幕間 50年前
本日2話更新です。ご注意ください
お見合いは上手く行っていた。文通していたからだいたいの性格は分かっっていたけれど、彼はそれ以上に気さくで良く笑う、優しい人だった。ただひとつ、そこそこ年上だというのが気になったけれど。本国から南にあるこの国は温暖で過ごしやすかったし、神々への信仰を大事にする人ばかりで、王族の務めだとしてもこの国で生きていくのは恵まれたことだと思っていた。
それを台無しにしてくれたのは、さらに南にある国からの侵略だった。同じ吸血鬼族が治める国だというのに、同じ神々に祈っているのに、何が気に入らないのか攻めてきたのだ。
私たちが慌てて本国に帰る用意をしていると、未来のお養父様が、私の婚約者を連れてきて、一緒に連れて逃げるよう頼んできた。戦況は、すごく悪いらしい。
私たちは休憩もまともにとらずに国境まで急いだのだけれど、国境を守る要塞に着いたときには、もう敵に追いつかれていた。
「貴方は、このまま本国に向かって」
そう種族特性上青い顔をさらに青ざめた婚約者に言う。
「し、しかし……」
「しかしもかかしもないの! 良い? 貴方は母国の最後の王族になるかもしれないの! だから、私の国に行って、全てを伝えてきて!」
「なら、君も一緒だ!」
「それは無理」
もともとそんなに重要な拠点じゃなかったからこの峠道にある要塞にこもる兵は五百しかいないのに、攻めてくる敵は少なくても三万はいた。おまけに、この要塞の後ろにはまともな軍事施設は無かったはずだ。
「誰かがあいつらを足止めしないと。私は 『ハイエルフ』 だからね。あれくらい何とでもなるよ」
「なら、私も!」
「だから、貴方は最後の王族なの! その言葉は嬉しいけれど、王族の務めを果たして。良い?」
そう説得すると、婚約者は苦虫を噛み潰したような顔で 「分かった」 と言って要塞を去っていった。
平気な顔をしていたけれど、婚約者が要塞を去った瞬間、私は震えが止まらなくなった。さんざん魔法の訓練はしてきたけれど、人、どころか生き物に撃ったことは無いし、戦い自体どこか遠い所の話だとずっと思っていた。それでも、今ここにハイエルフの私がいることは神々の思し召しだろうと思ったし、護衛の近衛兵の話だと遅くとも三日経てば援軍が来るはずだ、と言っていたし、側付のみんなもいるから大丈夫だと思って戦いだした。
でも、それは間違いだった。
初めの二日は敵の攻め方が単調だったこともあって死者も出ずにいたけれど、三日目になろうという時から敵の攻撃は激しくなり、一人、また一人と死んでいった。あまりに兵士が死んだせいで救護に当たっていた私の侍女も、負傷した兵士も、通じない通信を試みていた影も狩り出されては死んでいった。
やめて、と叫びたかった。何で、と泣きたかった。助けて、と祈りたかった。だけど、敵はそんな暇も与えずに攻め続け、気付けば戦いだしてから四日経っていた。だというのに、援軍は来なかった。
それでも、僅かに残った兵士をつたなく激励しながらも戦い続けた。それが出来たのは、神々への信仰と近衛兵の奮闘のお陰だった。だけれど、
「――、戦死!」
七日経ち、近衛兵の最後の一人が死んだ時、私の中の何かが壊れた。
** *
気が付けば、一人で戦場に立っていた。かなり数を減らした敵は私の魔法の届かない所にいて、私は歩く体力も無かった。
「はあ、はあ……」
荒い息を整えようと大きく息を吸うと、硝煙と血と何かの腐る匂いがした。峠は敵の砲撃と魔術で広くなり、要塞は完全に崩壊し、地面は血と肉片で赤黒く染まっていた。神々は、最後まで助けてくれなかった。
「畜生……」
汚い言葉を吐く。助けて欲しい時に助けてくれない神々など糞食らえだ。心の中でありったけの罵詈雑言を神々にぶつけているというのに天罰も何も起きなくて、ああ、神々はいないのだ、と思った。
