「私」 1
目の前にたたずんでいるのは、思ったよりもおんぼろのアパートだった。べたながら目をこすって電柱に記された住所を再確認してしまう。
絶対に私のような女子高生が立ち寄るべき場所ではない。女子高生はもっと…なんというか行列ができるパンケーキ屋とかに行くべきだと思う。
場所としては中々の都会、最寄の駅から徒歩十分、近くには大型スーパーマーケットと立地条件はとてもいいのだけれど。なのに溢れるこの虚無感。もしかしたらこの一区画だけ見捨てられているのかもしれない。えっと、大家さんとか国とかから。
小さな地震にも耐えられそうにもない木造の二階建てアパートは両脇のモダンなマンションに挟まれて、肩身が狭そにたたずんでいる。私だって左右に超絶美人がいたら萎縮してしまうし、なんとなくアパートさんの気持ちがわかる。建造物の心まで読めるなんてまるで私が不思議ちゃんのようだ。
二階へと上がるための外階段は元の色がわからない位にさびていて、屋根の瓦も所々剥げていた。人間に例えるならば頭皮が気になってきた中年サーファー。肌は真っ黒頭はすかすか。
―イメージがわかない。
大体その階段にたどり着くまでの敷地にも私の腰あたりまで届く雑草がかなりの密度で茂っている。獣道のように人にならされた道さえないとなると人が住んでいるかどうかさえも怪しい。
窓なんてお約束みたいにひびわれて、その上にガムテープが貼られていて、この前テレビで見かけた昔のいじめられっ子の家を思い出す。ここに住んでいるのが男の子ならお前のかーちゃんで、べ、そ。なんていわれてるのかもしれない。
そして誰にも気にかけられていない建物自体から漏れる哀愁は光を屈折させるのか、まだ太陽がバリバリ勤務中だというのに雰囲気がどこか薄暗い。
と思ったらよくよく観察してみると、実際にマンションに囲まれて日当たりも良くないようで、空気は湿っているようで、ネガティブな条件がそろい過ぎていて逆に不自然。本物より本物過ぎる偽物、といったところだろうか。
「本当にここであってるのかなぁ」
すぐに不安になった。
もはや大家さんが入居者を集めてることさえ諦めているであろうこのアパートには踏み入れることさえためらわれる。私が起こす微振動で崩れてしまいそうでもあるし。砂上の城どころか砂の城。無邪気な子供の一撃でどーんだ。
本当に引き返すべきかもしれない。どう見ても踏み入れるような場所じゃない。ぴっちぴちの女子高生がこんなところに踏み込んでは何か物語が始まってしまいそうでもある。よくある展開。私INワンダーランド、読みたくもない。
たっぷり数分間悩んだ挙句、結局私は雑草の中へと踏み込んだ。やらない後悔よりもやる後悔の方が良いと耳にしたこともあるし、今の私は藁にすがることしかできない。でも藁も捨てたもんじゃない。大事にとっておけばみかんとかに交換したりして長者になれるかもしれない。
「ふぅ」
決心をした私が一歩踏み出した瞬間、草原全体がざわめき、身を震わせたように思えた。やはりやじろべえのように、微妙なバランスで成り立っていた何かが傾いてしまったのかもしれない。決心したのに一歩目でくじけそうになる。
でも立ち止まるわけにもいかないので、ちくちくと脚がむずがゆいがそれを我慢をして、ずんずんと進んだ。横断歩道を渡っている途中で赤信号になっても引き返さないで急ぎ足で渡りきるのと同じ原理。違うか。
時折バッタが突然跳ねてびっくりする以外はさほど問題もなく階段までたどり着いた。それにしてもバッタはゴキブリの次に怖い。よく見れば見た目もグロテスクだし、飛ぶし跳ねる。
階段は階段で、雑草以上のアトラクションだった。体重をかけるとみしみし嫌な音を立てて軋むし、あわてててすりりをつかんだ手はいつの間にか手すりの一部を破壊していた。
といっても別に私の体重が重いわけでも握力が驚異的なわけでもないから誤解はしないでほしい。一乙女である私の体重はリンゴ二つ分だし、握力だってリンゴもクルミも割れない。なのにこのありさまだから、男の人がここを訪れたら本当に色々と破壊してしまいそうな気がする。しまいには瓦礫の中に立ち尽くすといった感動的、並びに虚無的な構造が出来上がるかもしれない。
…ちなみにリンゴ二つ分のくだりは少しないな、と自分で思いました。友達との会話でこんなことを言ったら痛い子だと思われてしまう。女子の関係はデリケートだからそんな些細なことでもオリンピックボイコットくらいには重大なことになる。些細なのに重大だからたちが悪い。