「私」 2
どうすれば階段にかかる負担が減るのかはわからないけど、私は腰を低く、イメージは忍者な上り方で何とか二階に到着した。
小さな丘を登り切ったくらいの達成感はあるけど、爽快感は全くない。変に緊張していたせいか疲労感はついてきたけれど。それでも外廊下で、まったく信頼できない、まるでこの前私の家に達磨を押し売りに来たあの男の人のようなアパートの柵によっかかる気にはなれなかった。
それにしてもあの達磨にどんな需要があるのだろう。「こんなこともできます!」とか言いながら男の人は額の上に乗っけたりと曲芸まで披露してくれたけど少し押し売り方が間違っている気がする。おひねりは渡したい気分にはなったけれども。
二階には一階と同じように扉が三つ並んでいた。どれも色は剥げていて、一番手前の扉の郵便受けからは新聞が吐き出されている。なんとなく中学生のころにテレビでみた口からトランプをんばーと吐き出すマジシャンを思い出した。そのころの私の目にそれはすごく鮮明に焼付いて、今の私が唯一出来る手品が口からトランプを吐き出すといった乙女チックではないものとなってしまった。将来宴会か何かしらで上司の無茶ぶりに追い込まれない限り披露する日は恐らく来ない。
二つ目の扉は新聞はないけれど、ドアノブすらもなかった。ついでにいうと廊下に面している窓のガラスもなくて台所が丸見えになっていた。
なんとなく覗いてみると、部屋の中は随分とすさんでいる。
当たり前のことながら水回りは長らく使われていないから錆が目立つし、得体のしれない汚れもこびりついている。干からびた食材や食器の破片なんかも散乱していて、もう臭かった時代を通り越して無味乾燥な状態。生が感じられない。化石だ化石。アンモナイトちっく。
単純にひどい。大家さんは一体何をしているのか。場所が場所なのだから大家さんさえがんばれば別に売れなくもないであろう物件なのに。このような状態じゃお化けでるかも、という噂の部屋よりもたちが悪い。幽霊ならそういった類を信じない人や「私、霊とかわかるんですよね」とかいう人が寄ってくるかもしれないがここには。異常な掃除好きしか寄ってこないだろう。
私はなるべく音をたてないように歩きながら一番奥の扉の前まで来た。別にスパイ活動をしているというわけでもないのだけど、あたりを占める静寂を自分が破ることにためらいを感じる。
その扉はほかの二つと比べると少しましに見えた。そりゃ塗装は剥げて、傷もついてはいるけど銀色の取っ手は光っているし、窓には曇ガラスがはめられている。もしかするとこの扉の向こうにはすごい近代的な内装が広がっている可能性だってあり得る。引き出しの向こうが過去未来につながっていることだったあるんだから。
部屋の前で小さく息を整えた後に、いざ尋常にということでインターホンを―探したのだけれど見つからなかった。壁も薄いであろうこの家屋には必要ないのかもしれない。きっと隣の扉をたたいても全部屋の住人に聞こえているだろう。住人がいればの話だけど。もし隣の扉からびしりとスーツを着こなした七三黒縁メガネのサラリーマンでも出てきたら青白三角巾の足無幽霊が出てくるよりもびっくりする。驚愕の要素はギャップということか。