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祖父のこと。

作者: 嶺音

私の父方の祖父は、

私が小学校3年生の時に他界した。


父は四人兄弟の三男で、

父以外の兄弟は皆県外住まいだった。


だが、私の家族だけは

県内、しかも祖父の家の近くに住んでいた。


だからだと思うが

祖父は私を他の孫達(私の従兄弟・従姉妹)以上に可愛がってくれた。


両親が共働きだった為、

私の幼稚園のお迎えはいつも祖父か祖母。

そのまま祖父の家で夜まで過ごした。


そして

いつも夜遅くに母が仕事帰りに私を迎えにきた。


祖母が作る美味しい晩御飯を食べ、

祖父とお風呂に入った後、

祖母の匂いがするお布団に入って眠った筈なのに

朝、目が覚めると自分の布団の中にいる

という事がよくあった。


祖母は料理が上手で

物知りで

時には厳しいけれど

とても優しい人だった。


また、

裁縫や編み物が得意で、私によく教えてくれた。

私が裁縫が得意になったのは間違いなく祖母のおかげである。


祖母が夏祭り前に、

古い着物を解いて金魚の巾着を作ってくれたことがあった。

巾着の紐をキュッと絞って手に提げると、

縮緬で出来た金魚の尻尾がゆらゆら揺れて

まるで宙を泳いでる様でとても可愛かった。


その金魚は今も実家のタンスに大事にしまってある。





祖父は、

不思議な人だった。


私が幼稚園の頃、

祖父はもう結構な年だったから

仕事はしていなかった。

ずっと家に居た気がする。

もちろん

若い頃どんな仕事をしていたのかも知らない。



一度父に


「おじいちゃんってどんな仕事してたの?」


と、聞いたことがある。だが


「うーん、お父さんもよくわからん笑」


と父は濁した。

どうも父も本当によくわかってなかったようだ。

祖母は近くの紡績工場で働いていた、と教えてはくれたが。




また、猫を20匹くらい飼っていた。


庭に面した縁側に

餌の時間になると猫達が勢揃いする。


祖父は家のことは全くしないのに、

猫の餌は毎日台所に立って準備していた。


私はその餌やりタイムが好きだった。


祖父の家の庭はとても広くて

ちょっとした森になっていた。


夕方、私がその森に向かって


「ご飯だよー!!」


って叫ぶと

どこからともなく猫がわさわさ湧いてきて

縁側に集合する。


幾つかのお皿に分けられた餌を

3、4匹ずつが囲んで食べる様子を

私はじっと見ていた。


餌を食べ終わると

みんなすぐに森に帰っちゃうから

猫と遊んだ記憶は殆どない。


「また猫に触れなかった」


うな垂れて部屋へ戻ると、祖父は


「お前にはコレをやろう」


と言っていつも蕎麦ボーロをくれた。





祖父が他界して随分経った。



父は昔からお酒に酔うと


「おじいちゃんが、サイパンに行ってたらお父さんもお前もここにはいないんだぞー」


と、よく言っていた。

初めは意味がわからなかった。


何故サイパンに行ってたら父や私がここにはいないのか。


でも、どうしてかわからないけど

なんで?

って聞いたらダメな気がした。

だから聞かなかった。




私も年を取り

いろんなことを知った。

勉強した。



だから

その言葉の意味がわかったとき、

思い切って聞いてみた。


「何故サイパンに行かなかったの?」





父は丁寧にゆっくり教えてくれた。



父の家、つまり祖父の家は昔から歯医者を営んでいたこと。

祖父は帝大では無いが有名な大学の理系学部へ進学したこと。

研究熱心で成績も良かったこと。


そして


祖父は学徒出陣を免れたこと。



理系の学生は全てではないけれど

兵器などの開発部門に回されるそうで

祖父もその一人だった。




戦争が終わった。

自分は生きている。

だが、友達は皆サイパンに行ってしまってどうなったかわからない。


自分だけ、親の後を継いで伸う伸うと歯医者やりながら生きていていいのか。



結局歯医者は継がなかったようだ。


いろんな仕事を転々としていたらしい。


時には仕事を辞めてしまい

なにもせず

部屋に篭って考え事をする日が続いたこともあったそうだ。



でも、そんな祖父を

祖母は黙って支えた。


祖母はよく


「◯◯ちゃんありがとうね」


「おじいちゃんとても楽しそうね」


と私の頭を撫でながらよく言った。

今ならなんとなく祖母の気持ちがわかる気がする。




ずっと大事にしている一枚の写真がある。

祖父の家の庭で

紺のワンピースを着た私が立っている写真。


物を作るのが好きだった祖父が

自作したカメラで撮った写真だ。

一見、とても不恰好なそのカメラは

今、実家の仏壇にある。


そしてそのカメラで撮ったその写真は

私の大切な宝物だ。


もう直ぐ祖父の命日だ。



その写真を持って祖父母の眠るお墓へ

参りに行こうと思う。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が上手いと思いました。 [一言] 作者の思いがよく伝わり、 しんみりとしました。
[一言] 幼い頃に 誰よりも愛情を注いでくれた祖父母。 大人になって 彼等を見たときに 優しいだけじゃなく、尊敬に変わる。 そして、愛を返したくなる‥ とっても愛情豊かで、その温かさに感動しました…
[一言] 25行目に誤植があります。 >間違いなく祖母はのおかげである 作者にとり大切な御作であると感じ入りましたので、老婆心ながらご指摘まで。
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