6.6
浄化。それは神様が人間に祈った、「清くあるように」という願いの賜物だ。言葉を変えれば、光魔法の特性である。
光魔法の特性は悪意ある魔法を無効化することと、もう一つが浄化である。どちらかというと、神様が重きを置いていたのは後者だ。
人間もゴブリンも争いに囚われすぎた。長きに渡る戦い故に、その心は醜く育ってしまった。その本来は美しいはずだった心を、思いを取り戻してほしくて、神様がもたらしたのが、「光魔法」という概念だ。
やり方は綺麗な心を取り戻すというよりはまみれた悪意を取り除くという方が近い。だが、悪意が除かれることによって、以前の清らかな心に戻る、と神様は考えたのかもしれない。
結果として、もう一つの特性により、戦争の道具として扱われることとなってしまったが……
ナノはカルから聞いていた光魔法という概念の話を少年にした。少年は自身も光魔法の使い手だからか、すんなりと理解した。
同時に、戦いのたびにもやもやと彼の中で渦巻いていたものの正体もわかった気がした。
「本当は、戦うため、ではなく、戦いを収めるため、の力だったんですね……」
何かが間違っているような気がする。そんなぼんやりとした違和感には気づいていた。その正体が掴めて、一つすっきりしたような気がする。
「カルさんは、その光魔法の特性を使って人間の悪意を浄化した……それが成功して、あの人たちから悪意が失われた……だから去っていったし、死んだゴブリンを憐れんだし、自ら着けた火を消しにいった、というわけですか」
「たぶん、そうだと思う」
そこでふと、ナノはカルの浄化の効果を受けなかった少年を警戒するが、少年はカルと同じように「悪意」を持たないよう神様に作られた「特別製」だ。元々悪意がないのだから、光魔法の浄化を受けなくても問題ないというわけだ。ナノのことも偏見を持たずに助けてくれたことだし。警戒する必要はないだろう。
今更の話でもある。
ナノはほう、と息を吐き出した。それは安堵の溜め息だった。自分の身の安全がひとまず確保されたこともそうだが、カルが最期に成した神様の願いの成就が嬉しかった。光魔法の使い手として、与えられた使命を全うできないまま、死に至っていたとしたら、カルはどれほど無念だったことだろう。譬、ほんの一握りの人間に対してであっても、神様から与えられた天命を果たすことができたのだ。人間で言うところの名誉ある死と称しても遜色はないのではなかろうか。
「僕の成すべきことがわかりました」
少年は真っ直ぐ前を見る。
「この浄化を、人間に広めていくべきなのだと……それが僕にしかできない、僕の役割だと理解しました。カルさんができたのだから、きっと僕にもできるはずです」
「……そうね」
決意に満ちたその琥珀色の瞳は、湖にナノを突き飛ばしたときのカルを思わせた。ナノを貫くはずだった矢を受け、最後の力を振り絞って、浄化を成したカル。同じ光魔法使いだからか、元々兄弟として生まれる予定だったからか、カルとこの少年はゴブリンと人間という違いはあれど、よく似通っていた。
少年にカルの面影を見、ナノは自然と涙を流していた。
空色の瞳で少年を見、懇願する。
「どうか、どうかお願い。この戦いを終わらせて」
それはナノの切実な願いだった。
終わらせて、といっても、ゴブリンのほとんどが死滅してはいるが。
どこそこ構わず、排ゴブリンを掲げて森に火を放つという蛮行は見ていられなかった。まだ他の地にも、生き残ったゴブリンがいるかもしれない。それを人間に滅ぼされたら……元々、人間や他の動物のように繁殖機能を持たないゴブリンという種族はたちまち滅ぼされることだろう。
これ以上何も失いたくない。それがナノの願いだった。
それから、とナノは辺りを見渡す。焦げ臭さがなくなっているから、きっと人間は火を消すことに成功したのだろう。
ナノはカルの亡骸に目をやり、悲しげに見やってから、口を開く。
「この森に、結界を張ってほしいの。私はもう、人間と争いたくないから」
元々、カルと共に、この森で一生を遂げるつもりでいた。故に、花畑には結界を張ったのだが、森には張っていなかった。たまに来るだけだからと思って油断していたのが今回は裏目に出たようだ。
もう、この森には悪意ある人間が立ち入れないように……しかし、ナノには光魔法は使えない。となると、結界を張るのは光魔法使いである人間の少年に頼むしかなかった。
「もちろん、いいですよ。いえ、僕にできることなんてそれくらいですから、やらせてください」
少年は言うなり、光魔法を展開した。結界を張っていく。
そこで異変が起きた。
「あれ? いつもと魔力の流れが違う……」
少年がその違和感を口にしたときには、術は成っていた。
森を覆う結界を展開したはずなのに、現れたのはカルを囲う棺。深緑色をしていた。それが現れると、森の空気が変わる。
ナノが森に迸る魔力に目を見開いた。
「……カル!?」
そう、棺を中心に流れていく魔力はカルの光魔法のものだった。
カルと少年、二人の光魔法が絡み合い、強固な結界を作り出す。光を祝福するように森の木々がさざめいた。
少年は不思議といつもよりも光魔法を駆使できているような気がした。浄化という作用も先程よりはっきりと理解できる。
森の火を消した人間は、奇跡を目にしていた。
自分たちが来た湖の方から光が走ってきたかと思うと、無惨に焼け焦げた木々が見る間に元の姿を取り戻し、立ち直っていくのだ。
森には死んだゴブリンと自分たちしかいなかった。何故火が着いていたのか、人間たちは浄化の副作用で忘れているのだが、焼け落ちた木々に心を痛めていた。それ故に、今起こった現象に感動し、奇跡と捉えた。
神が祝福した森なのだ、と誰かが唱える。それに賛同する者は次々現れた。
この超常なる現象が神の御業でなくして誰が成したものだというのか。
それから、人間は人間の間に御触れを出した。その森には近づいてはならない、と。神が自ら加護を与えた森だ。よからぬことを企めば、ただでは済まないだろう、と。尾ひれはひれがついたが、それはあながち間違っていなかった。
光魔法の結界の作用で、悪意ある人間は森の中に入れなくなったのだから。