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サーペントより北に二十キロ、ヌドラ丘陵から南に四十キロに当たる地点に、地元の人が 『見返しの丘』 と呼ぶ丘がある。ふもとには石畳の街道が東西に走っており、ふと視線を上げると遠くにヌドラ丘陵の向こうにある山脈がうっすらと見える。少ない人数で南部戦線を構築するのに、ここほど良い場所は無いだろう。参謀長のロイド大佐と話し合っていた通り、ドラクル率いる援軍を得てここに野戦陣地を構築し始めて三日目、ゲン爺と大公に至急、と呼び出されたのでサーペントに車で向かった。サーペントは前来た時と比べると、活気がある感じがした。行政府にそのまま乗りつけると、賑やかなやつが行政府の木の扉を開けて現れた。
「まさか、我が国以外に 『自動車』 を実用化していた国があるとは!」
そう言って青い肌の男は車のバンパーをなで出す。
「お前は誰だ?」
尋ねたが、男はなにやらぶつぶつ言って答えない。
「構造は……魔力が妨害されてて良く分からないなあ」
「いきなり飛び出るでないわ」
困惑していると、ゲン爺が開きっぱなしの扉から出てきた。
「おお、やはり嬢ちゃんじゃったか」
苦笑して返し、尋ねた。
「ゲン爺、こいつは誰だ?」
「おお、こいつの件で呼び出したのじゃったな。こいつは、ボルタ・サージェント。サンド皇国第三王子で、皇国の派遣軍の総司令官じゃ」
「サンド皇国と言うと、あの砂漠の国か?」
サンド皇国は、西大陸最西、最南に位置する国家で国土の半分が砂漠に覆われている国だ。その砂漠では多くの魔物が生息するため、魔物からしか採れない天然ものの魔石の一大産地として知られている。その国土とそれに依存した経済体制より、砂漠の国と呼ばれている軍事強国だ。まあ、我が国やガンド連邦とは比較にならないのだが。
「あまりその名で我が国を呼んで欲しくは無いかな? 出来れば、皇国、と」
ようやくバンパーをなでるのを止め、こちらを向いて言った。青い肌に黒い瞳、砂色の軍服。髪の毛はターバンのせいで何色か分からない。
「皇国な、分かった。私は魔導帝国軍中将のアイリスだ。ひとつ聞きたいのだが、皇国の代表が蒼魔族、というのは西方大陸的にどうなのだ?」
嫌味に聞こえるかもしれないが尋ねる。西方大陸ではヒュマノス至上主義が幅を利かせているため、その他の種族は差別されることが多い。戦場では捨て駒にされることも多く、このまま聖教国側の戦線に行けば、皇国軍は捨て駒にされるだろう。
「西方大陸? というのが気になるけど、そんなことを言ったらハイエルフを総指揮官に送ってきた魔導帝国もじゃない?」
ボルタはそう返した。そこに嫌味が全く感じられないのは、彼の人柄だろう。
「どうせ我が軍は聖教連合軍に参加する気は無いからな」
そう答えると、ボルタは首をかしげる。
「どういうこと?」
「嬢ちゃん、ワシにも理由を聞かせてくれ」
ゲン爺も苦笑しながら尋ねる。
「どうもこうも、今回の戦争は聖教国の外交戦略の失敗のせいで起こったことだ。それに付き合うのはお人好しと馬鹿だけだということだ」
「ふむふむ」
ゲン爺は納得したようにうなずいているが、ボルタはまだ首をかしげている。どうやら、頭の回転は遅いほうらしい。
「つまり、どういうこと?」
私は、ため息をのみこんで答えた。
「つまり、東部と南部には敵兵が来ないようにして義理は果たすから、あとは勝手に戦っとけ、ということだ。一応、我が国の外務省もその方針で動いている」
ようやく理解出来たのか、ボルタはうなずこうとしたが、途中で固まったかと思うと叫ぶように言った。
「それってやばくないか!?」
こいつは何を言っているんだ?
