第七話 愛の為と君が言うのならば
ニコは女性に剣を向けたまま、ぴくりとも動くことが出来なかった。
リサに似たこの女性が放った言葉があまりにも突拍子もなく、そして現実味が無かったからだ。
この女性は確かに言った。自分は10年後から来た、リサだと。
「……何を言っているんだ君は」
「簡単には信じられないでしょうね。でも私は本当にリサなの。10年後の未来から来た」
じり、と近づくリサと名乗る女性に咄嗟に剣を突きつけるニコ。
顎に突きつけられた剣の切っ先に動じること無く、自分を見つめるその目は確かにリサの目の様に感じる。
──だが、そんな話信じられるワケがない。
「お前は盗賊であの懐中時計をルードルフ辺境伯の居城から盗み、あの場所で倒れた。戯言を言うな」
「違う、違うわ、ニコ。私は──」
「下がれ……ッ!」
ぎゅうと押し付けられたニコの剣の切っ先がぷつりと女性の肌を裂き、白く美しい女性の首筋に一筋、赤い血の線を作った。
そして思わず顔をしかめてしまう女性。
その姿にニコはまるでリサに剣を突きつけているような罪悪感に苛まれてしまった。
「……剣を引いてニコ。私がリサである証拠があるわ」
「証拠など必要ない。君を衛兵に突き出して終わりにする」
そして、聞く耳は持たない、とニコが剣に力を入れたその時だった。
きらりと女性の右手が瞬く光を放つ。
そのコートと同じく、どこかで手に入れたのか右手にはリサのそれを彷彿とさせる細い剣、レイピアが握られていた。
「抵抗する気かッ!」
「これで語り合わなきゃわからないでしょう!?」
キン、とその剣でニコの剣を跳ねた女性は、軽く後ろに飛ぶと腕を真っ直ぐに伸ばし、腰の位置を変えず左足で踏み出し身体を前に突き出す。
リサの動きと酷似した滑らかで美しい身のこなし──
そこから放たれた突きがニコの剣と重なると、静かな部屋に金属がかち合う甲高い音が響く。
「くっ!」
咄嗟の出来事に、思わず距離を置くニコ。
ステップを踏み、涼しい表情のまま息を整えるニコだったが動揺は隠せなかった。
この女性の剣はリサの物では無い。
リサの鋭さと美しさをさらに研ぎ澄ましたような、とても重く鋭い剣──
「……判ってもらえたかしら?」
「確かに、君の剣はリサにそっくり……いや、リサの剣術をさらに磨き上げた感じがする」
剣を構えたまま、じっと女性を見つめながら、そう漏らすニコ。
その言葉に女性はふっと安堵の表情を浮かべたのが判った。
「だが、それだけで君がリサで、10年後から来たという馬鹿馬鹿しい話の証拠にはならない」
僕よりも才能に恵まれている剣士は星の数ほど居る。王室騎士の中にも僕が太刀打ちできないほどの剣を持った女性も居た。
凛とした表情のまま、自分の意見を曲げないニコ。
だがそんなニコに、女性はくすりと笑みを浮かべてしまった。
「剣を交えれば話す前にきっと判ってくれるって思ってたんだけど。自分を曲げない……貴方はやっぱりニコだ」
「……なんだって?」
その言葉にニコはふと剣を下ろしてしまう。
君は僕の事を知っている? 僕の性格を?
