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箱を開けたくないと思った男 (二〇一八年一月一一日)

二〇一八年一月一一日



 陽子は苛立っていた。

 探偵としての調査を中断して関を探してしまった自己嫌悪。

 緑マントの男は不自然な依頼人だったとはいえ、この事件解決を切望して一千万円の大金を出した。

 終わったことをこんなことを考えている場合じゃない、集中しなければと意識を切り替えようとすればするほど集中は散っていた。

 もし、こんな情けない自分を、探していた当の一色賢が見れば呆れられるんじゃないかと思うと、陽子の中には羞恥心すら沸いていた。

《で、陽子、どこに向かってるの? 無知蒙昧?》

「パチンコ屋」

《……は?》

「だから、パチンコ屋」

《何しに行くの?》

「パチンコ」

 賢作にアップロードされいてる普段使われていない地図アプリは、陽子の足が行きつけのパチンコ屋に向いていることを確認した。 

 この状況でパチンコ屋に行くことは、賢作の人工無脳の検索機能は素早く適切な語彙を探し出していた。

《憂さ晴らしにパチンコとか、支離滅裂じゃない?》

「……このままじゃ、仕事にならないもの。必要なの」

 ひょうひょうと言い切る陽子に、これまでの会話パターンから、賢作はこれ以上の説得はメモリの無駄遣いであることをデータとして収集を終えていた。

 会話よりも周囲の情報収集へと演算対象を切り替え、マイクやカメラで集めたデータの中に、賢作は“彼”を見つけ出していた。

《あれ? 陽子、今の角に居たの、探してた子じゃない?》

「……え……っ!?」

 探していた人物の自動通知は、陽子が自分で賢作に加えた機能だった。

 先ほど未知道カンパニーで姿を消した関輝石? それとも、もしかして、本万が一、この賢作を預けて自分の前から消えた男・一色賢?

 そんな期待を胸に振り返り、賢作のモニターを見比べると、陽子はまたも、自分が一色賢に依存してしまっていることを思い知らされた。

「……あの子って、あの子のこと?」

《もちろん。三毛社長のところのタマサブローだよね。一目瞭然》

 陽子の目に入ってきたのは、この仕事に取り掛かる直前まで探していた猫のタマサブローだった。

 状況的に、探していた相手を見付けたと云い出せば、関輝石や一色賢を連想するのは当たり前と云えるが、人工無脳である賢作はそんな気遣いはできない。

 そして、そのことを分かっていたはずなのに、それでも一色賢に会えるのではと期待した自分の弱さを噛みしめ、一月の風に当てられながらパチンコ屋まで走って行った。

 ニャー、と一声鳴いたタマサブローの宝石のような目玉と、首輪についた飾りは、ギラリと怪しく光る。



 流れるパチンコ玉は滝のような音を立てているが、パチンコの電子音はそれを掻き消す。

 それぞれがアニメーションや実写でショッキングな演出で盛り上げているが、互いに相乗しあって耳には雑音としてしか届くことはない。

 賢作の集音機能も意味を無くし、ここではほぼほぼ通話や情報収集もほとんどできず、ただのスマートフォンに成り下がる。

 陽子はそこまで分かっているが、というより、わかっているからこそ、パチンコ屋にはよく足を運んだ。

 何百人も集まりながらほとんど干渉せず、ひとりひとりがただゲームをしている。顔を隠しているわけでもないのに声を押し流す騒音は不思議と陽子の苦悩を覆い隠してくれた。

 時折機械に取り付けられた表示を確認しながら、狙い目の台を探して店内を徘徊していた。

 そんな中、陽子の視線は、立ち上がった男に向いた。脱色した頭髪に揃えた眉毛、いかにも今どきの若者といった風体。平日の昼過ぎにパチンコ屋に出入りしていている辺り、まさにイマドキとも云えるかもしれない。

「ねえ、お兄さん! その台! 私が座っても良いかな」

「あ? 良いけどよ、出ねえぜ。無意味だろ」

「じゃあちょっと見てて。ドル箱いっぱいにしてみせるから、さ」

 ウインクしながらの陽子の言葉は即座に検証された。

 陽子の入れた千円札は素早く銀色の玉に変わり、高速で盤面を駆け抜けていく。

 続いて投入した五千円札も千円札と大差ない速度で盤面へと走り去り、一万円札に至っては瞬く間に回収穴に消えていき、都合十分後。

 ドル箱どころか、上皿にも下皿にも、既にパチンコ玉は残っていなかった。一個も。

「インチキぃーッッ! 絶対操作とかしてるんだぁあああ! 出ないわけないのにぃいいいいい!」

「姉ちゃん! やめとけ! それ絶対勝てないヤツの発言だから! もうやめろ!」

 僅か五分で一万六千円を溶かした陽子は、元々その台に座っていた男に回収されるように、パチンコ屋に併設されていた食堂に引きずられていった。





「落ち着いたか?」

「いえいえ……いや……あれは絶対出る台だったんだけど……変だわ」

「パチンコは負けるようになってるんだよ」

「でも、私は勝てるはずなんですけど……秋由あきよしさんも、勝てると思ってるから来てるんでしょ?」

 それはそうだけど――そう云いかけて男は気が付いた。自分は一度も名乗ってなど居ないのに名前を呼ばれたということを。

「嶋田秋由さんですよね。ごめんなさい。私、こういう者なんです」

 取り出した一色探偵事務所と明記された陽子の名刺に、嶋田秋由は気を悪くした様子もなく、ただ次の言葉を待った。

「私、この前の嶋田九朗さん……秋由さんのお父さんの事件を調べています。その件でお話を伺いたいんです」

「……親父が死んだの去年の十二月だろ? 今頃俺に話を聞きに来る、ってずいぶん後発だな? 誰の依頼よ?」

 嶋田秋由は、父親の死をずいぶんと気安く口にした。

 本人の話す通り、死亡したのは先月だからだと陽子は解釈しようとしたが、時間は思いの外、感情というものには無力な場合が多い。

 少なくとも、陽子本人の実感としては一色賢に関してのことは時間は無力なのだから。

「依頼人についてはお話しできないのですが……どうしても、お話を伺いたいんです」

「さっきの演技に騙されちまったからな。負けたって気持ちだしな」

「探偵ということを黙っていたのは、本当に申し訳ありませんでした」

「いや、それじゃなくて。さっきのパチンコの負け方。本当に自信があるんだと思って見てたから。」

「あれは勝てたはずなんです。勝ってその必勝法で誘うつもりでしたから」

 沈痛そうな面持ちで秋由は目を閉じた。むしろ騙してくれていた方が良かった、と。

「……で、何が聞きたいんだっけ?」

「ひとつだけ。お父様の十年前に、何が有ったか、教えてくださいませんか?」

「……十年前、って、なんで、また?」

「未知道カンパニーはかなり前からお父様にオファーを掛けていたようですが、その年、急に大学を辞職されてます……その理由を伺いたいんです」

「事件に関係ないんじゃないか。今まで記者や警察官、誰も気にしなかったぞ」

「多分、私にはこの事件の全容が見えていません。ですが、他の人には見えていないものが有ります」

 食堂の中が静かになったような気がした。パチンコ休憩の人が減り、再び喧騒の中へと向かったのだろう。時計を見れば三時を過ぎている。

 秋由もさして葛藤もないどころか、ずっと押し込んでいたことのような、言葉は素早く飛び出した。

「十年前、俺の妹が死んだ……というより、生きてもいなかった。親父のせいでな」

「詳しく、お聞かせ願えますか?」

「生まれていたのか、死んでいたのか、俺には……確かめられなかった」


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