11
朝日から昼の強い日差しに変わりつつあるこの時間。私は、この時間の日差しが一番好きだ。その一番好きな日差しに照らされたヌドラ丘陵は、魔法と砲撃で凸凹になったせいで、以前のような美しさは無くなっていた。だが、遠くに見える山脈の美しさは増しているように思える。
「あとどれほどかかる?」
聖教国の外交官ヴィーンが何度目になるか分からない問いをする。
「かなりの悪路ですから、正確には言えませんが、昼前には着きます」
「そうか」
何度目になるか分からないやり取りをし、隣に座る我が国の外交官のサラが恐縮する。私とボルタは、聖教国と帝国の外交官と共に白旗を掲げた黒のバン (防弾、対魔法仕様) に乗り、ヌドラ丘陵にある異世界軍、いや、国際連合軍の陣地の東南側に向かっていた。そこが日本軍の担当区域だと情報部が掴んだからだ。本来ならボルタは一緒に来ない筈だったが、あの会議があった日の晩に三国同盟が結ばれたせいで一緒に来るはめになった。これからの会議の準備に私がかけられた時間は昨日の一日のみ。正直不安だ。
「でも、良かったの?」
前の助手席に座るボルタが小声で尋ねてきた。
「何がだ?」
私は前のめりになりながら尋ねる。
「いや、指揮をゲンさんに任せて。同盟を結んだとはいえ異国の将でしょ? 帝国から文句出ない?」
「ああ、そのことか」
今更なその問いに私はくすりと笑って答えた。
「昔ゲン爺は帝国の将兵を率いたことがあってだな。実績も戦歴も十二分だからとむしろ本国は喜んでいたな」
「そっか、なら良いんだけど……」
それでボルタは黙った。
国際連合軍の陣地にはまだ着かない。段々羽織っている灰の外套が重く感じてきた。ボルタのように普段着るものと全く異なっている訳では無く、外套の下はいつも通りなだけマシだが、式典用の制服というのはアダマンミスリル糸で出来ていることもあり動きづらいのだ。おまけに左胸には四角い盾の上に交差する三本の剣という金色の無駄にゴテゴテした勲章がついているものだから、余計だ。
気晴らしに右隣の窓の外を見ると、少し離れた所で上に機関銃と白旗を取り付けた濃緑色のカラーリングの装甲車 『ワスプ』 が同じくらいの速度で走っている。反対側にも同じ車が、バンの正面と後ろにはワスプを一回り大きくした感じの 『ホーネット』 が走っている筈だ。バン一台の護衛、しかも乗せているのは停戦協定を結びに来た外交官、というには少し物々しい感じがするが、あまり国際連合軍になめられても困る上に、何かあった時に対応出来ないよりはマシなのでこうなった。今朝こいつらを見たヴィーンの反応は見物だったな、と思い出し笑いをする。
「何か可笑しなことがありましたか?」
私がにやけているのに気が付いたのか、ヴィーンが尋ねてくる。
「いえ、何も」
「そうか」
適当に返したというのに納得された。良く分からないやつだ。
そうやってしばらく進んでいると、頭の中に声が響いた。
【前方三キロに歩兵二名と見られる生体反応有り】
前方の車両に乗るカッツェ少尉からの念話だ。先日の儀式魔法のせいか、センサーの精度が悪くなっているな。私は危機感を抱きながらサラの方を見て、右のこめかみに人差し指を当てて念話を返す。サラは顔をひきしめ、内ポケットからメモを取り出す。
【全車両停止せよ。予定通り、お客様だ】
各車両の念話要員から了解、と気合の入った返事が返ってくる。メモを開いたサラにうなずくと、サラはうなずき返して良く通る高い声で皆に言った。
「お客様が来たようです。予定通りアイリス中将がまずは相手しますので、逸らないようにしてください」
「分かりました」
「分かった」
すぐにバンは停車する。
「では、行ってくる」
私はそう言ってバンの扉を開けて外に出る。外の空気は、少し埃っぽかった。
「御武運を」
サラの言葉を背中にドアを閉める。私は、バンの前を走るホーネットの前まで歩き、そこで止まる。確かにいるな。そう確信すると、私は大きく息を吸い込んで 『拡声』 の魔法を発動し、言った。
『Hola』
言った言葉が遠くの山脈から返ってくる。おっと間違えた。これはエスパニョールだ。日本語で言い直す。
『済まない。間違えた。異世界の皆様、始めまして。私は魔導帝国のアイリス中将だ。今日は諸君と聖教国との間で不幸な行き違いにより行われた戦争を終わらせるため、仲介人として聖教国の外交官を連れてきた。我が国としては、諸君と聖教国とは仲良くしてもらいたいと思っている。平和が一番だからな。では、返事を待っている』
そう言って拡声の魔法を切る。心の中は、やってしまった、といった感情で一杯だ。いきなり言語を間違えるとか、失礼にも程がある。だが、それを外に出さないよう顔を引き締めて返事を待ち続ける。
一時間も内心悶えていると、色々と疑問が浮かんでくる。なぜ、すぐに返事が無い? そもそも私の日本語はちゃんと通じたのだろうか? 情報部の掴んだ情報とやらは正確なのだろうか? 念話にも各員がじれてきていると報告があった頃、かん高い電子音がしたかと思うと返答があった。
『我々も、平和を望む気持ちは一緒です。迎えを送りますので、それを待ってください』
良かった! ちゃんと通じていた! 内心歓喜し、すぐに返答しようと拡声の魔法を発動する。
