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9.8  作者: 九JACK
18/19

9.7

 戦乱が収まった人間の世界。そうなったのは、かつて勇者と呼ばれた少年の活躍だった。

 彼はナノの元で宣言した通り、人々の心を浄化するために放浪の旅に出た。光魔法の存在が人々に容易く悪用されてしまうのは身をもって経験していたため、光魔法を持つことは隠して生きた。

 彼が光魔法を使うことを知る者には、強い浄化の作用をかけた。どうやら、浄化も強弱が使い分けられるようで、強く使うとなんと記憶まで浄化できてしまうらしい。軽い記憶喪失といったところだ。恐ろしい能力であるということを実感し、使いどころを見誤らないように少年は魔法のコントロールに精神を割いた。

 精度を求めた結果、全人間の浄化には時間を食ってしまったが、不自然にならない程度に徐々に争いを収めていくように、と少年は浄化の魔法を使った。

 人間は世界中に数えきれないほどいて、その全ての浄化を完了するまでにかかった年数は十年を超えた。

 世界一周を終える頃には光魔法の熟練度も高まり、少年はすっかり立派な青年になっていた。

 ゴブリンとの戦争が終結してからもう十年以上が経つ。ゴブリンとの戦争どころか、ゴブリンという存在すら知らない子どもも多く生まれていた。

 そこで青年は悩む。子どもというのは純真無垢だ。育て方次第で性格は変わるだろう。

 まだ悪意のないうちに、予防策として浄化をしておくべきか、様子を見るべきか。それで悩んでいた。

 青年が悩むのも仕方ないことだ。人間の間では死滅したとされるゴブリンの唯一の生き残りを彼は知っている。もし、ふとした拍子に彼女と出会ってしまったら……そんな想像がよぎる。

 今の子どもたちは、あの緑色のがさがさした肌に尖った耳、落ちそうなくらいにぎょろりとした瞳、耳元まで裂けた口に、無骨に生えた角を持つ異形を、果たして受け入れられるのだろうか。

 親は青年にすっかり浄化された者ばかりだが、どういう教育が成されているのか不安だ。

 けれどまあ、あの森には強固な結界が張ってあるから、立ち入ることはできないだろう。今や、木々が再生する「奇跡の森」として奉られるくらいだ。聖域とも呼べよう場所に、簡単に人間が足を踏み入れるとは思っていなかった。

 このまま平穏無事に、自分もあの(ゴブリン)も生涯を終えるのだろうなあ、とナノの目と同じ空を見上げて考えていた。




 そんな青年の耳に飛び込んできたのはとんでもない行事だった。

 一瞬耳を疑った。

「もう一度言ってくれますか?」

「だから、あの人の立ち入れない木々が再生する森には、きっと神様がいるにちがいない。故に、神様に直接お会いするため、こうして禊をしている」

 目の廻るような言葉の羅列だった。

 人間たちは奇跡の森の力を神の御業だと捉えた。神がおわす場所故に、特殊な力が働いているのだ、と。

 人間はいつの時代も神様という存在に焦がれる。青年が光魔法で浄化しようとも、その崇拝は純粋なものとして人間の思想の中に残った。

 純粋な神様への憧れ。憧れの人に会いたいという思いは誰にでも当然あるものだ。当たり前のものだ。だが、今はそれが問題だった。

 青年は思い浮かべる。今も尚、緑の棺に花を供え、静かに暮らしているであろう優しいゴブリンを。

 せっかく結界を張り、望みである長閑な生活を手に入れたあの(ゴブリン)の居場所を、人間の勝手な理由で荒らさせるわけにはいかない。

 光魔法の結界を張っているから森には入れないはず、と思うものの、心のどこかで鳴り止まない警鐘に危機感を抱き、青年は皆を止めた。

「神様がいらっしゃるというのなら、きっと、俗世に関わりたくないからあの静かな場所をお選びになったのでしょう。そこを踏み荒らすなんて無礼千万ですよ」

「我々は神様からの常日頃よりの恩恵に感謝をしに参りたいだけなのだ。それの何がいけないというか」

 崇拝者たちの勢いに呑まれかける青年だが、それでもあの森に入ってはいけない、と必死に唱えた。

「光魔法の申し子である僕の言うことが信じられないのですか?」

「光魔法の申し子とそなたが祀り上げられたのも今は昔の話よ。そなたが神であるわけでもない。信仰のない者に耳を貸す義理など我々にはない」

 信仰がない、と指摘され、青年は言葉に詰まる。ゴブリンの生まれを知ってから、青年はどうしても神様を崇めることができなかった。

 ゴブリンと人間の戦争はもう忘れかけられているが、元を辿れば神様が原因なのである。そんな諸悪の根源を崇めてしまっては、死んでいったゴブリンや、今も森で暮らすあの人に顔向けができない。故に青年は神を崇めることはしなかった。

 言い淀んだ青年を見て、人間は話は終わった、とばかりに遠出の支度を再開する。もはや、何を言っても聞くまい。そんな頑なな様子が行動の端々に見て取れた。

 それでも青年は最後まで行かせないように抵抗を試みた。村に封印の結界を張ったのだ。封印の結界は青年がここ数年で習得した新たな光魔法の効果だった。外からの侵入を防ぐのではなく、中からの脱出を防ぐものだ。

 それに気づいた人間たちは、青年を敵と見なし、皆で袋叩きにした。いくら光魔法使いとはいえ、多勢に無勢。あっという間に虐げられた青年は、精根尽き果て、魔力が弱まる。それにより、結界は解けてしまった。

 人間は青年を蹴りつけながら、村の外へと出ていく。青年は魔力が尽き、もう浄化の魔法を放つこともままならない。

 悔しさで滲む視界の中、青年は掠れた声で呟いた。

「ナノさん……逃げて」




 そんな青年の声が離れた森の中にいるナノに届くはずもなく。ナノはいつも通りに棺に花を供え、愛しげに笑んでいた。

 空を見上げると快晴。ナノの瞳と同じ色がどこまでも広がっている。

「今日はいいお天気ね、カル。そうそう、花畑に咲いているヒマワリがみんな太陽の方に向いているのよ。カルにも見せたいわ」

 そんな叶わぬことを紡ぎながらも、ナノは心穏やかに過ごしていた。

 だが、不穏は唐突に訪れる。




 ざっ、と小枝を踏みしめて歩く、複数の足音がした。

 ナノも最初は耳を疑った。この森全体には光魔法の結界が張られていて、人間が入ることはできないはず。そう思っていたから。

 だが、光魔法の効果を思い返し、訂正する。光魔法が侵入を阻むのは悪意や害意のある者だけだ。入ってきた人間に悪意や害意がなければ、侵入は容易い。

 それが光魔法結界の落とし穴だった。

 あのとき少年が張ったのが、後に習得した封印の結界だったなら、中から出られもしないが、外からの侵入も防げただろう。だが、今更もしもを唱えても仕方ない。

 ほどなくして、ナノは人間と会ってしまった。






 人間はナノと、会ってしまった。



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