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疾走失踪(〃)

二〇一八年一月一一日




 日も暮れかけ、風が本格的に冷え始めた頃、まだ陽子は走っていた。

 十年前、なぜ嶋田九朗が大学を辞めて未知道カンパニーに入ったのか、その理由に見当が付いたとき、陽子の中で事件の概要が見えだしていた。

《……つまり、どういうことなのさ? この事件》

「分からないことは沢山あるけど……まず、この事件のカギは緑のフードの依頼人だと思うわ」

《そうだろうけど、依頼人の正体、わかったの?》

「見えている中ではそれ以外に考えられないからね。緑フードの依頼人からすれば……この事件は解決して欲しいと思ってる。それは間違いないわ。でもそれならどうして依頼書に明確に情報を書かなかったと思う?」

《どうして?》

「何か理由が有って書けなかったから、よ」

《……当たり前じゃないか。当然至極》

「そうね。そしてもうひとつの疑問、依頼人は“私”に依頼したのか?」

《探偵だからでしょ?》

「探偵事務所はいくつかあるし、私は殺人事件の調査なんてしたことすらなかった。それになぜ、依頼をしたの?」

《適当じゃないの?》

「一千万円払って適当? ポイントは、昨日、あなたに手紙に書いてあった番号を登録したとき……ひとつ、登録済みだった番号が有ったわ」

 走る足を止めず、陽子はモニターにひとつの番号を表示させた。

 それは昨日、緑フードの依頼人が送り込んだメモ用紙に記入されていた“嶋田美香”という人物の番号を賢作に登録させたときのことだった。

 その番号は既登録になっており、こう表示されていた。



 嶋田九朗 143―3739―1983

 登録日 二〇〇七年二月七日



 未だに賢作を一色賢が使っていた頃のデータ。

 まだ賢作を開発中のはずで、まだスマートフォンですらない端末で登録していたデータ。

 陽子が賢作を手に入れるより前であるのはもちろん、そもそも一色賢と出会ってすら居なかった。

 自分が知らない一色賢の思い出を感じて込み上げる熱い何か、しかし、それと同時に冷めた感情も有った。

「資料記録の中に有ったのよ。嶋田九朗とそのご家族の写真……十年前のだったけどね。そしたらパチンコ屋で見覚えのある顔だった、ってわけ」

《よくわからないんだけど?》

「緑フードの人は“私”じゃなく、“賢”に依頼していたのよ。 経験不足な私じゃなく、嶋田九朗とも知り合いで冷静沈着だった一色賢に、ね」

《状況証拠的には理解できけど、それが何? 被害者が誰かも分からないし、犯人が誰かも分からないよね》

「この事件は、私には分からないことばっかりよ。私は最初に亡くなった国木憂さんや、容疑者の須古冬美ちゃんの顔すら知らないくらいだから」

 開き直ったような陽子の態度に、画面上の賢作は汗マークを追加していた。

《それで犯人探ししてるんだから暴虎馮河。無謀だよね》

「あら? 私、犯人探しなんてする気はないわよ?」

《……ん?》

「私の依頼は、須古冬美ちゃんの無実を証明すること。犯人を捕まえることじゃないわ」

《それって、同じことじゃないの?》

「それならそれで、私の手には負えないけどね」

 軽口を叩きながら、陽子の足が止まった。そこは国木優が生活し、遺体が発見されたマンションだった。

 聞いていた部屋番号へと向かうと、その入り口では紫煙を浮かばせる米田が遅かったな、と一言だけ呟いた。

《入って良いの? 証拠物件、って奴じゃないの?》

「いいや、事件は先月だからな。ただ単に未解決の殺人事件が起きてダブついてる不動産だ」

「……それはそれで入って良いのか、不安になるわね」

「だから解決するんだろう? 頼むぞ、中聖子」

 合法か不法かは分からないが、米田は用意していた鍵でマンションのドアを開けた。

 室内は風が吹いていないだけでほとんど外と気温が変わらない。そこは住人が居なくなってから一切のエントロピー変化を失った死の部屋だった。

 汚れることすらなく、整然とした室内には物はあまりなく、処分されたのか押収されたのかは不明だが、陽子はその片づけた人々の手際の良さを妙に強く感じた。

 米田に案内されるまま、陽子はひとつの部屋に向かい、電話回線のジャックを指差した。あれよね? と。

「ああ。国木優のデスクトップパソコンはあそこで使っていたらしい。しかし、それだけで追えるのか?」

《匂いは消えないんだよ。実体が有っても電脳でも、知能でも無脳でも、それは同じ》

「よく分からん」

「とりあえず、見ておいて下さい。頼むわね。賢作」

 陽子は手慣れた様子でスマホを電話回線に繋いだ。モニター内の犬のビジュアルが『SEARCH』という文字に変わった。

 賢作は他のコンピューターとは一線を画すシステムを有す検索エンジンであると一色賢は陽子に話したが、陽子はその意味を概要でしか理解はできていない。

 通常の検索といっても、大掛かりな機械やメモリからなるクローラーを必要とするというのに、賢作はちっぽけなスマホの僅かな容量の中でそれをやり遂げているという。

 オーパーツ的なまでに不自然な賢作は、そんな高性能を感じさせないポップな表示に変わっている。

 ドーベルマンの賢作は、シャーロック・ホームズのような帽子と肩掛けマント、パイプをくわえて走り出す。

「米田さん、国木さんが使っていたパソコンのデータ、有ります?」

「ああ、任せろ。しっかりと資料を用意してある」

「助かります。直近のIPアドレスとプロバイダ情報、ルーターとモデム、できれば愛用のブラウザとバージョン情報が有ると助かります」

 パソコンに種類があるという発想の無い米田は、陽子が意識せず話している言葉の意味を理解できていなかった。

 そのことを察した陽子は微笑みながら資料を奪い取り、自分でページを見つけて入力をしていた。

「……なんかゴメン」

「大丈夫です」

 陽子が次々と入力していくデータを元に、賢作は電話回線を伝って、インターネットを走り抜けていた。

 通常の犬が匂いの粒子を鼻のボーマン線で察知するように、データの歪みや波を捉えて賢作は追いかける。

 データは通った後に電気的な形跡を光の道のように僅かながら残す。

 コンピューターは常に情報を上書きしながらメモリを循環させていくが、その循環させればさせるだけ、通常の機械では探知できない揺らぎを生み出し、賢作はそれを探し当てる。

