第六話 その真実が僕を苦しめることになっても
「……君はまだ僕の事を疑っているのか?」
城壁通路からリサとともにゲートハウスに向かう最中、背後からぴったりとつけてくる衛兵のリュックに思わずニコは訝しげな表情でそう漏らしてしまった。
辺境伯の居城に侵入するなど極刑に処されても仕方が無いことだとは思う。
戦火の火の粉が降り注ぐことがそうないパラミシアだが、辺境伯を狙った刺客や間者が忍びこむ可能性はゼロじゃない。
だけど──
城を後にするまでのリサとの時間を邪魔されたくは無い。
「いえ、そういうわけではありません。これが仕事ですので」
「僕とリサの後ろをついてくるのが仕事なのか?」
「はい」
どういう仕事だ。
直立不動の体勢で顔色ひとつ変えず、そう返すリュックにニコは困惑した表情を浮かべながら、ちらりとリサの顔に視線を移した。
「リサ、ひょっとして彼の仕事は僕とリサの仲がどれほど深いかをルードルフ辺境伯に伝える事なのか?」
であるならば、辺境伯が妬いてしまうほどの報告をさせてやろうか。
肩を竦ませながら冗談半分でそう言い放つニコに、思わずリサは笑顔が溢れてしまった。
「ふふふ、違うわニコ。彼は私の護衛なの」
「護衛? 君の?」
ニコはリサのその言葉に小首を傾げてしまった。
一見何の違和感も無い、護衛の存在。辺境伯令嬢であるリサに護衛がつくのはなんらおかしいことではない。
だが、僕の記憶が正しければ、居城の警備や、催し事の際に辺境伯やその家族を警護する衛兵は何人も見てきたが、常時において個人を守る衛兵は居なかったはず。
だからこそ、何度も城を抜け出し僕と会えたんじゃないか。
「いつから護衛が?」
「一ヶ月前。パラミシアに殺人鬼が居るって話があって」
「さ、殺人鬼だって!?」
想像だにして居なかった「殺人鬼」という単語と、突拍子もない話にニコは思わず声を荒らげてしまった。
「殺人鬼、と言う事は……目的は盗みじゃなく?」
「ええ。今週すでに3人の市民が犠牲になってるわ。これは噂じゃなく、本当に起きている事件なの」
パラミシアの街は比較的治安が良いとは言え、犯罪行為が無いわけではない。街を一歩出れば、荷馬車を狙った盗賊団が現れることもあれば、商人を狙った詐欺行為やスリなどが横行し、街を守る衛兵は眠れない日々を送っている。
だが、ニコが記憶する中でこれまでパラミシアの街で強盗目的の殺人ではなく、快楽的に人を殺める「殺人鬼」なる噂が立ったことなど一度たりとも無かった。
「でも安心して。衛兵隊以外にこの件を解決するために父上が自警団を組織したわ。じき犯人は見つかるはず」
殺人鬼の噂でパラミシアの貿易事業にも少なからず影響がでているとリサは言う。
そして、その事を重く見た辺境伯が、事件解決の為に自警団を組織したと言う事らしい。
自警団には腕に自信がある剣士から、元王室親衛連隊の騎士まで総勢100名近い規模らしく、辺境伯が事件解決に本腰を入れていることが伺える。
「成る程ね。だからその犯人が見つかるまで君に護衛が付いている、と」
「そういう事。私にはいらないって言ってるんだけどね」
「確かに。君だったら、その殺人鬼を片手で撃退出来そうだ」
リサの剣の腕を良くしっている為に、冗談半分でそう口にするニコ。
だが、その言葉にリサの視線は瞬時に鋭く尖ってしまった。
「確かに、じゃないわよ。ニコが守ってくれるんでしょう? か弱い私を」
殺人鬼だなんて怖いもの。
両手で自らの肩を抱き、震えてみせるリサにニコはきゅうと口角を上げる。
「……姫君は護衛に王室騎士をご所望で?」
「そうね。24時間傍に付き添っていただける有能な王室騎士が良いわ」
「御意に」
そう言って恭しくリサの手を取るニコ。
そのやり取りに思わず吹き出してしまうニコとリサだったが、傍らで傍観していたリュックはただ溜息をつき、呆れ果てるしかなかった。
***
夜また来る事を告げ、彼女の護衛であるリュックに「次はちゃんとゲートハウスからお越し下さい」と苦言を刺されたニコは、辺境伯の居城を離れしばらく経った後で、とても重要な事を思い出した。
あの女性が持っていた懐中時計の件。
何故あの部屋にあったはずの懐中時計が無くなったのかリサに聞くべきだった。
ふと振り返り、遠くに見える居城を見つめながらもう一度戻るべきか思案するニコ。
だが、ニコはリサの元に戻ることを諦めた。
ウェイドへの挨拶とあわせて、屋敷に居るはずのあの女性を問い詰めれば解決すると考えたからだ。
もし盗人であれば、衛兵にあの女性を引き渡せばことは済む。
