9.0
少年と別れてから、一月が経とうとしている。ナノは異常に気づいていた。
今日も今日とて花を供えていたナノだが、緑の箱の上の花が異様なことに気づいたのだ。
何故かというなら、この一月の間、花が一つも枯れなかったから。
旬であることは確かの花たちだが、一度手折れば、花保ち期間というものがある。手折られてから一日二日経てば、花びらが散るか、見るも無残な茶色に成り果てるはずなのだ。
だが、緑の箱の上に乗った花々を見てみよ。どれも手折られたそのときのまま、みずみずしい姿を保っているのだ。皆、摘んだ日は違うというのに、どれも美しいままの姿を保っている。
何か不思議な魔法が箱にかかっていることには気づいていた。花を置くたびに、その花を包み込むように、あるいは祝福するように、小さな風が起こるのだ。ふわりと浮き上がり、やがて箱の上に落ち着く花の様子は、可憐であり、面白かった。何の害もないため、今まであまり深く考えてこなかったが。
「もしかしてこれは、永遠の魔法なのかしら?」
永遠、という言葉は人間のことを学んできたナノだ。聞いたことくらいはあった。人間は、いや、全ての生き物は、生きるが故にいつか死ぬことを生まれ出でたそのときより定められている。だが、それを受け入れがたい人間が求めたのが「永遠」だ。
死ぬことなく、ずっと世に在り続ける。その「永遠」という概念を神とし、崇め奉る者たちさえいた。
もし、その者たちがこの花を見たらどう思うだろう。
枯れることなく、朽ちることない花。──死という枠組みから外れた花という生き物。
これは永遠だ、と騒ぎ立てることだろう。もしかしたら、何故ゴブリンごときが人間の成し得ない永遠に辿り着いているのか、と妬んでくるかもしれない。それは当然、新たな争いの火種となることだろう。
ナノは悩ましげながらも、ここがもう悪意ある者の立ち入れぬ結界の中であることに安堵した。どうしてこの花々──いや、箱と捉えるべきか──に「永遠」が授けられたのか。その仕組みはわからない。まさしく、人間で言うところの「神秘」であった。神のみぞ知る、ということ。
ナノは自身の強運とカルの祈り、少年の光魔法で成されたことを知らぬまま、ただ花々を永遠にしていく作業を続けた。
仕組みを知ったとしても、原初のゴブリンにしてただ一人の生き残りであるナノにできることなど、もうなかった。
ナノが永遠を手にしたとて、それは人間との争いの火種となるだけ。もう戦いなど見るのも嫌だったナノは、森に留まり、カルに花を捧げる日々を続けることを選んだ。
花を摘むうち、わかったことがある。
この箱にかかっているのは確かに永遠の魔法だが、それは生命の時間の進みを止めているだけに過ぎない。つまり、花やカルの遺体が腐敗しないように繋ぎ止めているのだ。だが、それは生きている生命には適応しない。
カルの遺体から矢が貫いた傷痕がなくなっていることは、ナノが平静を取り戻してからすぐに気づいた。ちなみに貫いていた矢は、カルの遺体の脇に丁寧に添えてあった。
棘を取ったはずのバラは、いつの間にかその棘を取り戻しており、ナノはいつも触れないように気をつけている。というのも、ナノは棘に気づく前、棘で怪我をしたからだ。あるはずのない棘によって。
棘は取り除いたと思っていたからこその出来事だった。そこでようやく、手折られた花が「再生」していることに気づいた。バラの棘のことがなければ、ただの「永遠」だと思っていたにちがいない。
いや、この箱にかかっているのが永遠の魔法であることに変わりはない。ただ、厳密に言うと、その永遠は人間の目に留まらない速さの「再生」によって成されているのだ。
再生であることに気づいたナノは、ある日、花を手折って傷ついた手を、試しに箱につけてみた。もしかしたら、箱に触れれば、自分にも「再生」がはたらくのではないか、と考えて。
しかし、結果、ナノの傷は永遠の魔法にかからなかった。花は箱に触れればかかったし、箱の中のカルだって体は再生されている。けれど、ナノの怪我は再生しなかったのだ。
他にすることもないため、ナノは考えた。再生したカルの体や花とナノの違いを。
何日か考え込んで、ふと、日課となった花摘みをしているとき……そう、花を手折った瞬間に閃いたのだ。
花は手折られたその瞬間に命を終える。人間やゴブリンで言うところの「死」が訪れる。ナノが供えた花はナノが手折り、死なせた花だ。そしてカルは、矢を受けたあのとき死んだ。
一方、ナノは、この通り生きている。
これが、違い。
「永遠」とも言える再生は、奇しくも「死」をもって得られるものだったのだ。
なんと滑稽なことだろうか。人間は「永遠に生きられる命」を欲するのに、永遠を手に入れるためには、死なねばならないのだ。
だからこそ、この真実は隠し通さなければならない。現実は残酷だ。時に人間の残虐性をも凌駕する。──ナノは永遠の真実をもって、そのことを実感した。
もう、悪意のある人間は、この森には入って来られないし、この森を害することはできない。それが幸いだった。
少年が光の結界を張っていってくれなければ、この残酷な真実が世の明るみに出てしまったことだろう。人間より劣るとされるゴブリンの脳で気づけた事実だ。人間がこの箱を見て気づくのは時間の問題だろう。
この箱──永遠の棺は、人間の目に留まらないこの場所に秘められておくべきなのだ。ナノはそう考えた。
故にこの棺に花を供えながら、守をしようとナノは励んだ。ナノもゴブリンとはいえ、一つの生命。いつか、死の眠りがやってくるであろう。そのときまで、この真実を人間から守り続ける。それが生き残り、永遠に辿り着いた自分の成すべきことだと信じた。
いつか死に至ったときは、唯一理解しあえた最愛の人の傍らで眠ろう、と思っていた。
永遠が魂を繋ぎ止めているかは定かではないが、骸だけでもその傍らにありたい。
ナノは尚もカルのことを想い続けていた。死するそのときまで、この想いが変わることはないだろう。
何故なら──
何年、何十年と経っても、ナノはその棺に、花を供え続けていたから。