第七話 想像、妄想、推察、推理、用法用量にはご注意を
目を覚ますと、知らない天井があるわけでなく御子柴さんの顔があった。整った顔立ち。見る人が見れば一目惚れは余裕だろう。でも冷静な思考とは裏腹に、完全に動揺していて思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「……へ?」
「あ、起きた」
目が合う。思考が止まりかける。心身ともにこの状況に追いついていない。
「・・・・・・。とりあえずなんで膝枕してんすか」
一瞬停止しかけた思考をフル稼働までなんとか持って行き、立ち上がって何故こんな状況になっているのか記憶を遡ってみる。……あぁそうか、俺は撃たれて気絶してしまっていたのか。
照れ隠しにコートの襟を伸ばす真似をする。コートに血が付いていることに気づき、これは買い替えないと駄目だなと思った。それに肩に穴が二つ、いやかすったのも入れて三つもあるコートは呪われている――オカルト的なものを信じるつもりはないが――気がするのでこれ以上着ようとは思わない。
辺りを見ると、長机があって業務用の椅子が並べられている。どこかの控え室だろうか。御子柴さんの格好を見る限り、いつも来ているレストランの休憩室のようなものみたいだ。どうやら俺は椅子をひっつけて、そこで寝かされていたらしい。でも膝枕する必要はなかったと思います。おかげで心地よく眠っていられましたけどもはい。
「陽向くん、ちょっとこっち向いてくれないかしら」
「何です――」
パチンッ。
俺の頬が鳴る。ビンタをされたのだと遅まきながらに気づく。そして心配させていたのだと悔やむ。悔やんでもどうしようもないことだけど、接触部分に感じた痛みはどんどん広がり、ついに俺の心まで侵食した。痛い。
目だけを動かし様子を窺おうと見ると、割と大きな二つの瞳と目が合う。なんだかんだ言ってそこそこ親しい間柄ではあるのだ、知り合い方は置いておいて。生死の境を彷徨っていたのだから心配させてしまったのは当然ともいえる。これからどんな罵倒を受けるのだろうと思うと、思わず目を逸らしてしまった。情けない。
どんな罵詈雑言でも受けてやろうと内心覚悟していると、御子柴さんは息を吐き出して、
「あースッキリした。ノワちゃん、陽向くん起きたよ」
あれ、今のは八つ当たりか何かだったんですか。感傷に浸った自分が少し恥かしい。まあ御子柴さんも照れ隠しをしている線もまだ残されていると思うので希望は捨てないでいよう。ストレス発散機にされてたら適わない。
「そうみたいですねー」
「陽向くん、ノワちゃんが運んで来てくれたのよ。ちゃんとお礼言ってね?」
覚えてはいないが、しっかり助けに来てくれたのだろう。俺の体は男にしてはかなり小柄な部類に入るが、ノワはそれを一人でここまで運んできてくれたらしい。自分より大きい体を鍛えてもいない体で、しかも女の子がそれを成し遂げるにはかなり大変だっただろう。借りが一つできてしまったようだ。借りどころか命を助けてもらったから、もう何されても文句は言えない。何だろう……すごく怖くなってきました。
将来がとても心配になるが、ここはとりあえず礼はちゃんと言っておかなければと思った。
「あーはい。えっと、ありがとな。助かった。御子柴さんも迷惑かけました」
「もうほんとだよー大変だったんだからなー。警備のやつらがそこらじゅうにいてー見つからないように運ぶの大変だったんだぞー」
そうか、やっぱり警備のやつらが来てたのか。でもノワがどこにいたかは知らないが、警備員に俺の身柄を確保される前に運んでくれたってことはかなり急いで来てくれたんじゃないだろうか。ノワの速やかな救助に感激するが、警備員と聞いてあることを思い出した。
あ…………血……。やばい、めんどくさい。どうしよう、免れぬ運命に流される気分だ。
不安要素が一つ増えてしまったが今考えていても仕方がないので放置しておくことにした。
もう傷はない肩を回してみるが、痛みはもうないが少し違和感がある。その違和感は記憶として脳裏に焼きついている痛みを呼び起こさせてしまうものだった。本当に死ぬかと思った。
「教えられた場所に行ってみたら血流して倒れてたからほんとびっくりしたよー」
「涙流しながら店に入ってきた時はわたしも驚いたわ。ふふふ」
言われて反射的にノワの顔を見てしまった。当のノワは瞬時に顔を逸らしたが、その行為自体が事実を示していることは明白だった。
