8.4
少年とナノの出会いは予想外だった。だが、これはチャンスだとも思った。
少年はカルと同様、神様が作った特別製だ。ゴブリンであるナノに害を与えることはないだろう。
神様が何を考えたか。光魔法使いには光魔法も効かない。光魔法も例外なく魔法であるからだ。故に、カルの放った浄化の作用は少年には効かない。だが、少年は光魔法を使うために負の感情を抱かないように作られているため、浄化の必要はないのだ。
二人が話し合う姿を見た。二人は争うこともなく、ただ話し合っていた。争う様子はない。その二人の様子を見て、神様はある可能性を思い浮かべる。
もし、人間としての光魔法使いでまだ発達の余地がある少年の光魔法を強化し、それがナノの強運と合わさったなら?
それに、まだカルの魔力が漂っている。死んでからあまり時間が経っていないため魔力が残っているのだ。
ナノと少年の会話に耳を傾けると、どうやら、森に結界を張るつもりらしい。
これは好機、と神様は考えた。ナノの強運を強化した少年の光魔法を合わせてみることによって、新しい効果が表れるかもしれない。
神様はすぐに人間の光魔法使いに光魔法強化の加護を与えた。それは少年が結界を展開するのとほぼ同時に成され、ぎりぎり間に合ったという感じだ。
そこで予想だにしない反応が表れた。残留していたカルの魔力が、与えられたのが同じ加護であるからか共鳴し、少年の魔力と混じり合って広がっていったのだ。浄化という強い意志を宿した二つの魔力が結ばれたことにより、強固な結界が展開される。更に、神様の意図した通り、ナノの「強運」も作用した。強運はナノが無意識のうちに多用していたこともあり、神様の思惑の範疇を超える結果を出した。
森は光に満ち溢れ、放たれた火に灯る悪意を取り除き、魔法と物理の相性の悪ささえ凌駕して火を消し止めた。しかし、その光魔法の効果はそこに留まらない。悪意により朽ちた木を蘇らせた。
蘇り。それは命という必ず死という終わりを与えられる理に反するものだった。傷が治ることはある。もしかしたら、そういった再生の範疇の出来事だったのかもしれないが、再生というには速い復元は蘇りに映った。人間も神様も到達したことのない蘇りという領域はやはり、「奇跡」と称するより外ない。
ナノの強運が奇跡を呼び込んだ。そして奇跡は神様が与えた以上の加護を広範囲にもたらした。そう、ただでさえ強かった少年の光魔法を強化したのだ。結界の範囲が広がるのも当然と言えよう。少年の展開した結界は奇跡を孕んで、森から花畑までを覆った。
それから、よく見ると、カルの遺体があった場所に緑色の箱が生まれている。神様が授けた覚えはないから、おそらく、弾みで生まれたものだろう。カルの魔力が濃く固まっている。カルの傍らにいたナノの魔力も混じっていた。
神様が訝しげにその箱を見る。中にはカルの遺体が納められているようだ。直接見たナノと少年は気づかなかったようだが、カルから矢で穿たれた傷痕が消えていた。もしかしたら、この箱も、森に展開された結界と同じ効果を持ち、カルの傷を再生して治したのかもしれない。だが、カルを生き返らせるには至らなかったようだ。蘇ったように見える木々も、元に戻っただけで、命あるようにこれ以上成長することはないのかもしれない。
けれど、神様にはわかった。その箱は蘇りにも似た強固な再生の能力がある。それはよほどのことがない限り解けないまじないのようなもの。
「……永遠」
神様はその現象の名前を知っていた。それは永遠。神様に与えられたものによく似ている。
神様はいつからこの世界の神様だったかはもう覚えていないし、神様でなかった時代など覚えていない。ただ、使命を理解していた。「生きとし生けるものを生み出し、育み、栄えさせよ」と。誰が命じたわけでもないが、神様は自分の中にあったその言葉を実行し続けてきた。
まずは自分の踏む地面を下界の空間に敷き詰めて、土とし、その土を丈夫にするものを作った。それが土に根を張る植物だ。
しかし、植物ばかりが地面を覆い尽くし、各植物は生存競争のため、陣地を奪い合い、あぶれる植物が死んでいった。命を育まなければならない神様は、焦って考えたのは、植物同士の平和を保つために、植物を食すものを生み出すという策だった。それで動物が生まれた。
動物の中で神様がなんとなく作った形がやがて人間となり、意思を持つようになって、植物と動物のバランスを適度に保ってくれる存在になった。
神様は人間の存在を歓迎していた。人間がいることで世界の調和が取れると思ったのだ。人間同士、戦争をするが……世界的に見たら、その損害は微々たるものだった。人間の戦争によって、動物や草花の多くが命を失うが、人間より長くを生きる生命たちは強かで、すぐに新たな命を芽吹かせる。神様がデザインしやすい形だったこともあるだろう。
何を、どう間違えたのか。神様はさすがにわかっていた。自らの過ちを。作りかけの人間を世界に落としたことにより、ゴブリンが生まれ、ゴブリンと人間が対面したことにより、争いが起こった。元を辿れば、神様が悪いのだった。ゴブリンたちが怒るのはもっともなのである。
しかし、それを諭すには、人間は独自の文化を開拓しすぎていた。人間の文化に固執しすぎていた。
それが人間とゴブリンの、世界史上最も激しい戦争に繋がったのだ。
結果はゴブリンの敗戦。しかし、人間はゴブリンを負かすだけでは飽き足らず、ゴブリンの殲滅を掲げた。
人間とは不思議な生き物で、つい先日まで歪み合っていた者同士でも、同じ敵の前では強固な結託を持ったりするのだ。つまり、ゴブリンを殲滅するという共通の大義名分が人間を残虐なまでに動かしたというわけだ。
神様が世界を見たところ、ナノ以外のゴブリンはもう生きてはいない。ある者は仲間を質に取られ、泥を舐めるなどの屈辱を味わいながら殺され、ある者は果敢に抗うも仲間を殺されたことにより心を折られ、ある者は死なない程度の傷をこれでもかと重ねられ、なぶり殺された。
自死を選んだ者も少なくない。命を育むべき神様としては、自死というのは最も悲しい死に様だ。けれど、その死の原因は神様が誤って生み出してしまった結果だ。神様は後悔に苛まれていた。
いっそ自死した者たちのように、首を括って死んでしまおうか、とも考えたが、神様のところにあるのは、命を作るための粘土だけ。粘土は縄の形にしても、刃物の形にしても、それにはならない。神様は自分を殺すことはできなかった。
粘土を飲み込み、窒息死という手もあったが、神様は、命を作るための粘土を口に入れることすらできなかった。神様は神様という運命から逃れられないということか。
そもそも神様が世界を放棄してしまえば、世界は終わる。いや、「なかったこと」になる。だが、命を作る神様は知っていた。一度生まれてしまったものは、決して「なかったこと」にはならないのだ。
故に、神様は世界からも役目からも逃げることはできなかった。
神様ですら奇跡と称する、ナノの前に起こった現象、「永遠」。それは神様に課された忌まわしい鎖であるが、皮肉にも神様が生み出した人間が焦がれた現象であった。
緑の箱が現れただけのそのときは、まだ疑念を抱いていた。だが、その疑念は後日に打ち砕かれる。