第八話 懐中時計の行方が時の流れを複雑に絡め合う
夢でも見ているのかと思ってしまうほど、目の前にいる未来から来たというリサの存在と、彼女の目的はニコにとって青天の霹靂以外の何者でもなかった。
2日後の星夜の夜に殺されてしまうという僕を助けに、10年後の未来からリサが助けに来た──
だが、目の前のリサが言うその言葉がニコの頭に何度も浮かび、そして消える度に幾つもの疑問がニコの頭に残っていった。
「……リサ、君にいくつか聞きたいことがあるんだが」
静まり返った部屋に立ち込める重い空気を振り払うかの如く、ニコがそうポツリと言葉を漏らす。
「10年後から来たとさっき言ったね?」
「ええ」
「何故10年後の君が来たんだ? その……考えたくは無いんだが、辺境伯の口添えで別の男と一緒になったりはしなかったのか?」
今浮かんだ中で単純かつ、一番大きな疑問をニコは口にした。
リサが別の男と一緒になるなんて考えたくもない未来だが、辺境伯令嬢であるリサはそうなってもおかしくない立場にある。
それに10年という歳月は、口にするよりも長い年月のはず。僕が王都に行った一年でさえ途方もなく長い時間に感じた。
なのに、なぜ10年目にして過去を変えようと考えたのか──
「……私にも解らない。父上の居城でメレフェンの懐中時計を手にするまでは……何故かとても幸せだった気がするの」
「……え?」
リサの意外な発言に、続く言葉を失ってしまうニコ。
どういう事だ?
ぎゅっと懐中時計を握りしめ、そう小さく語るリサにニコは眉間に皺を寄せてしまった。
「君は……10年後の君はパラミシアには居なかったのか?」
「私は王都に移り住んでいたわ。ニコが夢見ていた王都に」
「1人で?」
「……判らない」
誰かと住んでいたのか、それとも1人だったのか判らない、とリサは言う。
「判らないって……僕が死んで10年近くどこで何をしていたかを覚えていないということかい?」
「……それが『メレフェンの懐中時計』の副作用なのかもしれないわ。時間を行き来する度に、次第に記憶が薄れていっている感覚は……あるもの」
「存在する事が無い、同じ時代に2人のリサが居ることで君に何かしらの異変が起きている、と?」
想像できる範囲でそう問いかけるニコ。
そういった時間の「矛盾」が起きた場合にその矛盾を修正する何かが起きてもおかしくないのかもしれない。例えばリサが懐中時計を使って過去へ行き、自分の親を殺したとしたらどうなるのか。
そういった矛盾が起きた場合、時の流れが矛盾点を修正し、例えばリサの存在が消え、全く別の人間として記憶が作られたとしてもなんらおかしくはない。
「その可能性は高いわ。時間を旅することで、記憶が消えて別の物に変わってしまうっていうのが言い伝えられていた『触れた物を不幸にする』って意味なのかも」
「……僕の為に君が不幸になるなんて」
思わず苦い表情を浮かべるニコ。
だが、そんなニコを見て、ふうと溜息をつきながらも、リサは精一杯の笑顔を作った。
「でもねニコ、もう一度貴方に会えただけでも、この懐中時計を手にして良かったと私は思う」
「……ッ」
その言葉にニコは言葉を失ってしまった。
どこか物悲しさを感じてしまうリサの笑顔がニコの視線に突き刺さる。
ここまでリサはどれほど苦労したのだろうか。
心からそう語っているという事が手に取るように判ってしまったニコは心がじゅくりと疼いてしまった。
「……2つ目の質問だけど」
低く、絞りだすような声でニコが続ける。
「何かしら」
「犯人に大体の目星は立っているのか?」
先ほどリサは、誰が僕を殺したか判らないと言っていた。
2日後の星夜の夜に僕は何者かに襲われるという情報だけでも十分な気がするけど、事前に犯人が判っているに越したことはない。