そして、困惑するニコに止めをさすように、リサが続けた。
「私とニコが出会った場所、覚えてる?」
「……忘れる筈はないだろう」
女性の言葉に、ごくりと空気を飲み込んでしまうニコ。
目の前のこの女性がリサで有るはずがないと考えていたニコは、続けて放たれる言葉にどこか恐怖を覚えてしまった。
今でも鮮明に覚えている。僕とリサがであったあの場所。
誰も知るはずがない、僕とリサ、2人しか居なかったあの瞬間。
2人しか知り得ない、時間。
「私とニコが出会ったのは、10年前。星降る星夜の夜、懐中時計が置かれたあの部屋で出会って……貴方を盗人と間違えた私は剣を向けた。違う?」
「……ッ!!」
小さく囁く女性のその言葉に、驚きの表情を隠せないニコ。
そして彼女が口にしたその言葉が、彼女が正真正銘リサ本人で、そして10年後から来たという事実をニコに告げる。
まるで作り話のような、現実味の無い目の前のリサに似た女性と、彼女の言葉──
「……信じられない。君は……本当にリサなのか」
「あぁ、ニコ……」
やっと信じてくれた。
表情が強張ってしまうニコとは対照的に、満面の笑みが咲いたリサ。
そして、彼女の頬につたう、一筋の涙が音もなく月明かりにただきらめいていた。
***
「それで君がリサで、10年後から来たと仮定しよう。それで、何のためにここに……いや、そもそもどうやって?」
未来から来たリサを自分のベッドに座らせ、その前に置いた椅子に腰掛けるニコは、頭を抱えながらそう言った。
わざわざ10年後の未来から来たと言うことは、何かしら重大な用事があって来たんだろう。
「……この懐中時計、覚えてるわよね?」
これ、と胸元から輝くあの懐中時計を取り出すリサ。
「それは……居城にあったあの懐中時計?」
「そう。これは東方の魔術師が作った『メレフェンの懐中時計』と呼ばれているものよ」
「メレフェン? メレフェンって……」
その名前にニコは聞き覚えがあった。いや、それはこの世界に住む人々であれば誰しも聞いたことの有る名前だった。
それは、この世界を作ったとされる神の名前──
メレフェンとは、人々が信仰するその昔に起きた天を統べる「天使」と地を統べる「人間」の争いを終わらせ、天と地を統一させたとされる「天上神」の名前だった。
「触れた人を不幸にさせるこの懐中時計が、時間を巻き戻す『鍵』なの」
「……つまり、神様の名が付けられたその時計の時間を動かす事で、時がもどると?」
どこか冗談半分でそういうニコに、リサは表情を変えずにひとつこくりと頷いた。
「だけど、どの位戻るのかはやってみないとわからない。私は何度も繰り返してやっとこの時代にこれた」
「繰り返した……って、何故?」
「この時代にどうしても来る必要があったの」
「……この時代に何が有るっていうんだ?」
時間旅行をしたくなるような出来事がこの時代に起きでもしたのか?
訝しげな表情を浮かべながら、そう言葉を漏らすニコ。そんなニコをリサはじっと見つめたまま続けた。
「良く聞いて。何かあるのは……貴方なの、ニコ」
「……え?」
まさか自分に話の矢先を向けられるとは思っていなかったニコは言葉を失ってしまった。
「何かあるって……どういう意味だ?」
「貴方は2日後の星夜の夜に何者かによって殺されてしまう」
「……ッ!?」
思いもしなかったリサの言葉に、ニコは頭を殴られたような衝撃を受けてしまった。
どこか冗談半分で聞いていた浮ついた心にずしりとのしかかる、リサの一言──
単なる予言であればこれほどの衝撃は受けなかったであろうニコだったが、未来から来たリサのその言葉は、まるで「死の宣告」のようにニコの心をえぐり、つんと苦い恐怖が全身を駆け抜けた。
「ぼ、僕が……死ぬ? まさか。何故……いや、誰に?」
「それはわからない。私と会ったその夜……貴方は死体で発見されて──」
「……ちょっとまってくれ」
考えを整理させてくれ。
リサの言葉を遮りニコは思わず椅子から立ち上がると、彼の頭の中を具現化するように、指先をこめかみに当て、月明かりが差し込む部屋をぐるぐると回った。
このリサは10年後から来た。そして、その10年後に僕は居ない。彼女の話が真実ならば、2日後、星夜の夜に僕は何者かに殺されてしまうからだ。
それが紛れもない事実だとすれば──
「……君は、過去を変えようとしているのか?」
──過去を変える。
その言葉の意味がどれほどの意味を持つのかはニコには想像も出来なかった。
過去を変えると言うことは、未来も変わると言うことだ。
つまり、僕が居ないはずの未来に僕が存在することになり、僕が居ない未来から来た目の前のリサは──どうなるんだ?
「そう。私はそれを止める為に……この時代に来た」
「過去が変わってしまったら、未来はどうなるんだ?」
「……」
ニコの言葉に、何も返すこと無くただその目を見つめるリサ。
何を犠牲にしても、未来が変わったとしても、私はニコを取り戻す。
そう言いたげなリサの表情は決意に満ち溢れ、そしてそれはニコが記憶する紛れもないリサの顔だった。
だがリサと長く一緒にいたニコにはうっすらと判っていた。
彼女のその表情の裏に、まだ口にしていない何かが有る事が。