恋をしたら帰れない
藤谷 要は、11RTされたら『カラ元気』な『専務』と『ツンデレ』な『精霊』の組み合わせで、ヤンデレ話を書きます!
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チュンチュン。
元気な雀の鳴き声が、さっきから聞こえる。まるで私に起きてって言っているみたい。
もう、待ってよ。
気持ち良いくらい、眠気がすっきりとれた目覚めだった。
うっすらと目を開けると、爽やかな朝日が窓から差し込んでいる。部屋の中を明るく照らしている。見慣れた、白い天井――じゃない!?
壁紙の模様が違う。
あれ? ここどこ!?
温かなお布団に包まれた安心感が、裸足で一目散に逃げ出した。
ここは自分の部屋ではなく見知らぬ部屋だった。びっくりして、起き上がろうと身じろぎしたら、すぐに異変に気付いた。
私の隣に誰かいる――!
慌てて上半身を起こした直後、身体に電気のような痛みが走る。見下ろせば、生まれたままの格好の自分。有体に言えば素っ裸な上に、あちこちが痛い。――主に下半身が。
私が動いても、隣に寝ている人は、全然起きる気配はなかった。見違えるはずもない。上司である専務が無防備な寝顔をさらして寝ていた。
西洋人とのハーフらしく、その風貌は日本人離れしている。柔らかい短髪の髪は、少し色素が薄くて栗色寄り。目鼻立ちのはっきりとした顔は整っている。
閉じた瞼の下には、青い瞳が隠されていて、目が合うと宝石のような綺麗な輝きにいつも見入ってしまう。多くの人にとって魅力的だ。
――もちろん私にとっても。
彼は専務という重役だけど、二十代後半で役職の割には若い。何故なら彼は社長の息子で後継者だから。
専務も上半身に何も身につけていないのか、素肌のままの両肩が布団からはみ出している。透明感のある白い肌。首筋から鎖骨にかけての張りのある筋は、男の色気を見事に醸し出している。
まだ眠りの中にいる彼の、瞼を閉じた寝顔はとても無防備だ。長く艶やかなまつ毛が、目元に淡く陰を落としている。芸術的な美しさに思わず視線が釘付けになる。
おぼろげながらも記憶に残る、昨夜の彼とのやり取りが、私にとって非常に拙い状況を作り出していた。
熱くなった顔を思わず両手で押さえて変顔するほどに。
とりあえず、私は気を取り直して、ここから逃げることに決める。
だるくて重い身体を動かして、急いで部屋の中に落ちていた服を身につける。その最中に床に散乱した花びらまで見つけて肝が冷えたけど、今更どうしようもない。隠ぺいは諦めた後、自分の鞄を拾い上げて彼のマンションを去った。
昨晩は送別会。三月末の年度の終わりで異動する人のために、専務を含めた同僚たちと私は飲み行った訳ですが。
まさか、自分が専務と朝チュンをしてしまうなんて――。
彼にはお世話になっていて、私は非常に好感と敬意を抱いていた。でも、彼は恋人には遠慮したい部類で、そもそも私は誰とも付き合う気なんて無かった。
それなのに――。
専務の向かいにある自分のアパートに帰って来た直後、私はスマホを取り出してメッセージを送った。
『昨日のことは無かったことにしてください』と。
実は私は人間ではなかった。実習のため、人間社会に紛れ込んでいる精霊という存在。
元はただの女子高生だったけど、自転車に乗っているところを車に撥ねられて、あえなく人生終了かと思いきや、なんと精霊として生まれ変わっていたの。
花の精霊ということで、それなりに楽しく暮らしていたんだけど、百年も生きていると、平凡な毎日に飽きてくるというもので。
それで、一念発起して新しいことに挑戦してみたわけ。
ほら、よくあるじゃない? 昔ばなしで人間の願いを叶える精霊が出てくる話。泉に斧を落とした話が一番有名かな? あの仕事をちょうど募集していたから、私は応募してみたの。
まあ、元は人間だったこともあり、面接後にあっさりと採用!