「やばいって何がじゃ?」
ゲン爺も何がやばいのか理解出来なかったようだ。
「いや、最悪聖教連合軍がそのまま敵に回るぞ!」
ああ、そのことか。私とゲン爺は顔を見合わせて苦笑し、答えた。
「最悪そうなるが、東部戦線が完成すれば間違いなく勝つ。それに、現時点でも八割方勝てる。まあ、弾薬費がかさむがな」
実際、派遣軍の参謀部や本国の参謀本部でも同様の試算がなされている。兵器が今の化石のようなものではなく、一昔前のものであれば、十二分にそのまま西方大陸を占領することも可能だが、占領後に金がかかりすぎるのでするつもりは無い。
「弾薬費て……」
ボルタはなにやら絶句している。
「まあ、魔導帝国ならそんなもんじゃ」
ゲン爺はそんなボルタの肩を叩いた。
「それよりも、こいつを紹介するためだけに私を呼んだのでは無いだろ?」
「おお、そうじゃった」
ゲン爺は軽く頭を叩き、ようやく本題に入った。
「昨日皇国軍が到着してな、それで南部戦線に加わりたいそうじゃ」
「ほう」
それだけでは何も判断出来ないので、ボルタを促した。
「その話、詳しく」
「切り替え早いなあ……。ま、それは置いておいて、我が皇国の第三軍から六千人のキャスキット部隊を連れてきたから、半分ほど南部戦線に置いておきたい、ってことだったんだけど、気が変わった」
そこまで言うと、ボルタは急に真面目な雰囲気になって言った。
「我が皇国派遣軍全軍を貴軍の指揮下に置いて欲しい」
そこで絶句しなかった私を褒めて欲しい。自国の兵隊を他国の、それもほとんど知らない国の軍の指揮下に入れるなど、正気の沙汰ではない。だが、すぐに考え出す。正直な所、魔導帝国の派遣軍だけで東部戦線と南部戦線を形成するには全く人数が足りない。これは、上手く使えばチャンスだ。間違えればピンチだが。
「何故だ?」
そう尋ねる。これは、重要な問いだ。まあ、後で情報部の連中に裏付けを取ってもらうのだが。
「現在、我が国は砂漠で魔物が大量発生しているから、キャスキットと言っても最新式のものを用意出来なかった。貴国の外務省のお陰で、聖教国が劣勢にあることは知っている。悔しいが、我ら派遣軍はそんな聖教国の主力部隊より弱い。そんな中聖教連合軍に参加すれば、その聖教国を打ち破れる軍隊と戦うことになる。そうなれば文字通り全滅するだろう。本国の連中と頭を抱えていたとき、そこのゲン爺から誘いがあったんだ」
「誘い?」
ゲン爺の方を見るが、微笑するだけで答えてくれなかった。
「魔導帝国に頼んで、東部戦線の構築に参加すれば、少なくとも全滅することは無い、と」
ボルタは真面目な表情を崩し、苦笑を浮かべて話す。
「それでも一応聖教国に義理立てする必要があったから、半分は連合軍本軍に参加するつもりだった。だけど、今の話を聞いて気が変わった。あの聖教国を屁とも思っていない上に東方三国を一蹴出来る程度には実力がありそうだ。なのに自軍の戦いを回避しようとしてる。そんな貴女なら、我が軍を無駄死にさせることは無いと思ったんだ。だから……」
ここでボルタは深々と頭を下げた。
「我が軍を救ってください」
中身はほとんど軍人にあるまじき感情論で、おまけに投げっぱなしと来た。我が国の軍が臨時で他国の軍を指揮下に置くことは今までも結構あったので指揮を取ること自体は問題無いが、正直、切り捨てるべきだろう。だが、政治的にはどうだ? 皇国とは今戦争が佳境に入っている東方大陸の東海岸を占領すれば海を挟んで隣り合うことになる。そんな地政学的に重要な位置にある国の軍隊を、無傷で強敵から生還させることが出来れば、そこをとっかかりに皇国と友好条約を結ぶことも夢では無いだろう。それに、個人的なことだが、今まで色々切り捨ててきた私からすれば、この青年の青臭さ、正義感は眩しくて、出来れば守りたいものだと思った。軍人にはあるまじきことだが、そう、思ってしまった。
大きくため息をひとつついて答える。
「あい分かった」
すると、ボルタは勢い良く頭を上げ満面の笑みを浮かべて迫ってくる。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「ちょ、待て近い!!」
「あ、ああ済まない」
ボルタは謝りながら離れていく。私は、ため息をつく。こいつは少し感情的すぎる。
「それで、六千人で全員か?」
「あ、いや。医者と技師は別」
「砲は持ってきたか?」
「百門は。あ! 他に二十門エア・クラッカー持ってきてた!」
「エア・クラッカー?」
また良く分からない兵器が出てきた。一応砲の仲間なのだろうが。するとボルタは嬉しそうに語り出す。
「ああ! 元々は手榴弾を大砲で打ち上げるってへ……」
「ああ、迫撃砲のことか」
「何だ、貴国にもあるのか」
ボルタは残念そうに言う。これは悪いことをしたかな。
「でも、迫撃砲、ってのは格好良い言い方だね。うん、我が軍でもそうしよう!」
そんな懸念は関係無かったようだ。ボルタは楽しそうにそう言った。
「他の戦力、例えば空軍戦力は無いのか?」
「あー」
ボルタはいいづらそうに頭をかく。
「ワイバーン五十騎が来る予定だったけど、途中で空母が故障したせいでいつ来るか分からない」
「それは……」
制空権を確保出来ずにここまで来るのは不安だっただろう。
「早く復帰出来ると良いな。が、とりあえず数には入れないでおく。ゲン爺、引き続き南部戦線の制空権確保は任せた」
「お、おお任された」
突然話を振られたのでゲン爺の反応が遅れた。
その後場所をサーペント行政府内に移し、詳しい計画を話し合った。その際、サーペント大公が義勇兵を派遣するとかほざきだし、三人で説得したりと、なかなか忙しいものになってしまった。