なつか
「ナツコイ企画」参加作品です。
人生の夏は厳しく辛く、その日照りと豪雨に耐えかねて彼はやってくる。
ギラギラと照りつける太陽が、急に分厚い雲に覆い隠され、ビュービューと風が吹く。辺りは一面灰色の世界となり、大粒の雨がボツボツと降りはじめた。
― ぽーん ―
いつもはお客なんて誰も来ない、荒れ地の真ん中にポツンと建っている小屋に、お客が来た合図の電子音が響く。
重そうに扉をギイと引いて、若い男が入ってくる。強風にあおられるように扉を閉めて、雨に当たって濡れてしまった髪の毛をかき上げながらこちらを向いた。
「雨宿り、良いかな」
水も滴る良い男、とはこの人のためにある言葉だと思う。
濡れた髪の毛が少し張り付いた彫の深い顔、存在感のある黒々とした瞳。
「どうぞ」
一瞬心臓が跳ね上がりそうな衝撃を受けつつも、それを表面に見せないように、笑顔でお客を迎える。
彼は安心したように微笑むと、店内に足を踏み入れた。ピカピカに磨き上げられた床の上に、彼の靴が足跡を付ける。
大きな靴。
荒れ地を通ってきた、くたびれた靴。だけど、彼の足跡だと思うと、そんなに嫌じゃない。彼が来てくれたことの方がずっと嬉しい。
彼はタオルとスナックを棚から選び、カウンターに置いた。
「袋、いります?」
「いや、いいよ」
カードで支払い、すぐにタオルで頭を拭いた。
「前のお姉さん、替わっちゃったの?」
彼は私の顔なんて覚えていない。初めて会ったと思ってる。毎年そう。だから毎年、彼がどうしてこの荒れ地にいるのかを教えてくれる。
「夏になると、この地方勤務なんだよ」
何の仕事かは知らない。そこは教えてくれない。聞かなくてもかまわない。
「このすげえ雨は変わんないな」
雨のことは覚えているのか、と感心する。そのわりに、毎年この大雨に吃驚してこの店に駆け込んでくるけど。
「あ、コーヒー」
彼はカウンターの高い椅子に腰を掛けると、コーヒーを注文する。さっき買ったスナックを開けている。
「サイズは?」
「普通のヤツ」
いつも通り“普通の”と答えられるので、普通のを淹れる。
「どうぞ」
良い香りを漂わせながら、彼の前に置くと、彼は大げさに驚いて見せる。
「うわっ、デカ!」
「これが普通サイズですよ」
毎年このやり取りをするのに、この店の“普通サイズ”を覚えようとしない。
「うん、うまい」
香りを楽しんで、美味しそうに飲む。この顔が好き。
ううん。顔だけじゃない。声も仕種も、みんな好き。
こんな荒れ地の日照りや豪雨なんて、覚えていたくないだろうから仕方がないけど、私はあなたのことを覚えている。好きって気持ちだけはどんどん蓄積されるけれど、あなたには私の顔すら記憶にないなんてね。
彼がコーヒーを飲むのを、うっとり見る。
ゆったりとした店内音楽とコーヒーの香りが彼によくマッチしている。裏腹に私の心は浮ついたまま。
「ん?お姉さん、楽しそうだね」
視線に気づかれただけで、嬉しくて胸が甘く痺れる。
「ええ。お客さん、久しぶりだから」
そう言うと、彼は笑った。
彫の深い顔がく可笑しそうにゆがむ。笑顔ってなんて素敵なんだろう。
少しすると、外の様子が変わった。あれだけ鳴り響いていた雷は遠くに去って行った。雨ももう小降り。
黒い雲が風に押しやられて、入れ代わりに太陽が熱い視線を送ってくる。
「やあ、やんだな」
「やみましたね」
「外は暑そうだなあ」
「暑いですよ、きっと」
彼はまた笑ってくれた。
「じゃ、また雨が降ったら来るよ」
「ええ、ありがとうございました」
ささやかなやり取りをして、彼は店を出て行く。
不毛の荒れ地で働く彼を見送る。
夏は暑く、夏は豪雨で彼を連れてくる。
彼はここで夏の痛みを癒す。あなたが元気になるのなら、私のことは忘れて構わない。
だからまた、日照りと豪雨に倦み疲れたら・・・
ここは一里塚。
夏の日照りに現れる一里塚。
思いを募らせてあなたを待つ。
また来年の夏に。