それから仕事をすぐに任させるかと思いきや、まずは人間について学ぶために研修が始まった。いきなり人間界に放り込んだ後、世間知らずが原因で騒ぎを起こされても困るからと。
講義は退屈だったけれど、真面目に受講して最後の筆記試験に合格。そして、次の課題は、一年間という長い期間、人間社会で暮らすことだった。
私は元人間だったということもあり、一年なんて楽勝だと気楽に構えていたんだけど、人間界に行く前に重々注意されたことが一つあった。
それは人間と恋愛してはいけないこと。守らないと元の精霊界へ戻れなくなるらしい。
でも、そんな話を聞いても、「ふーん」と興味なくスルーしてしまった。
前世から今まで浮いた話が一つも無かったので、そんなこと自分には関係ないと思い、大して気にしてなかったんだけど――。
今では、もっと詳しく訊いておけば良かったと後悔している。
話は戻り、実習で久しぶりに人間界へ来た私はすごく緊張していた。ところが、自分が思っていたより、時代が変化していなかったことに何よりも驚いた。
自分が人間だった時はビデオテープだったけれど、今ではブルーレイで便利になったなぁとか。携帯電話がすごく進化してガラケーからスマホになっていたとか。そういうレベル。それで、人間界と精霊界では時間の流れが違うということに気付いた。
まあ、細かいことは気にしないのが私といいますか。とりあえず、上からの指示をこなすことにした。
私への指令は、なんと企業に勤めながら人間のように暮らすこと!
どうやって手続きをしたのか、普通の商社に私は新入社員として採用されていた。私の名前はファンタジーの世界らしくミュゲルという名前だったけど、ここでは『鈴原 蘭』という偽名を使うことになった。
ここでも再び新人研修を一ヶ月間受けた後、専務の部下に配属された。
見た目は若い女なので、人間界に紛れ込むのは問題なかった。ところが、前世は女子高生で終わっていた私は、正直なところ仕事を覚えるのが大変だった。
コピーの取り方から、お茶の汲み方、パソコンの使い方から、会議室の予約の仕方。魔法では対応できないことばかり。
色々と学ぶことが多くて、気持ちに余裕がなくなり、すぐに元の世界へ帰りたくなっていた。
精霊界にいた頃、仲間たちと楽しくおしゃべりをして気楽に過ごしていた日々。あの時は退屈に感じていたのに、すごく懐かしくて仕方がなかった。
そう、実のところ、私はホームシックになっていた。
そんな私を気遣ってくれたのが、上司の専務だった。
寮として借り上げているアパートに私は住んでいたんだけど、偶然にも専務のマンションの真向かい。すごく近かったの。
そのため、残業後に一緒に帰宅したり、ご飯を食べに行ったり。
彼は上司として親身になってくれて、私の弱音を聞いて慰めてくれた。
私より若いのに社会人経験は豊富な彼は、とても頼り甲斐のある人で、私はすっかり彼のことが好きに……いいえ、尊敬するようになった。
「あれ? この花は誰が? とても綺麗だね」
皆の足手まといを自覚していた私は、せめて職場の雰囲気を和やかにしようと、花瓶に魔法で創り出した白い花を活けていた。その時、専務が背後から尋ねて来て、動揺のあまりに暴走しそうになった魔力。
自分だと答えたら、好感度が上がってしまうかもしれない――。
「さあ、誰でしょうね? あ、もちろん私じゃありませんから! 別に目の保養にと思って飾ってなんていませんから!」
私の咄嗟の誤魔化しは巧くいったらしく、専務に怪しまれることなく、やり過ごしけれど。
それから、何とか仕事に慣れ始めて来たある日のこと。
恐ろしいことに、私は女性の先輩たちから呼び出された。
「ちょっと、あなた。専務の部下だからって、彼に優しくされても、あまり調子に乗らないでね?」