そのまま攻めてこない敵を眺めて、体力が回復して、さあ攻めようと思ったところで、後ろの方から多くの足音がした。やっと援軍が来たのか、と振り返ると、そこにいたのは我が国の黒い軍服を着た兵士と、友好国の青い軍服を着た兵士だった。どうやら、神々はいなくても運はあるらしい。
「アイリス・マギア殿か?」
青い軍服の先頭に立つおっさんがそう言った。
「そうだ。私がアイリス・マギアだ。『戦時法』 に基づき我が国の兵は私に従え。連邦の兵士諸君も手伝ってもらえればありがたい」
そう言うと、ざわついた後、兵士達は敬礼した。
「よろしい! ならば銃を取れ! 着剣せよ! 戦闘だ!!」
私の言葉に、兵士達は困惑した表情を浮かべながらも、黒い方は銃剣を銃に付けたが、青い方は何もしなかった。
「何だ? 連邦の兵は揃いも揃って腰抜けか?」
そう言うと、困惑を深めた顔で青服のおっさんが尋ねてきた。
「なあ、嬢ちゃん。何をする気だ?」
「何って、言っただろ? 戦闘だ。それに嬢ちゃんではない。アイリスだ」
「戦闘、って、正気か!?」
おっさんはそんなふざけたことを抜かした。
「正気? そんなもの戦場に必要ないじゃないか。それにこれからあそこまで行って、皆殺しにする。それだけの簡単なことだろう?」
眼下の敵を指差すと、おっさんは 「何故だ?」 と尋ねてきた。
「何故? そんなの簡単だろう。やつらは敵で、おまけに友好国を滅ぼした。それ以上の理由が必要か?」
私の言葉を聞いて、おっさんは哀しそうな表情を浮かべて尋ねてきた。
「嬢ちゃん、側付の者はどうした?」
私は何故そんなことを尋ねられたのか分からなかった。
「……死んだよ、全員」
「……そうか。で、どう思った」
そう尋ねられた瞬間、私は頭が沸騰したかのような怒りに襲われ、言葉を忘れそうになったが、それを押さえて言った。
「どう思った?? そんなことが重要か?」
「ああ、重要じゃ。『戦時法』 を持ち出した、と言うことは、嬢ちゃんはもう軍人だろ?」
「……そうなるな」
私は、おっさんが何を言おうとしているのか分からなかった。
「なら覚えておけ。嬢ちゃんの怒りは最もだ。憤りは当然だ。ワシも嬢ちゃんの立場ならそう思っただろうし、そう行動したいとは思う。だが、嬢ちゃんはもう軍人だ。それも、力ある立場のだ。ワシらみたいな軍人は、幾ら怒っても、幾ら悲しんでも、それを行動に反映することは許されない。ワシらは軍人だからだ。だから今は押さえろ。怒りは、全てが終わる 『その時』 まで取っておけ。もしそれが出来ないようなら、今すぐ頭を冷やして来い」
何をふざけたことを言っているんだ。一体こいつに何が分かるんだ。そう思った。
「何を……」
「それすら出来ないなら、今すぐ戦場を去れ!」
だが、私の言葉は怒鳴り声にかき消され、反射的に怒鳴り返した。
「嫌だ!」
その声におっさんは心底心配そうな表情で私を見た。
「みんな殺されたんだ! あいつらに! 殺して何が悪い!!」
私は、自分で何を言っているのか分からなかった。ただ感情のままに言葉を吐き出していた。
「ああ、悪いとも」
そんな私におっさんは諭すように言った。
「どんな理由があろうとも、『殺人』 は 『悪』 だ。嬢ちゃんはもう十分殺しただろう。軍人になった以上、殺すな、とは言わんが、無駄に殺すな。良いな?」
もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。何を考えているのか分からなかった。何も考えたくなかった。ただただ無性に、泣きたかった。
「なんで……」
そう気付くと、もう止められなかった。
「うわああああああああああああああああああ!!」
私は、ただただ泣いた。泣いて泣いて、泣き続けた。