そう考え、くるりと踵を返し、屋敷への道を歩き始めるニコだったが、またしても彼の目論見は打ち砕かれてしまうことになった。
「……あの女性が……消えた?」
「はい。申し訳ありません。目を離した隙に……」
懐かしい生まれ育ったテムジンの屋敷に戻ったニコがまず向かったのは、女性が運ばれたと言う医務室だった。
だが、すでにあの女性の姿は無く、荒らされた医務室と頭に包帯を巻かれた医師、それにすでに衛兵が数名が居るだけだった。
「何故……彼女は逃げた?」
「私にも詳しくは……ただ……」
屋敷に常駐している医師に介抱されたあの女性は直ぐに意識が戻ったとトマソンは続けた。
そして、女性の着替えを取りに部屋を出て直ぐ、医師は襲われ、窓から逃げ出したらしい。
やはり彼女は盗賊だったか。
トマソンの言葉を聞いて、ニコはそう確信した。
「トマソン、居城で確認したんだが、あの女性が持っていた懐中時計は辺境伯から盗んだ可能性が高い」
「……と、いいますと?」
「あれと同じものを辺境伯の城で昔見た記憶があって、さっき確かめたんだが……やはり無くなっていた」
いろいろと引っかかる部分はあったものの、居城にあるべき時計がなくなり、そしてあの女性が逃げ出したという事を考えると、それ以外に考えられるものはないとニコは結論づけた。
「ではその事を衛兵に……」
「ニコ」
トマソンの言葉が放ち終わる寸前、背後から名を呼ぶ声がニコの耳に届いた。
落ち着いた子守唄のような声──
それは丸一年耳にしなかったが、聞き覚えのある声だった。
「……ウェイド!」
「久しぶりだな、ニコ」
ニコの背後に立っていたのは、ニコの兄、ウェイドだった。
ブロンドの長い髪を後ろで束ねた、長身の男。ニコと同じく、彫りが深く男らしい顔立ちをしているものの、王都での訓練で日に焼けたニコとは対照的に、テムジンの仕事で屋敷の中に缶詰だったのか、その肌は青白く健康的とは言いがたい佇まいだ。
「折角パラミシアに戻っためでたい日だというのに、行き倒れの女を助けるとは……相変わらず変わってないな、ニコ」
「女性を見捨てるのは僕の信条に反するからね」
そういって笑顔を見せる2人。
だがニコの笑顔は直ぐに鳴りを潜てしまった。
目の前に立つウェイドの姿があまりにも疲れきっている様に見えたからだ。
「大丈夫かい? ひどく疲れているように見えるけど」
「……ああ、仕事が忙しくてね。ろくに寝てない」
そう言って肩を竦めるウェイド。
ウェイドがテムジン商会を継ぐ事を決めて一年になる。自分と違い、頭が切れるウェイドであっても、一大商人ギルドであるテムジン商会を継ぐ為には寝る暇も無く覚える事があるというわけか。
そう思ったニコは、小さく笑みをウェイドへと送ると、続く言葉を口にした。
リサとも約束した、兄への感謝の言葉だ。
「ウェイド、君にこの一年ずっと言いたかった事があるんだ」
「……何だ、改まって」
「僕が王室騎士への道を歩む事ができたのははっきり言って……ウェイドのお陰だと思っている。僕も商会を継ぐ事は嫌なわけじゃなかったけど、一年前、ウェイドが商会を継ぐ決心をしてくれたお陰で僕は剣の道に進むことができたんだ」
ありがとう──
仲が良い兄弟だからこそ、逆に口にしにくいその言葉をニコは多少照れながら小さく口にした。
その言葉に、どこか呆気にとられてしまうウェイド。
だが、次の瞬間、ダムが決壊するように彼は吹き出してしまった。
「クククッ、何を今更。父の仕事を継ごうと決めたのは俺自身の為だ。お前に礼を言われるような事はやっていない。……それに、実の弟にそう言われると、むすがゆい」
「素直に受け取れよ、ウェイド」
やはり兄弟というべきか、ニコの言葉に素直になれないウェイドと、照れ隠しに茶化すニコ。
それは、お互いがお互いの性格を熟知しているからこそ出来るやり取りだった。
ウェイドはニコの1つ上の兄だ。
年齢が離れていればお互い干渉する機会も減っていただろうが、年も近く、そしてお互いが正反対の性格をしていたために2人は喧嘩をしつつも何かと一緒に行動をすることが多かった。
思考するより先に行動してしまうニコと、行動より先に思考してしまうウェイド。
先に行動する弟を兄ウェイドが一手先を読んだ思考でサポートし、熟考して行動に移せない兄を弟のニコが行動でサポートする──そんな2人の関係にルードルフ辺境伯が羨むほど、ニコとウェイドはお互いがお互いの短所を補う良い兄弟だった。
「そうだな、感謝の言葉は後でゆっくりと聞いてやるよ。とりあえずお前は部屋に戻って荷物を置いてこい。居間で父が待っている」