イケメンの専務は、職場では異性からの注目の的。
長身の綺麗な立ち姿は自然と人目を惹き、その場にいるだけで華やかな人だ。
さらに彼は社長の息子という恵まれた境遇にいる。それだけではなく、勤勉な態度で仕事をこなし、実績を確実に上げていた。
彼の優れた能力と容姿は、誰から見ても明らか。
だからなのか、新人の部下として彼の傍にいた私への風当たりは、とても強かった。こうやって、私をわざわざ裏まで呼び出して忠告していった先輩がいるくらいに。
それもそのはず。専務は付き合っていた恋人と四月に別れたばかりらしい。
専務の女癖の悪さは有名だった。
数カ月から一年と短期間で彼女を取っ替え引っ替え。
それでも、別れ話で拗れたり、包丁で後ろから刺されたりすることはなかったようで、彼の恋人の座を狙って、我こそはと立候補する人が絶たなかった。
私を呼び出した先輩たちも、その一部だった。
面倒なことになったと、一時期は憂鬱な気分を抱えていた。でも、そういえば最近彼女たちから嫌がらせが無いなぁと感じた時には、彼女たちはみんな自己都合で辞めていた後だった。
彼女たちの個人的な事情までは知らない。でも、私には関わらない方がいい――という恐ろしい噂が当時流れていたらしい。
私は何も関わっていないのに、本当にヒドイ話!
まあ、でも。それからの私の周辺は平穏になったから良かったけど。
それからゴールデンウィークを迎え、長期休暇で何をしようかと私が浮かれていたら、職場のみんなで遊びに行こうという話になったことがあった。
でも、ウキウキ気分で私が約束の場所へ行くと、来てくれたのは専務一人だけだったいうオチが待っていたけど。
専務へ届いた連絡によると、他のみんなは急に都合が悪くなってしまったらしい。体調不良や実家から呼び出しがあったなど。
せっかく皆で遊べると楽しみにしていたのに……。
このまま約束がお流れになると思って私が落ち込んでいたら、専務がこのまま二人で出かけようと提案してくれた!
この時も彼はとても頼もしくて、手際よく私をエスコートしてくれた。
専務の車で連れて行ってくれた遊園地。専務の思いがけない表情を発見したり、人ごみで見失わないように手を握られた時、魔力が暴走して花びらを突然降らせてしまったり。
色々ヤバかったけど、とても刺激的な一日だった。
「ま、また二人で出掛けたいなんて、そんな恐れ多い事、全然思ってないですから!」
でも、良い雰囲気になっている気がしたので、わざと嫌われるような台詞を口にして、家に帰って落ち込んで。
それでも専務は職場で以前と変わらず優しくて、私は彼に対して申し訳なくなった。
夏休みには職場のみんなで海に行き、その夜の花火大会で逸れて迷子になってしまった私を専務が見つけてくれたこともあった。しかも、そんなときに限って私は携帯電話を持っていなかった。
あんなに大勢の観客がいる中で、私を探し出してくれた専務はまるで救世主に見えた。
「どうして私がここにいるって、わかったんですか?」
「フフ、僕は魔法使いなんだよ……なんてね。たまたま見つけられただけだよ」
専務がそう言って茶化して冗談を言うなんて珍しかった。いつものスーツ姿と違って浴衣姿だったこともあり、普段とは違った専務の一面を見て、思わず胸がきゅんとしてしまった。
専務と一緒に見上げた花火の迫力と美しさは、今でも脳裏に残っている。
「べ、別に浴衣姿の専務が、カッコイイなんて全然思っていませんから!」
専務に見惚れていたのを誤魔化すために、変な言い訳を口走ってしまったのは、恥ずかしい思い出だけれど。
一時期、変な男につき纏われたときも、専務が送迎してくれて守ってくれた。
ドジをしても自然にフォローしてくれたり、残業で疲れた時に甘いお菓子を差し入れしてくれたり。
私が一年間務められたのも全部専務のお陰!