「……無関係の第三者じゃないと思うわ」
「第三者じゃ無い?」
「私とニコ、どちらかが良く知る者の可能性は高いって事」
「何故そう言えるんだ?」
リサの予測にニコは首をかしげてしまった。
ずっとこのパラミシアに居たのであれば、何かしらいざこざの原因になる事はあったかもしれないけど、この一年僕は王都に行っていた。逆に第三者の可能性が高いんじゃないだろうか。
「簡単よ。現場には争った跡があまり無かったの。もし第三者がニコに剣を向けたとして、争う暇もなくやられるかしら? ……王都に行っていた一年で腕が鈍っていたのなら、話は別だけど」
「……君が未来から来たリサだったら判るだろう」
そう言うニコにリサは笑顔を作ると小さく肩を竦めてみせた。
確かに集団での襲撃ならともかく、一対一で抵抗する前に負ける事は無い……と思う。相手が凄腕の剣士でない限りだけど。
「だから私はこの後、貴方に恨みを持っている人間が居ないか調べようと思うの」
「恨み、か……。ちなみにその懐中時計で現場に行くことは出来なかったのか?」
「貴方が襲われている現場、ってこと?」
「そう。そこに行って止めに入るとか」
そうすれば、犯人探しをする必要もない。
そう言うニコだったが、リサの顔色は優れなかった。
「さっきも言ったけど、好きな時間に行くことが凄く難しいのよ。2日前に来るまでにどれだけ私が苦労したと思ってるのよ」
と、じとりと冷ややかな視線を送るリサに、ニコは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
そうだ、自由に好きな時間に行けるわけじゃなかったんだ。リサのそのぼろぼろの服を見る限り、相当大変だった事は見て取れる。
「それに、2日後の星夜の夜近辺で何度も時間を移動したら、私が何人も同じ時間に居ることに成りかねない。そうなったら、どんな副作用が起こるかわかったもんじゃないわ」
「そ、それもそうだね」
だからリサは、2日前の今日にとどまることを決めた──
合点がいったニコは腕を組み静かに頷くと、最後の質問をリサへと放った。
「リサ、最後の質問なんだが……先ほど僕は居城へ行ったんだ」
「城壁から侵入して、でしょ?」
「そう。……あ、そうか、君はその事を知っているんだったな」
改めて目の前のこの女性がリサだったことを認識してしまうニコ。
「それで僕はあの部屋に行ったんだ」
「あの部屋……って?」
「その懐中時計があった、君と初めてであったあの部屋さ」
懐中時計を指さすニコに、リサはひょいともう一度懐中時計を取り出して見せる。
「これ?」
「ああ。ちなみに君のそれは……あの部屋から持ってきたのかい? その……10年後の未来の?」
「ええ。凄く埃をかぶっていたけどね。それが何か?」
「僕はあの部屋に行ったんだが、その懐中時計は無かったんだ」
それも部屋の状態を見る限り、相当前に懐中時計は無くなっていた。
そう続けるニコに、リサは無言のまま狼狽を漂わせ、しばしその場に固まってしまった。
「嘘でしょう? だってそんなはず無いわ。私が王都から戻った時、確かにあの部屋に──」
「その懐中時計は未来の懐中時計だということは判った。とするならば、あの部屋にあるべき懐中時計は誰かが盗みだしたと言う事になるな」
ニコはそう自分の中で結論付けたが、嫌なざわめきが同時に心の中で起きた。
何者かが、メレフェンの懐中時計の存在に気が付き、あの部屋から盗み出した。そしてそれは──10年後の未来には起きていなかった事。
「嫌な予感がするね」
「……私も」
僕が殺されたという未来、それを変える為に未来から来たリサ。
そして、あるべき場所から消えていた「メレフェンの懐中時計」
そんな彼らをあざ笑うかのように、黄金の懐中時計は小さくこの時代の時を刻んでいた。