「こっち見るな!まったく、気をつけろといったのになー」
「あれは不可抗力といってだな。いきなり撃たれたんだからどうしようもないだろ」
いや、ほんと俺は悪くない。
「で、瀬戸は心当たりあるのー?」
顔を背けたまま聞いてくる。
あるにはあるのだ。でもそれを認めてしまうのは少し抵抗があった。気絶している時に見た夢、昔の何気ない会話として記憶の奥底に眠っていたことが今になって思い出されたのは、もしかしたら彼女があの娘なのだと暗示しているのかもしれないと思ってしまう。確証はない。しかし――。
「その顔はあるみたいだねー。……リヴ・スペースかな?」
それを聞いて御子柴さんの反応が気になったが、特に驚いた様子もない。昔はあんな狂ったゲームに参加しようとしていただけに伊達ではない精神力があるのだと改めて認識させられた。
「ああ。御子柴さん、昨日のリヴの様子で何か変わったことありませんでしたか?」
「明らかにあったわ。初めて会った時と全然様子が違って、具合が悪いのかと思って聞いたけど大丈夫の
一点張り。一晩寝たらよくなるって早く寝たわね。疑うつもりはないけど可能性としては外せないんじゃないかしら」
同意だ、というか事態を俯瞰してみれば容疑が掛かる知り合いは他に考えられない。なんて撃たれたのが他人だったかのように思った。実際に記憶に痛みは残っているが、傷自体は治っているので、数時間前に自分がもう少しで死ぬかもしれないというほどの傷を負っていた実感があまり湧かないのも事実。全部二人のおかげだけど。
思った以上に冷静な御子柴さんが頼もしいと思ったのと同時に少し寂しくもあった。俺とノワはリヴを疑っているから、御子柴さんだけはそうではないと言ってほしかった気持ちもある。感情に流されない言動は目を見張るものがあるけれど。
しかし計画的犯行なのだとしたら穴が多すぎる。俺と話していた時のリヴが素だったのか、油断させるためのペルソナを被っていたのかはわからないが、そもそもそんな器用なことが出来るやつがこんな穴だらけな計画を練るはずがない。なら消去法で出てくる答えは自然と神崎通にたどり着く。つか、それ以外の可能性は何か理由をつけて排除していると自分でわかっている。
何度目とも知れぬ仮定を挙げて言えば、リヴの異能は狙撃手にふさわしいそれだ。彼女の銃の腕がどれほどかは知らないが、当たったのは肩。明確な殺意があったならば確実に心臓か脳を狙う。偶然狙いが逸れたならば確実に殺すために人員を配置しておく――無論サイレンサーを使っても反応する警報機によって、警備員に包囲されることを覚悟の上でするならの話だが――俺ならそうする。異能自体が嘘だという可能性はないだろう。そもそも嘘をつく理由が見当たらない。
仮定が仮定を呼んで、思考が混沌に落ちていきそうになる。可能性を考えていれば、樹形図のように広がっていって処理しきれない。非効率だ。すべきことを一つずつこなしていくしかない。
何かしらの事情があって神崎に従わざるを得なかったとしても、撃ったのは事実となる。この二人の考えていることはわからない。だから今感じている可能性のことを話しておくのが最優先だろう。
「リヴはアストルの娘……かも知れない」
「……本当なの?」
「確証はないですけど、纏っている雰囲気がどことなく。髪色も近かったですし。ノワは何か聞いてないか、娘の名前とか」
「さー、娘がいるってのも今初めて聞いたからねー」
なんで話してないんだよ。
「くそっ、こんなことなら苗字聞いときゃよかった」
俺はアストルの苗字を知らない。出会ったときに名前だけ言われ、苗字なんて興味もなかったし聞こうと思わなかった。思えば俺たちは数年一緒に暮らしておいて、彼のことをほとんど知らないのだとわからされた。今更悔やんでも仕方がないことは百も承知だが、雰囲気やら髪色だけでは確証はえられない。
俺は昔アストル話されたことを二人に話した。気を失っているときにも見たことだ、鮮明に思い出すことができる。
リヴが撃ったのだと俺たちより先に警備局に知られたらすぐに追手が行く。そして、リヴはそこまで身体能力が高いようには思えない――演技でないとしたら――から即座に捕まるだろう。それを阻止しなければならない。それには少なくともノワの協力は必要となる。
「へーアストルがそんなことをねー。しかも瀬戸だけに」
口を曲げ、じーっと見てくるその非難じみた視線が痛い。別に隠していたわけではなく、あのアホ師匠が言ってなかっただけでしょ。俺が責められる理由はないはずなんだけど。