彼のさりげない気遣いと優しい微笑みに、私はいつも胸をときめかせていた――。
でも、私は恋愛をしてはいけない。
帰れなくなるなんて、失うものが大きすぎる。
それに――。
もし彼と深い関係になっても、すぐに捨てられるのは明白。
だから、上司と部下の関係を壊しては駄目。
私はこれ以上彼を好きにならないんだから。
そう決意していて、私は彼に一定以上近づかないように気を付けていたのに。
もう精霊界から戻っていいと知らせを受けていたのに。
送別会を最後に、私の記憶を人間たちから消して、人間界から去ろうと思っていたのに。
専務が深酔いしたので、近所だからと彼を自宅まで付き添い、彼を介抱しているうちに、彼に押し倒されて――。
「きみのことがすきなんだ」
そう言われてキスされて。私の中で必死に押さえ込んでいた想いがはじけ飛んだ。
そして今朝、私は専務の家で目覚めた。
それから自宅に逃げ帰り、胸の奥がずっと痛くて一人泣いていた。
「私は一体何をしているの……?」
専務にメッセージを送ってから、未だに返事が届かないスマホ。私はそれをただ見つめるだけだった。
§
「ねぇ、鈴原さん。専務の様子、いつもと変じゃないか?」
送別会が週の終わりの金曜日だったので、土日の休みを挟んで出社したところ、職場の先輩に話しかけられた。
「えっ!? そ、そうですか……?」
朝チュンのことが先輩に知られたのかと、内心私は冷や汗もの。しどろもどろに答えてしまった。
「普段通りに仕事をしているんだけど、なんか表情がね、無理している気がして」
先輩には私の動揺を悟られなかったのか、彼は視線を専務に向けて話を続けていた。
私も視線を専務に向けて観察すると、彼の顔色の悪さを確かに感じた。
視線の先の専務は、自分の机で取引先の相手と電話で話している最中。私たちが噂話しているなんて、気付いていないようである。
通話が終わって受話器を戻すと、専務は疲れたように溜息をつく。そして、宙をさまよう視線。
それから彼は我に返ると、パソコンに向かって作業を再開していた。
「確かに、専務の様子が変ですね……」
体調不良だったから、自分に何も返信がなかったの?
結局専務からは今まで連絡が全く無くて。自分は彼にとって、それほど重要な存在では無かったのだと思っていたけど――。
記憶を消す相手に対して、私は何を求めているのだろう。自分で無かったことにしてくれと言ったくせに。
専務の反応を私は気にしすぎている。
たまに意味深な視線が彼から感じることがあったけど、動揺していた私は全て無視してしまった。
その後、いつも通りに一日の業務は終了した。
専務は普段通りに仕事をしていたようだ。でも、他の先輩たちも専務の異変に気付いたらしく、「何かあった?」と皆から次々と尋ねられたけれど。
なぜ私に尋ねるのかと、疑問に思って訊いてみると、「専務がおかしい時は、鈴原さん絡みが多いし」と皆から断言されてしまった。
「喧嘩したなら、仲直りしてね。僕たちの平和のためにも!」
別に喧嘩なんてしてない――。
ただ、お別れの時が近づいているだけなのに。
帰宅しようと私が廊下を出た時だった。「待って」と背後から専務に声を掛けられたのは。
「……話があるんだけど、いいかな?」
「でも」
「今日は僕も上がる予定だから、ちょっと待ってて!」
私の返事を遮るように専務はそう言い残して、再び職場へ戻って行く。それから彼は鞄を持って私の元へやってきた。
