1-3
俺は帰り支度を済ませた。帰り支度と言っても、回収した荷物を纏める程度だ。一昔前は仕事場に行く際、定期券やら紙媒体の書類、筆記用具と呼ばれる、前時代的な品々を職場に行きも帰りも持って行くという事をやっていたらしい。
そんなものは不要で、今はそれらはこの携帯端末一つで事足りる。スマートフォンと呼ばれていたときもあったが、今では前述した身の回りのサポートに加えて、電脳サポートシステムの設定など痒い所に手が届く一品となっている。『スマート』という言葉で纏めるには、余り余る性能だ。
暫く続く長い休みの予定をどうするか、胸を踊らせつつ廊下を歩いていると、一人の女性がこちらにやってきた。
女性と言うより、少しばかり少女とも言える容姿だ。童顔と言うのもあるが、大体は髪型や服装で幼さを消すものだが、この娘は違う。
良く学生がやる、名前まで分からないが髪を後ろで縛って垂らす奴だ。特に三つ編みにしないで、纏めた一束をそのまま下ろしている辺りがドストライク。童顔を生かしていると言えるだろう。
しかしこんな仕事に就くより、もっといい仕事があっただろうといえる美人なのだ。
「すいません、何か有りましたか?」
どうやら、この少女……もとい美女に見蕩れてしまい、歩みを止めていたらしい。
「ああ、すまん。連日泊まりこみで仕事していたもんで、疲れていたんだ」
あくまでフレンドリーにしかし、礼儀正しく。この仕事場にも美女と呼ばれる希少価値の高い人種がいるのであれば、お近づきになるのが常套手段ってもんだ。まあ、そんなの関係なしに、仲良くなりたいだけっていう、欲望丸出しの気持ちは置いとく。
「お疲れ様です。特に何も無いのであれば、失礼します」名前と連絡先でも聞いてから帰ろうと思ったところなんだ。結構あっさりと帰ろうとしてくれる。
〔 今の平和は無くなる。あなたが持っているのは鍵 〕
すれ違いざまに聞こえた言葉。中二病発言とも思えるが、何故か聞き返さなくては行けないと思った。
それは聴覚ではなく電脳自体に音声情報が送られたからだ。
「ちょっと待て!
それはどういう意味なんだ!」
電脳に直接情報を送ると言う事は、俺の電脳アドレスを知っているという事。そして音声だけでは無かった。彼女を追いかけようとした時、連続して脳裏に映される昨日の映像。礼司から届いたUSB、その中のファイル。
ああ、これは“思い出させられてる”んだ。電脳が引き出した記憶を、脳に見せている。こんな芸当、相当なハッカーじゃなきゃ出来ない。
記憶の再生が終わると、彼女は居なくなっていた。
一体何だったんだ……。美女だと思って気分よくしていたら、とんだ『設定』突っ込まれて、危うく不思議の世界へレッツゴーだった。
美女に謎の設定を強要される謎のプレイが、わずかばかりの時間発生しどうすることもできなかった。あれはいわゆる、痛い子然り、中二病と呼ばれる人種なんだろう。完全に置いていかれた。
仕事中の相田にこの事を話てみると、「そんな人居たのか、知らないけど良いじゃん。まあ、言ってくることはおかしいけどな」
容姿は良いとでも言っているんだろうか。それと、流石に電脳に入られて、『過去の記憶を思い出させられた』なんて事は言えない。こんな事を言ってきた程度に抑えたが、味覚エラーを起こしても、物事の処理部分にエラーは出てないんだ。あのコーヒーは至って良心的だ。
何事もなかったかのように俺は家路についた。もちろん、この連日の泊まり込みで、伸びた髪の毛を切りたかったのだ。
ちょうど家の近くにはなんでも揃ってる。こういった時は本当に困らない。伸びきった髪の毛は、ベリーショートになった。お試しという事もあったが、長過ぎて切る期間を開けたくなったというのが理由だ。もちろんのことだが、髪の毛を切るという事もAIによって制御されている。世の中便利になった。これは覆しようもない事実だ。
もう一つ、今住む家は電脳開発センターからほど近い場所にあるマンションだ。この近辺は都内で仕事を持つ人達の、いわゆるベットタウンのような場所になっている。食品関係も欲しければ電脳や携帯端末から注文し、家事AIが勝手に仕事をしてくれる。一等地のベットタウンならではのサービスだ。
しかし、少し離れた場所に行くと、古びた家が立ち並び、失職者の住む地域となる。
更に遠くへ行くと、人が全く住んでいない廃墟街になる。昔は住んでいたが、居なくなってしまった人達。そういった人たちはどうしたのか。
現在、専用コンピュータや公共施設において、電脳を使い『一定時間』コンテンツ楽しめる様になっている。この一定時間を超えてしまった場合、自動的にアクセスが解除されるようになるはずだ。
しかし、そのアクセス解除を無効にするツールが横行し、時間を超過してアクセスしてしまう。結果的には意識自体をマシンに囚われ寝たきりの状態になってしまう。