリン差別による戦争。いや、ゴブリンが現れる前から、人間は差別や偏見で争いを起こしていた。
「今更人間の戦争を止めようなんて遅すぎるんだ。それでも神様は諦めなかった。だから今僕はここにいる」
神様はよく言えば粘り強く、悪く言うと諦めが悪いのだろう。そうでなければ光魔法を使える人間は誕生しなかった。
──光魔法を使えるゴブリンも。
「当初の予定では、光魔法を使える人間と僕は兄弟として生まれる予定だった。人間の兄弟として。けれど、何を思ったか神様は、僕を製作途上で落っことしたんだ。わざと」
「えっ」
これまでのゴブリン誕生は寝ぼけた神様が起こした事故だった。それが、カルだけ故意?
ナノには神様の意図がわからなかった。カルも最初はわからなかったと告げる。
「でもわかったんだ。神様は、光魔法の使えるゴブリンを作ることで人間とゴブリンが平等であることを知らせたかったんだって」
「それは……」
なんとなく、結末に想像のついたナノが言い淀む。カルは苦笑いをこぼした。
「まあ、お察しさ。僕たちを小鬼と蔑む人間が、そう簡単に平等を受け入れるわけがない」
けれど、事実、カルは光魔法が使える。それがどんな意味を持つか。
「ゴブリンという下等種族と同等などあり得ない、と貴方を消しにかかった……」
「その通り。だけど、それだけじゃないんだよなぁ……」
カルが眉根を寄せて、溜め息を吐く。
「光魔法を使える僕を、ゴブリン側が祀り上げたのさ」
それはなんとも言いがたい。噂によれば、光魔法を扱える人間は、人間の中で勇者や神の申し子などと呼ばれているらしい。
ゴブリンも元を質すと人間。同じような思考回路に陥るのは仕方のないことなのかもしれない。それに劣勢であるゴブリンたちからすれば、光魔法という新たな武器を持ったカルは人間が物語で語るところの魔王を打ち倒す宿命を持って生まれた勇者のようなものに映っただろう。
「でも、僕には人間と争う気なんてなかった。だって、神様がそう作ったんだもの」
そう、そこなのだ。和平のために作られた。清い心を持って。……その真っ直ぐさが仇となった。
「人間を倒そうと提案してきたゴブリンの話を、僕は即座に蹴ったよ。僕に人間と戦うつもりはないとね。そしたら人間の味方をするつもりなのか、と問われた。当然首を横に振ったさ」
「それで納得しなかったんじゃ?」
どう答えたの、とナノが問いを口にすると、カルは悲しげに笑った。
「僕は誰の敵でもないし、味方でもない。みんな仲間なんだって伝えた」
それでゴブリンが納得するとはとても思えなかった。争うことにばかり執着するようになってしまったゴブリンが。
仲間と味方は違う。けれど、味方でなければ敵。争いの最中にある者がそう断じてしまうのは仕方のないことに思える。
「それから僕は、ゴブリンにまで追われる始末さ。おかげで逃げるのは得意になったけれど」
カルは空を見上げる。
「僕は光魔法を授けられた者として、神様の思いに報いたい。だから人間とは争わずにいるんだ。戦争が一段階したら、みんな、落ち着いて考えることができるはず。それじゃ遅いのかもしれないけど……兄弟になるはずだった人間と、話し合って未来を決めるには、それくらいが必要なんだと思う」
「……人間の勇者って、どんな人なのかしらね」
ナノもカルも、まだ見ぬ勇者に思いを馳せた。