「僕の部屋に来てもらってもいい?」
彼の誘いに私は一瞬動揺したものの、すぐに頷いた。
これを最後に私は彼の記憶を消す。手遅れになる前に。
だから、人目につかない場所は私にも都合が良い。そう、理由はそれだけ。
§
専務の車に乗せてもらって私たちは帰宅する。車内は無言で、気まずい空気を感じてしまう。彼の横顔は不機嫌そうで、私はさらに彼に話しかけることなんて出来なかった。
でも、いきなり状況が変わったのは、専務のマンションに着いて、玄関に入って早々のことだ。
私は彼に背後から抱きつかれた。
「ちょっと……! 専務!?」
突然の抱擁に私は驚いて、緊張してしまう。
「酷いよ、無かったことにしてくれなんて。あの夜、君も僕のことを好きだって言ってくれたのは嘘だったの?」
専務の責め言葉に私は二の句を失い、同時に顔が熱くなる。彼に抱きしめられて身体が密着して、彼の声が私の耳元で囁かれて――。
伝わる体温が、あの情熱的な夜の断片を思い出さずにはいられない。
魔力が制御不能な状態になりそうで、私は彼の腕から逃げ出せずにいた。
「それに、どうしてあんなメッセージを送ったの?」
「そ、それは……」
「僕よりも、元の世界に帰る方が大事なの?」
専務の台詞に私は驚き、思わず振り返って彼を仰ぎ見る。
彼は私の視線を受けて微笑んだが、その瞳の色はとても暗くて、底知れぬ怖さがあった。
いつもは優しくて穏やかな専務。でも、この時の彼は不穏な雰囲気を纏っていて、まるで別人のように見えた。
部屋に案内されて、専務はコーヒーを自分の分だけでなく、私にも用意してくれた。
現在リビングの三人掛けのソファに私は座っていて、目の前に置かれている小さなテーブルに飲み物が置かれている。
専務の部屋は物が少ない。広いリビングには、他に大きな薄型のテレビが置かれているだけ。整然としすぎて生活感がなく、逆に私には落ち着かない。
彼は飲み物を提供してくれた後、私の隣に座る。
「実はね、知っていたんだよ。鈴原さんが人間じゃないってことに。僕の父親がそうだったから。僕は人間と精霊のハーフなんだよね。だからなのか、人間なのに魔法が生まれつき使えたんだ」
専務の告白に私はただ驚くことしかできない。
――専務が精霊とのハーフ?
専務の表情は硬く、微塵も冗談を言っている雰囲気はない。
信じられない話だけど、専務の話は本当かもしれない。彼は私が人間ではなく精霊だと見抜いていたから。
そもそも、精霊の私が普通に新入社員として雇用されている時点で、何か裏があったのは当然だったのだ。
ただ、私は混乱してしまって、すぐに状況を受け入れられなかった。
言葉を失っている私を彼は一瞥して、言葉を続ける。
「精霊はさ、人間と違って伴侶は一生の間に一人しか選ばないらしいね。だから、人間である母を選んだ父は――、まあ、その、色々あって元の世界に帰れなくなったんだ」
「そう、だったんだ……」
専務の説明は、私が抱えていた疑問に全て答えてくれたようなものだ。
人間と違って伴侶は一人しか選ばない。だから、元の世界に戻れなくなるんだ。
彼にしては途中珍しく歯切れが悪いところがあったけど、人間との恋愛に問題はあって当然だろうと思う。
でも、それでも『恋をしたら帰れない』ってどういうことなんだろう?
一時的にでも、精霊界に帰れるはずでしょう?
