三世代に渡る彼女らの人生
1 season : Midori
Ⅰ 下関
みどりと名付けられたのは、彼女が新緑の時を選んで生まれてきたからではなく、ましてや植物に慣れ親しんで欲しいという願いを託されたからでもない。画数から、縁起が良かったというわけでもない。
ある説によると親戚のおじさんが名付けたらしい。しかし、後にこのおじさんは彼女が13の歳に、お腹の激痛が盲腸炎であると正しい判断をしてくれ、おんぶしたまま病院へ運んでくれるのだ。当時の彼女はあまりの痛さから一生懸命お腹を温めていたのだが、盲腸炎は熱を加えることで更に症状が悪化することを後で知ることになる。実際、温めはじめてから彼女は何回も嘔吐を繰り返し、あとほんの数時間病院に来るのが遅れていたら盲腸が破裂し死んでいたと医者から告げられたのだ。つまり名付け親は彼女の命の恩人になった。
彼女は今後も両親とは様々なしがらみがあったが、周囲の人々には高い関心をもたれ愛され続ける人生を送ることになる。生まれる前から彼女の両親はいい意味でも悪い意味でも、彼女に無関心だったのかもしれない。戦後間もない1945年、8月18日。天皇陛下がラジオの向こうで日本の敗戦を告げた日からたったの数日後、真夏の炎天下の下、どん底から這い上がっていく国の今後を象徴するがごとく彼女はか細い体で産声をけたたましくあげ生まれてきた。現に、彼女の人生は波乱万丈そのもので、日本の新しい生きざまを体現したかのようだった。
山口県、下関市。海に象徴される町であるのだが、家からは海が見えず、むしろ内陸部であるこの場所から彼女の人生は始まった。