「父上が?」
「……なんだかんだ言って、お前の王室騎士の話を聞きたいようだ。……素直になれない俺たちの性格は父譲りだな」
冗談半分にそう言うウェイドに、ニコは驚きを隠せなかった。
ウェイドが商会の後を継ぐ事に決まっても結局父テムジンはニコの王都行きに賛成すること無く、王室騎士への第一歩である、騎士見習いに決まった日も父テムジンは賞賛の言葉を贈ることは無かった。
父上は僕たち2人に後を継いでもらいたいと考えていたから仕方のないことだと思いつつも、そんな父を何処か軽蔑してしまっていた。思い通りに動かなかった自分に父上は興味がないのだ、と。
そして、その軽蔑はやがてニコの中で深い溝になってしまっていた。
「嘘だろ?」
「嘘じゃないさ。嘘だと思うなら、会って本人に聞いてみろよ」
そう言って、また後で、と言葉を残し医務室を後にするウェイド。
父が僕に興味を示すわけはない──
自分に言い聞かせるように、そう心の中で繰り返しながら、先ほどまで頭を支配されていたあの女性と懐中時計の事がすっかり消え失せてしまったニコは、この場をトマソンに任せるとその場に置かれていた荷物を抱え、自分の部屋へと足早に向かった。
***
きいと慣れ親しんだドアを開けると、懐かしい香りがニコの鼻腔をくすぐった。
一年使われていないはずだが、少しの埃臭くもなく、ベッドのシーツはぴりっと新しい。いつ戻ってきても良いように、使用人がベッドメイクをしてくれていたんだろう。
荷物をベッドの傍らへと無造作に置いたニコは、まずはそのベッドの感触を確かめようと、背面から飛び込むようにベッドへと身を預けた。
王室親衛連隊の宿舎のベッドは、死者ですら目が冷めてしまうほど硬く、簡易的な物でとても寝れたものではなかった。
あのベッドもどきとは比べる必要もない天国のような心地──
まるで祝福するように柔らかい羽毛に包まれながらニコはそう至福の時を堪能した。
だが──
「……誰だ」
しんと静まり返った部屋にニコの鋭い声が響き渡った。
自分以外に誰も居るはずのない部屋。だが、わずかに動く空気の流れを感じる。
飛び起きるように身を起こしたニコは、傍らの荷物から愛剣のレイピアを取り出しすと、即座にそれを構える。
そして、ふとニコの頭に浮かんだのは、リサが言っていた殺人鬼の噂だった。
「……出てこい」
僕の前に現れたことを後悔させてやる。
薄暗い部屋を見渡し、五感に集中するニコ。
と、ちらりと視線を送った窓際に、すっかり日が落ちた部屋の窓から差し込む月の光にぼんやりと浮かび上がる人影がニコの目に映った。
「噂の殺人鬼か?」
そう言ってニコはレイピアをくるりと回し、手首の動きを確かめると利き腕である右手を突き出し、レイピアの切っ先を窓際へと向ける。
「答えろ」
答えなくば、このまま斬る。
そう続けながら、一歩、また一歩とゆっくりと距離を縮めるニコ。
と、それまで雲の影に隠れていたのか、小さく差し込んでいた月の光がより強い光に変わり、ニコの部屋を明るく照らした。
そして、窓際に立つその影の姿も──
「……ッ!!」
そこに立っていた影の顔が月明かりに浮かんだ瞬間、ニコはおもわず息を呑んでしまった。
そこに立っていたのは、見覚えのある顔。
見覚えのある──女性。
「リサ……!?」
月明かりに光る、艷やかな黒髪。
そこに立っていたのは、居城で別れたはずのリサ──
だが、どこか違和感を感じてしまうニコ。そしてそれは、その女性の服装を見て、確証へと変わった。
「……いや違うな。君は、あの懐中時計を盗んだ女性だな」
リサではなく、医務室から逃げたという、あのリサに似た女性だ。
どこかで盗んだのだろうか、薄汚れたブリオーの上に黒いコートを羽織っている。
「名を名乗れ。逃げるならばこのまま斬る」
「……や……」
突き刺すような殺気をちらつかせるニコの空気に気圧されることなく、小さく何かをつぶやきながら逃げるどころか、逆にニコとの距離を詰める女性。
「……やっと、会えた」
「……何だと? と、とまれッ!」
女性の姿にニコは思わず声を荒らげてしまった。
自分を見つめる女性の表情があまりにも──つい先程再会した時のリサの表情と同じだったからだ。
「何者なんだ、君は!?」
「私……私は……」
じり、と後ずさりながらその女性に思わず気圧されてしまうニコ。
そして、続けて放たれた女性の言葉がニコの思考を停止させてしまった。
「私は……リサ。10年後の未来から来た……リサよ。ニコ」