私は専務に惹かれ、彼と一夜を過ごしたけど、まだその手段を失ってはいない。
今なら、まだ間に合うんだ。このまま専務を拒絶すれば。
「君のことが好きなんだ。だから、帰らないで欲しい。僕がずっと大事にするよ。」
専務からの真剣な告白は嬉しいけれど、上辺だけの言葉としか思えなくて、虚しく私の心に響く。
あの夜、同じように気持ちを告げられて、私の中で溢れた彼への気持ち。一時は彼に命運を委ねようと思ったけれど――。
翌日、彼が流した様々な浮き名を思い出してしまい、色んな意味で目が覚めた。
それに加えて、土日の休みに全く彼から連絡が無くて。
専務にとって、私はその他大勢の女性の中の一人に過ぎないのだと察するしかなかった。
「……その言葉を信じられればいいんですけど。専務は誰と付き合っても、すぐに別れるらしいですね」
私が吐き捨てた途端、専務の表情が悲しげに歪んだ。
「どうか聞いてほしい。それには理由があるんだ」
専務は切々と説明してくれた。今まで自分がいかに不能だったのかを。
昔から専務はその容姿のために異性から大変もてていたらしい。そのため、相手から告白されて、男女交際まで発展するのは当然の状況。でも、相手から誘われても深い関係にまでは至らなかったらしい。
相手に対して性欲が全然湧かず、専務の下半身は全く反応しなかった。それが原因で気まずくなり、最終的には破局するしかなかったようだ。
「だから、一時期は恋愛ごとから遠ざかったんだよね。でも……」
今度は同性とばかり交遊していたら、同性愛者という噂を立てられてしまったという。
専務に向けられたしまった偏見。それで困った彼は作戦を考えたそうだ。
周りの目を誤魔化すために、広く浅く付き合えばいいと。
今まで交際してきた女性たちとは、全部清い関係だったらしい。
深い関係を催促されたり、匂わされたりしたら、それで関係を終わらせてきたようだ。
交際費は全部専務が負担。さらに別れ際に贈り物をして、後腐れが無いように苦心して。
深刻な表情で語る専務が嘘を言っているようには見えなかった。でも、どうしても腑に落ちない点が一つあって、私は口を開く。
「で、でも、その。あの夜、専務は私としましたよね!?」
恥ずかしそうに指摘する私を専務は目を細めて微笑む。
「僕の不能の原因は、精霊とのハーフが原因だったらしい。だから、他の人間とは違って生まれつき魔力を持ち、どうやら、その一人だけという特性が遺伝してしまったみたいで。だから、研修中の君に初めて会った時、僕の身体に稲妻が落ちたような衝撃があって――。それから僕の下半身が君だけに反応するようになった」
専務の告白に私は絶句する。
「それから君を手に入れるために僕は頑張ったんだよ?」
気付いたら、専務の腕が私の肩に回されていて、抱き寄せられていた。
「で、でも、土日に返信してくれなかったのは、どうして!?」
私の追及に専務は動揺して、答えを口にするのを躊躇う。それを見て、私の予想は正しかったのだと再び思い知らされた。
「やっぱり、私のことはどうでも良かったんですよね……」
「それは違うよ! 実のところ、僕は死に掛けていたんだ」
「え?」
「身体が死にそうなほど苦しくて、自分の全魔力を身体の回復に使っていたんだ。だから、鈴原さんの連絡に気付いたのは、今日の未明だった。でも、まだ返信どころじゃなくて」
――死にそうだった?
専務の弁明を聞いても、私はまだ釈然としない。
確かに今日の専務の体調は悪そうに見えた。でも――。
「そんなに体調が悪かったのに、どうして今日出社したんですか? 病院へ行かなくて良かったんですか?」
私の訝しげな視線を受けて、専務は困ったような表情を浮かべる。
「騒ぎになっても困ると思って。実は大変言い難いけど、体調不良の原因が……その、鈴原さんの正体にあるんじゃないかと考えていたんだ。よく花が落ちているから、花の精霊なのは分かるんだけど……。もし良ければ、花の種類を僕に教えてくれないか?」
思いもしない彼の言い訳に衝撃を受ける。彼の不調の原因が自分だなんて。私は訳も分からず不安になる。
「私の正体が原因……? わ、私はただのスズランで……」
自分のせいで専務が死にそうになるなんて。そんなことも想像にもしていなくて。激しく狼狽して、泣きそうになる。
