「私」 3
あまり強くたたくと壊れてしまいそうなので、私は控えめに数回ノックした。それでも予想以上の音が響いて自分でびくりと肩を震わせる。
実際はほんの数秒だったのだろうけど、焦燥感や懐疑心を抱く私には反応が返ってくるまでの時間が異様に長く感じられた。これがアイン先生が言っていた相対性理論というやつか。
…それよりもアインシュタインはアイン・シュタインでいいんだっけ?少し違和感がある。長ズボンの裾から覗く友達の靴下の色が微妙に違った時のような。でもあれは指摘すると実はオシャレだったりするから。その時の気まずさったらない。
そんなことを勧化手いるうちにかちゃかちゃと金属の触れ合う音がして取っ手が回ると、呼び出したのは私なのに無責任にも時が止まることを願ってしまう。こ、心の準備が。
もしかして扉の向こうには得体のしれない存在がいるのかもしれない。目がいっぱいあったり、触手が蠢いていたり。そんな光景が広がっていたら多分私立ち直れない。タコが食べれなくなるかもしれない。でも最強の陰陽師って張り紙に書いてあったし、最強ならやっぱりおぞましいだろうし。
そして扉が開く。
「洗剤の押し売りならこの前新聞の勧誘の人からふんだくったのでお断りですが」
しかしくたびれた声とともに現れた住人は私の想像をだいぶ下回っていた。まさかまさか。こんな緊迫感の中で想像が現実の上を行くなんて。映画だったらありえない。いや、コメディならあるかも。
まぁさっきの私の想像を上回るとするならば怪獣と巨大ヒーローが出てくるくらいしかないのだけれど。でも洗剤の押し売りって。聞いたことがない。達磨以上にレアだ。いや、それはないか。達磨なんて店頭に置いてあるところすら見たことがない。
「あれ?勧誘とかじゃないの?」
私の目前には私よりも十センチ近く背がひょろ高い男が一人立っていた。
全体的に眠たそうというか気怠そうで、睡魔を味方に付けた瞼は既に瞳の半分を侵攻している。
肌は処女雪を彷彿させるほどに淡く白かった。それは美白ともいえるのかもしれないけど、着ている「女=くのー=苦悩」と新たな「女」の覚え方がプリントされたTシャツが薄汚いせいか、ただただ不健康なイメージを醸し出していた。
カーゴパンツもいつ洗ったのかわからないくらいによれよれで、流石にここまでの皺はおしゃれと言い切れないだろう。いかにもこのアパートの住民、といった感じだ。その点では私の想像を裏切ってはいなかったのでやはりあまり驚いたという感じはしない。
背景が背景だから様になっているものの、冷静に考えれば身なりだけで充分に異様で、もし道ですれ違うようなことがあれば離れるし、同じクラスだったら話しかけないし、兄だったら誰にも紹介しないような存在だったのだけれど、追い打ちをかけるようにして髪の毛が私の目を奪った。
だらしなく肩あたりまで伸びている髪の毛はやっぱっりぼさぼさで、四方八方にはねているのだけど、色が艶やかだった。見かけによらず最低限の手入れはしているのかもしれない。
単純に言えば白と黒の縞模様。
染めているのかどうかはわからないけど、純白と漆黒のコントラストは私の目に鮮明に焼付いた。白髪と黒髪が等しく分布しているかというとそうではなくて、それこそシマウマのような模様を編み出している。
そして白は白髪の白ではなく、本当に絵具でぬたくった様な厚みのある白で、美しくて眩しかった。黒も黒でとても深く、見ているだけで吸い込まれそうになる。もったいない。宝の持ち腐れというかか腐っても鯛というか。あと腐っても鯛というけれど多分違う。腐ったら生ごみ。皆平等。
私が彼を眺めている間、彼もまた私を眺めていたのか、私の視線が一周して彼の瞳へと戻った時には、先程とは打って変わって目が見開かれていた。
「いや、もしかして女子高生を使った新手の勧誘?すごいな。甘い声で誘われたらついてっちゃうかも」
よくわからないことをつぶやいていたけれど、よく訳が分からなかったのでスルーすることにする。スルーするー…一度口に出して言ってみたい。