「ああ。でも本人に確認しないことには本当に娘なのかどうかはわからん」
「どこにいるのかわかるの?」
「わかりません」
御子柴さんの問いに即答する。実際、心当たりなんて一つも思い浮かばない。犯人がリヴじゃないとしたら、待ち合わせの時間に来ていたかもしれないが、あの場の異様な雰囲気を悟って流石にどこかに行っただろう。どちらにしても手掛かりはないし、はちゃめちゃに探したところで簡単に見つかるほどこの街は狭くない。
俺の残念な答に二人とも肩を落としてあからさまなガッカリ感を出す。息ぴったりですね。というか二日間の付き合いで相手がいそうな場所がわかるなんて無理でしょ。異能でもない限り。
「御子柴さんから連絡取れませんか?」
「さっきしてみたけど繋がらなかったわ。陽向くんからは出来ないの?」
そこを突かれると痛い。なぜなら、
「俺あいつの番号知りません」
ということだ。これまた二人は息を合わせてため息をした。これもね、交換してるわけないでしょ。女子じゃないんだから。確かに一晩止めてやったが、そこまで親しくなったつもりはない。
「あ、もうこんな時間か。ごめん、仕事に戻らなきゃ」
腕時計を見て、椅子から立ち上がり長い髪を後ろで束ねる。時計を外しロッカーにしまう。
仕事を抜けて看ていてくれたのなら少しも申し訳ない。それでも一緒に探すと言ってくれなかっただけ助かった。必要以上に首を突っ込むのはよくないと思ったのかもしれないが、こちらとしても助けてもらっておいて巻き込むわけにもいかないから安全な場所にいてくれたほうが安心だ。
「ごめんね、一緒に探せれなくて。裏口使っていいわよ」
謝られる必要はこれっぽちもない。むしろ俺が十回謝って、十回礼をしてもたりないほどだ。しかしこれ以上引止めてしまうのは、それはそれで申し訳ないので簡潔に返答した。
「わかりました」
「それじゃあ気を付けてね」
そう言って部屋から出て行った。俺はその背中に一礼して、今度溜まった借りを返そうと決意した。そのためにもまずこの事態を落ち着かせなばならない。
ノワに向き直ると、まだムスッとしていた。「ボクもアストルに恩があるのになんで話してくれなかったんだー」などとぶつぶつ言っている。
「あんまり長居してるのも気が引けるからとりあえず出るぞ」
すねた様子のノワを無視してドアを開ける。すると左耳に騒がしい声が入ってきた。客がかなり多いようだ。だとすると今の時間はこの店のピーク、つまり午後零時から一時くらいの時間だろう。ポケットから端末を取り出すと俺の血がしっかりとついていた。我ながら汚いと思いながら起動すると充電がもうわずかということと現時間が一時を少し回っていることを確認する。ノワに助けを呼んだ時に見た時間は九時くらいであったから、ざっと四時間は気を失っていたことになる。そんな忙しい時間帯にもかかわらず御子柴さんが看ていてくれたのだ。店の方にも申し訳なさと感謝の念がこもった礼をしなければいけないかもしれない。
廊下に出て右のほうが裏口のようだ。入り組んだ構造にはなっておらず、すぐに見つけることが出来た。
ギ―という錆びた音を出しながら開いた扉の外は路地裏につながっていた。
日の当たりにくい場所で少し湿っぽい。
遅れてノワが出てきた。
「で、どうする?」
どうすると言われても、探すという至極漠然としたことしか思い浮かばない。それには情報を集める必要がある。つか、それ以外出来ることがない。
「まずは情報収集だな。ノワは、俺が撃たれたあたりで警備員から盗ってきてほしい。俺は、まず服をどうにかしねえと」
せめてコートを変えて血を隠さないと聞き込みも出来ない。
「そうかーじゃあ、買いに行くかー。いい店知ってるんだよー」
そう言って俺の襟をつかんで引っ張っていこうとする。唐突なことでバランスが崩れ、引っ張る力はそれほど強くないのについて行ってしまった。
「おい、二手に分かれたほうが効率的だろ。俺のコートはそこらの安物買うから、お前は先に行っててくれ」
俺が倒れそうな状態で言うと、ノワが突然止まった。それから振り返って、
「手伝わないぞ?」
その顔はとてもいい笑顔だったのに、言葉に棘があり威圧感があった。
読んでいただいた方ありがとうございます。
※前話で主人公の師匠「アストゥール」としていましたが、なんか違うなと思いまして、勝手ながら変えさせていただきました。すみません。