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17/25

ハル(〃)


二〇一八年一月一一日



 データの名乗った名前に、スマートフォンを覗き込む米田の目の色が変わった。

「ハル……それって、国木優がこの動画サイトの中に生きているってことか?」

「そうは云ってないでしょう。彼女はハルと名乗っただけで、国木優と云ったわけではないですから」

「ハルって国木優のネット上の芸名だろ?」

 芸名という言葉に大きくないはずの年齢差を感じた陽子だが、指摘せずにそのまま流した。それより大きな問題が有る。

「……不思議じゃありませんか? 国木優は十年以上アイドルとして活動していたはずなのに芽が出なかったのにネットに出た途端に大人気というのは?」

「CMの量だろ、未知道は人格交換で大儲けしている企業だからな」

「でも、未知道カンパニーはそもそも表立って関与もしてなかったはずですよね」

 アイドルというものを『自分に理解できないもの』として思考停止していたらしく、米田は指摘されるまで気付いていなかったらしい。

「多分、ハルと国木優は別人です」

 陽子はスマートフォンのモニタの上を指が滑る。もちろん次に賢作に尋ねさせる言葉を選ぶためだ。




《国木優さんとの関係を訊けって。うちの飼い主うるさいんだ》

 そのデータは初めて接触したドーベルマンの賢作を見てはしゃいでいたが、そこで初めてレスポンスに間が生じた。

《優さんは“歌”をくれたの》

《なんのこと? 曖昧模糊》

《私、生まれてしばらく言葉を文章でしか出せなかったの。音声ソフトが無かったから。でもお父さんと社長さんに云ったら、優お姉さんを見付けてくれたの》

《なら、動画投稿サイトのハルって君? 国木優じゃないの?》

《優さんは歌声を貸してくれただけ……本当に嬉しかったなァ。音楽を聴けるようになっても、私は何もできなかったんだもの》

 その会話の内容に、陽子は歌声ライブラリを連想した。

 一〇年ほど前から動画投稿サイトで流行している歌声シンセサイザーというべきソフトであり、事前に収録された歌声の音源から楽曲を形成する。

 国木優の声を、賢作と会話している“何か”が使って歌う。それがネットアイドルハルの正体だった。

 米田は、モニタに表示されている文字に興奮を隠せなかった。自分は真実に近付いている。国木優や嶋田九朗を殺害した犯人に近付いていると。

《……優さんを殺したのは誰だって、ヘボ刑事が煩いんだけど、訊いても良い?」

《刑事さんって……もしかして、あなたの飼い主はタバコの刑事さん?」

 米田はその発言にひとつ思い当たることが有った。さっきメモを渡してきた自販機のあの女だ、と。

 真実に近付きつつある現状に興奮する米田に対し、真実を概ね理解しつつ有った陽子は冷徹に同情していた。

《んー……話すなって云われてるからなー……》

《じゃあ、飼い主からの質問。歌は楽しい?」

 先ほどの米田の質問とは打って変わって、回答はとても素早かった。

《うん。楽しいよ! すっごく!》

《円満具足。僕もそう云ってもらえて、嬉しいよ》

《お父さんが動画のデータを読み込みできるようにしてくれてから、ビックリすることばっかり! 音楽って言葉や他のどのデータより“心”が伝えられるんだもの!」

《それで動画サイトに投稿したんだね》

《皆をビックリさせたかったの! お父さんの声を初めて聞いたとき、あたしもすごくビックリしたけど、それよりもすっごく、すっっごーーく、嬉しかったの!》

 殺人事件の調査をしているということを米田は忘れかけていた。

 ただ、派出所で近所の子供と会話をしているような。そんな感覚だった。

《ねえ、今度はあなたのことを聞かせて? あなたは何が好きなの?》

《僕? 僕は好きな物は設定されてないよ。僕は人工電子無脳なんだ》

《人工知能とは違うの?》

《僕は人工無脳だからネット上のデータを抽出して言葉しているだけなんだ。自分の心じゃない。機略縦横に唯々諾々》

《なら、そのネットそのものが“あなた”なんだよ》

《違うよ、ネット全体は複数の人のミームでしかない》

《難しいことはわからないけど、あたしはあなたに心が有ると“思う”。だから、あなたには心があるわ」》




 一連の会話を全く同じように見ているはずの陽子と米田は、全く別の感想を持っていた。

「なんなんだ? このハルって奴は、変な言葉を云うデータなのか?」

「……いいえ、遠隔操作の匂いを賢作が感じていない以上、この子のデータの中からこの“質問”が出ています」

「何の話だ? 質問がなんだってんだ?」

「複雑な会話は人工無脳にはできないはずなんです。特に質問はできないはずなんです……このシステムには心が有ります」

 賢作は陽子の入力する質問や、あるいは尻尾から連なる独自の検索エンジンから得られる回答を元に会話している。

 なにひとつ自分の中から生み出すことの出来ない賢作とは異なる気配を言葉の端々から陽子は感じ取っていた。

「完全な電子頭脳……でも、この子……」

「とにかく、引き出せる情報は全部聞き出そう。こいつの云っていることが事実かは分からんが、手掛かりにはる」

 米田の言葉が実行されるより早く、スマホが通常画面に戻った。

 唐突というか、夢が覚めるように急激に気配が無くなった。

「どうした!? 犬鍋! ハルの画面に戻せよ!」

《逃げちゃった。動画サイトの中に有ったハルちゃんの部屋が消えたよ。追う?》

「追え! 今すぐ!」

「追わなくて良いわ。追えば追うだけ逃げるんだろうし、今のタイミングで居なくなったなら、見付けても話してくれませんよ」

「そんなこと云ってる場合かッ! 手掛かりが無いんだぞ!? ここで逃したら事件の真相は……ッ!」

「大体、見えてますよ」

 二の句を許さない陽子の言葉に、米田はただ、陽子の次の言葉を待った。

「……証拠は有りませんが、証拠は必要ありません。まずは私の考えを聞いてくれます?」

「聞かせてみろ」

「この事件、依頼人は私に不明瞭な情報源しか与えませんでした。どう考えてももっと多くの情報を持っていたはずなのに」

「出せないんだろ? 依頼人自身の素性にかかわることかも知れないしな」

「それもあると思います。ですが、逆に“私が持っている情報だけで答えには到達できる”ということじゃ有りませんか?」

「……ん?」

「依頼人さんははもっと多くの情報を持っているのに最低限の情報を提示してくれたはずなんです。絶対に答えに辿り着けないならヒントを出す意味が無い。今、手元にある情報だけで答えを導くなら……そう多くないと思います」

 陽子は事件解決の道筋を見据えつつ、ハルが最後に残した言葉を考えていた。

 賢作に心があるのだろうか、考えたことも無かったことだが、心の有無をどうやって証明すればいいのだろう。

 小さい頃、夜の暗がりがオバケに見えた。ただカーテンが心を持たずに揺れただけなのに。

 自分から見て心が有ると思っても相手に心が有るとは限らない。それならばそもそも、自分自身に心が有ると思うことが、どうして心の証明になると云うのだろうか。


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