『その旨了解した。迎えを待とう』
魔法を切り、早速念話で全員に伝える。
【第一段階は成功。向こうから迎えが来るから、それを待つように】
念話越しでなくとも、全員ほっとしているのが分かる。この段階で駄目なら、戦争が続くことになる上に、無力なバンを守りながら撤退する必要があるから当然だ。
【基地から車両のようなものが四台、発進しました】
ホーネットの中で衛星画像を見ているであろう少尉から念話が入る。
【了解、引き続き監視しろ】
そこから三十分ほど待つと、国際連合軍の陣地があるであろう方角から砂煙が上がりだした。すぐに念話で確認を取る。
【少尉、砂煙が見えたが、あれか?】
【こちらからも見えます。それで間違いありません】
そこからさらに三十分待つと、緑とこげ茶色の迷彩柄の六輪の装甲車らしき車両を先頭に、四両の車がゆっくりと近くまで来て、停車した。
【これから接触する】
私は、そう念話で各員に伝えてから来た車の方へ歩いていく。幸い、と言うべきか、ここらの地面はまだ平らな方で歩きやすい。私が向かっているのに気が付いたのか、二台目の角ばった車から、緑色の制服らしきものを着た良く日に焼けた男が降りてきた。胸には階級章らしきものがたくさん張られており、襟も制服と同じ色のネクタイも良く整っている。我が軍と違って詰襟でないのが少しうらやましい。軽く観察しながらも、歩みは止めない。あと三歩、位の所でお互い止まる。
『一等リクサのサトウです。先ほどの挨拶は貴女が?』
リクサ、というのがどれほどの階級か分からないが、この男からは歴戦の戦士にも等しい自信、というものを感じる。
『そうだ。改めて、魔導帝国のアイリス中将だ』
そう言って習った通りに右手を差し出す。が、どういった訳かサトウは困惑している。
『諸君の世界では初対面の人との挨拶の時、手と手を握ると教わったのだが、違うのか?』
私は、若干の不安と共に言った。これ以上失礼なことはしたくない。
『いえ、合っていますよ』
そう言ってサトウは右手を握り返した。
『日本語、上手ですね』
軽く握った手を振って離しながら、サトウはそう言った。
『散々大学でやらされた甲斐があったというものだ』
私はそう微笑する。
『大学で日本語を習うのですか?』
サトウはなにやら驚いているようだ。
『まあ、な。だが、とりあえずこの話は後でしよう。今は、それよりも外交官について、だな』
そう言うと、サトウの雰囲気がなんとなく変わった。警戒されているな。
『そうですね。それで、その外交官の方はどちらに?』
『まあ、無いと思うが、万が一、ということもあるので、バンの中で待ってもらっている。確認するなら、護衛を連れてきても構わないぞ?』
『そうですか? では、御言葉に甘えて』
そう言ってサトウは後ろを振り返る。右手を胸の前に持ってきているが、何をしているか分からない。恐らく、ハンドサインか何かだな。程なく、黒い自動小銃らしきものを抱えた先頭の車と似たカラーリングの迷彩服を着た兵士が二人、三台目の車から降りてきて素早くこちらに向き直ったサトウの後ろに付く。うん、良く訓練されているな。
『準備は良いか? では』
頷いたサトウをバンまで先導する。その間に、念話でサラに連絡。するとバンからサラとヴィーンが降りる。ドアは開いたままだ。そこまで近付くと、私はサトウに二人を紹介する。
『では、こちらの灰のスーツを着た女性が我が国の外交官のサラで、白いローブを着た男性が聖教国の外交官のヴィーンだ』
サトウと二人は順々に握手する。
「では、早速話し合いと行きたいのですが、どちらまで行けばよろしいかな?」
『話し合いと行きたいが、どこに行けば良いか聞いています』
日本語が話せないヴィーンをサラが通訳する。
『では、我々についてきてください。本陣まで案内します』
サトウの言葉をサラがヴィーンに訳すと、ヴィーンはそれを了承する。
その後、サトウ達の乗る車両に先導されて我々の一団は国際連合軍の陣地に入る。そこはまだ日数があまり経っていないにも関わらず塹壕と有刺鉄線が張り巡らされ、所々べトンのトーチカがあり、ぱっと見た感じ攻めたくなくなるような陣地だった。魔法無しでこの短期間でこれだけやるとは、国際連合軍、侮りがたし。
そのまま外交官二人はサトウに連れられていき、私とボルタはその護衛ということで途中までついて行った。途中で門を見かけたが、思ったより小さいものだった。そして、予定通り会議の行われるテントには軍属と言うことで近付かず、サトウに案内されたテントで待機する。外交官は別にいるのか、サトウは私たちと同じテントで談笑している。
『というと、ボルタさんは別の国の人なんですね?』
『はい。サンド皇国の第三皇子です』
意外なことに、ボルタは日本語が話せた。こんな難解な言語を勉強させられた同士と思うと、今までよりも親近感が持てた。
『皇子というと、王族なのですか?』
『はい。とは言っても王位継承権はかなり低いですし、王自体象徴みたいなものなのであまり関係無いんですけどね』
そう言ってボルタは笑う。そろそろ良い頃合だろう。
「ボルタ」
ボルタにそう言って、話を切り上げさせ、予定通り本題に入る。
『サトウ、聞きたいことがあるのだが……』