 その現象を不思議そうに見ている米田に気付いた陽子は、かつての自分に一色賢がした言葉を思い出した。

「賢が云っていたことのそのままですけど、賢作はトランプを破けるらしいんです」

「なんのことだ?」

「トランプって強いカードと弱いカードがあるじゃないですか。エースとかキングが強い」

「大貧民とかでは二が強いし、七並べでは六と八が最強だがな」

「なら、大貧民で三とか四が、二に勝つにはどうすれば良いと思います?」

「革命って有ったよな。強さが入れ替わるヤツ」

「……そうじゃなくて……賢が云うには、賢作は他のカードを破いてしまえるようなんです」

「なんだそりゃ?」

 賢が自分に説明したときはもっとスマートに説明できていたのに、と陽子は頭を抱える。

 全く同じ説明でも賢の話術の巧さを思い知っていた。

「他のコンピューター同士では強さ比べをしないと行けませんが、賢作はその上を飛び越えてしまえるようなんです」

「……ん? 気のせいか? それって他のコンピューターのどれでも突破できるってことじゃないのか?」

「そうらしいです」

「困ったな、じゃあ……証拠として提出できないな。本格的に表沙汰にできない」

 会話中でも、賢作はLEDネオンのように賑やかだが冷たく寒い光の中、多くの人間の意見や感情が飛び交う一次元の紙芝居を駆け抜けた。

 賢作の鼻は、的確にここに有ったパソコンが最後に訪れたホームページを突き止めた。

 去年の一二月一六日、この動画投稿サイトに到達していた。

「……米田さん、このことって?」

「ああ。既に調べてあった。どうにもこの日、最後の歌動画を投稿していたようだな」

「遺体の発見は確か二一日でしたよね? 一二月の」

「だな。その五日間の間に死んだか、あるいは誰かが国木優の死体の横でパソコンで動画を投稿したか、だな」

「なるほど」

 ここまでアウトプットされた情報は既知の物であったが、次に賢作は解析不能な状況に遭遇していた。

 いかなるトランプでも破いて突破できるはずの賢作だったが、唐突に破れない目標を動画サイトの中に発見したのだ。

《……なんだろう、これ?》

 国木優の回線から追っていた匂いが続いている。

 陽子の指示通りに動くというなら、賢作はこの中を解析しなければならない。

 賢作はそのデータにある傷とも呼べないような僅かな溝を見つけ出し、頭を捻じ込むようにしてもぐり込んだが、そこは非現実的な真っ白い部屋のようなデータだった。

 キッカリと区切られたメモリは正方形のように正確に寸法されており無駄がないデータ。その中には通信用の回線があるだけで、データを加工するための設備が無く、それだけでは何の意味もない情報だった。

 賢作の現在位置を知り、陽子と米田は困惑していた。

「どういうことだ?」

「分かりません。賢作が解析できないデータ……あるわけないんです。しかもなんで動画サイトのなんでこんなのが有るんですか……!?」

「向こうも同じくトランプを破れるらしいな」

「え?」

「トランプを破れるシステムで動画サイトの真ん中に自分専用スペースを作ってるってことだろ」

 人工電子無脳の賢作は動揺することはない。動揺するための《機“脳”》がないのだから。

 あくまでも頭脳を持つ陽子の意思に従って仕事を成し遂げるだけであり、解析すべき目標の中には何もない。

 まるでデータの中に有った何かが既に姿を消してしまったかのような不自然さ。

《……? 違う、匂いが出てきた……?》

 賢作は白い部屋の中で、それまで感じ取ることができなかったデータの変容。

 ドアが開いた。今まで有りもしなかった白い部屋のドアが開いたのだ。そして現れたデータはこの部屋の持ち主だった。

《……誰? あなた? お客さん? 猫さん?》

 繰り出されたデータは検索も容易く理解できる文章データ。賢作は現実空間と同じように電子無脳を駆使して返事を組み上げる。

《奇奇怪怪。僕は賢作。猫なんかじゃないよ。断耳してスっと尖っている耳、クイっと締まったウエスト、そしてこの愛くるしいマスク! どう見ても僕はドーベルマンじゃないか》

《ドーベルマン? ドーベルマンさんっていう人?》

《人じゃないよ! 犬だよ! 確かにドーベルマンは人の名前が語源だけどね!》

《あたし、犬って初めて見た! あなた、カワイイね!》

《そう! 僕は最もカワイイ犬種、ドーベルマン・ピンシャー!》

 現れたデータは賢作に接近し、毛並みのデータにそって背を撫でた。

 そういえば自分が撫でられるのは久しぶりだと賢作は自身の記録の中で検証していた。

「バカ犬は“何”と会話しているんだ?」

「わかりません。でも……このデータは……賢作! 名前を訊いて! そのデータの……その子の名前を!」

《君の名前を聞けって。僕の飼い主がうるさいんだけど、訊いても良い?》

「私、私はハル。よろしくね。賢作くん」

 ハル。それは国木優が未知道カンパニーのキャンペーンで行っていたというネット歌手の名前そのものだった。



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