「私」 4
それよりもなによりも。
「あの、ここって妖相談所ですよね」
妖相談所。この類の看板や張り紙はよく見かける。学校の掲示板にさえあるのだから逆に見ないで生活する方が難しいだろう。
私がその単語を口にすると、彼の顔がぱっと輝いた。瞼が完全に負けて、爛々と光る黒い瞳孔が私を映す。やはり吸い込まれるような黒、純黒だ。無論吸い込まれるといっても恋に落ちるといった表現ではない。どちらかというと泥沼にはまるような危機感を少し覚える。
「おぉっ!それで来たのか!それはよく来た!まぁあがれって!」
彼の見た目に気を取られていたし、ちょっと早口だったのでよく聞き取ることが出来なかった。最後の方にマーガレットとか言ってった気がするけど。オリジナルのいらっしゃいませかな?
さて。ここは確かに妖相談所のようだ。まだ信用は出来そうにないけど。
第一相談所がこのようなところにあっていいものだろうか。普通はもっとモダンでシックなんじゃないかと思う。ほら、テレビで取り上げられているのを見たことがあるけれ訪問者を落ち着かせて安心するための創意工夫があったり。
それに比べるとここには不安要素しかない。相談所よりも心霊スポットと言った方が近いし外観にあっている。まるで墓場に病院があるようなものだ。縁起が悪い。
そうして考えているうちにも半ば引っ張られるようにして部屋の中にあげられた。玄関が終わらないうちに急いで靴を脱ぎ棄てる。
内装は私の妄想をまたも裏切って、至極普通だった。つまりアパートの外見から憶測できる程度の部屋が広がっていた。それといった特徴はない。
玄関わきの台所は先程の無人の部屋とは違った意味で汚れていた。シンクには洗っていない食器やカップラーメンのごみが貯まっていて、嫌な臭いが仄かに漂っている。私が鼻が良いので鏡を覗けばくしゃっと表情が電子レンジであっためたミニトマトのようにしかめられてるかもしれない。あれは苦手。噛んだ時に出てくるぬるっとしたトマト液が舌に何とも言えない違和感を残してゆくから。
「実のところ客が来なくて困ってたんだよ」
え。
もしかしたらやっぱり雑草の前で引き返した方がよかったのかもしれない。
こんな部屋が相談所だなんて。そりゃ相談所に規定はないかもしれないけど他の相談所に失礼だ。廃病院のお仲間なのだからやはり肝試しの名所を名乗るべきだ。
これは小さなガム一つしか入ってないくせにお菓子売り場に並ぶおまけ主体の商品くらいの肩書きのごまかしだ。…違うか。
でもほかの相談所は値段が。高校生の懐事情はかなりさみしい。涙が出そうになるくらい。今も諭吉さんは留守中で、英世さんが二人ほどいるだけ。桜や芒もポケットにはあるかな。絵にするとお花見とお月見を二人の英世さんが楽しんでいるわけで、とても華やかなのだけど。
「ほれ、適当に座れ」
六畳ほどの広さがある奥の広間には年季の入ったちゃぶ台と、座布団があるくらいだった。あとこれはもう言うまでもないかもしれないけど物が散らかっている。床の傷だらけのフローリングが隠されているから相当なものだ。しかし雑草畑と違って獣道はあるから彼がここに住んでいることは間違いない。それに屋根や壁にも修復が施されている。
ってか達磨まである。何故だ。選挙事務所なわけでもなかろうし。あの達磨押し売りが来たのか。そして買ったのか。
右手はもう一つの和室につながっていて、開け放たれた、というか破けているので閉めたってさほど意味はない障子の奥にはせんべい布団が乱雑に敷かれていた。その部屋の奥の押入れは恐らくネコ型ロボットが入ったら底が抜けるに違いない。
くたびれた部屋の中で、隅にある銀色のノートパソコンだけがミスマッチで、まるで砂漠にバナナの木が生えているように感じる。北海道にシーサーでもいい。
私は彼が腰を下ろした座布団の、ちゃぶ台を挟んで正面に腰を下ろした。
すると彼はおずおずと座る私を満足げに見つめながら、んんっとまるでスピーチを始めるかのように喉を鳴らし、そして両腕をできる限りに広げた。ハグを待っているようにも見える。勿論私がその胸に飛び込むことなんてあるわけないんだけども。
そして彼はすぅっと深く息を吸い込む。
「ようこそ、妖相談所へ」