ところが、私の返事を聞いて、専務は合点がいった顔をした。彼は無言で胸のワイシャツのポケットから自分のスマホを取り出すと、慣れた手つきで操作する。
そして、私にそのスマホを差し出して、表示している画面を提示した。
画面はスズランについて書かれているサイトを表示している。
「スズランには毒があるんだ。ここにも書いてあるけど、活けた水を飲んだだけで中毒を起こすことがあるんだよ」
「ええ!?」
「あの夜、君を抱いたから、それで毒素を摂取したのかもしれないね。だから、病院に行って事情を尋ねられるのは避けたかったんだ。これで連絡できなかった理由を分かってくれたかな?」
「わ、分かりましたけど……」
「じゃあ、僕と付き合うのに問題はないよね?」
嬉しそうに私を見つめる専務。彼には申し訳ないけれど、今までの流れから私は頷けなかった。
「……それは、無理です。私のせいで死にそうになるなら、やっぱり無かったことにし」
私が最後まで言い終わることは出来なかった。私の唇には専務のそれが重なっていたから。
彼の発言と行動の矛盾を私は理解できず、思わず顔を逸らして彼の口付けから逃れる。
「だ、駄目! 身体に悪いなら、キスなんてしないでください!」
でも、専務に体重を掛けられて私はソファに押し倒され、彼に捕獲されてしまった。
私を見下ろす専務は、薄く笑っている。彼の長い睫毛が、私に触れそうなほど近い。
「鈴原さんが手に入らないなら、いっそこのまま君を抱いて死んだ方がマシだよ」
そう呟く専務の表情には迷いはなく、激しい感情で満ち溢れている。それはまるで激しく燃える焔のよう。狂気にも似た強い想いを前に、私はただ圧倒される。
彼は上から覆いかぶさり、私に深く口付けてくる。
「だ、駄目……!」
キスの合間に私が制止しても、彼の動きは止まらない。
「君のことが好きなんだ――」
気が狂いそうなほどに。
切なげに囁かれ、食い入るように彼に見つめられて。
情欲に染まった彼の褐色の眼差し。それに射抜かれて、私は一瞬呼吸を忘れてしまう。
私の心は再び彼への想いでいっぱいになっていく。
「私も好き……でも」
私を抱いたら彼が死ぬかもしれないなんて――。
「そんなのイヤ……!」
目をぎゅっと瞑り、悲鳴を上げた。爆発しそうなほど強い感情が私を支配する。
専務がこれほどまで私のことを想っていてくれるのに。
私たちは愛し合えない運命だったなんて。
自分が彼と同じ人間だったら良かったのに――!
そう千切れるほど願った時だ。私の身体に突然異変が起こる。
いきなり全身が熱を帯びて、発光したのだ。
目が眩むほどの輝き。本当に一瞬の出来事だった。
専務も私に驚いて、彼の動きが止まる。それから彼は私から身体を離して、言葉なく私の全身を観察していた。
私は呆然としながらも、上半身を起こし、自分の身に起こった変化をくまなく調べる。そして、ある事実に気付いた。
自分の胸に手を当てれば、そこにはドキドキと激しく鼓動する心臓があった。そして、すっぽりと穴の空いたような魔力の空虚感。
私の目から涙が溢れて流れてゆく。大事なものを失った感覚に、心がついてゆけず、動揺のあまりに泣く事しかできない。
私は自分を構成していた魔力を引き換えに、血潮の通う肉体を手に入れていた。
そんな私を専務は壊れるものを触れるかのように大事に頭を撫でてくれる。
取り乱している私に対して、彼はひどく落ち着いていて冷静だった。
「鈴原さんも、僕の父と同じように人間になったんだね。今までと違うの、自分でも分かる?」
私は専務の発した言葉で悟った。
――ああ、専務は全部知っていたんだ。こうなることを。
私が頷くと、専務は私の目元に唇を寄せて舐めとった。
「しょっぱいね。以前の鈴原さんは、どこも甘かったのに」
恋をしたら帰れない。
人間に恋をしたら、人間になり、精霊ではなくなってしまうから。
それは想いの力が叶える奇跡。
私は身を以って、その意味を知った。
「僕のためにありがとう。ずっと、愛しているよ」
そう囁く専務は、優しく私を抱きしめていた。彼は極上の笑みを私に向けている。
人間として再び生まれ変わり、彼の愛と歓喜に包まれて。
これで良かったのだと、自然に思えるようになるから不思議だ。
いつの間にか私の涙は止まっていた。
私たちは微笑み合い、お互いの顔が引き寄せられるようにゆっくりと近づく。
そして、愛おしげに深く口付けを交わした。
了
お読みいただき、ありがとうございました。