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コレクト  作者: 邑上主水
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第二話 僕達の出逢いは避けることの出来ない必然であった

 ニコはパラミシア地方の一大商人ギルド、テムジン商会を取り仕切るテムジン家の次男としてこの世に生を受けた。


 商人ギルドとは、商品の生産から卸売までを管理し、流通の安定と品質の統一化、そして販売価格の均一化を図る為に各種職人たちによって作られた同業組合だ。

 その業務の幅は広く、市民はもちろん、その地域を治める領主にとっても物流の流れを安定させる商人ギルドは重要な存在であった。


 そして、テムジン商会は刃物や工・農具を製造販売する「鍛冶職」の商人ギルドだった。

 元々は自ら槌を打ち、鋼から剣を鍛える鍛冶職を営んでいたテムジン。

 ニコが生まれる前、その腕を鍛える為に世界中を回る中、幾人もの鍛冶職人達と知り合い、そして職人でありながら交渉事が得意だったという性格もあってか、故郷であるパラミシア地方で鍛冶の商人ギルドを立ち上げる事になったのは当然の流れと言っても過言ではなかった。


 そしてテムジンが立ち上げた小さな商人ギルド、テムジン商会は、すぐさまパラミシア地方で名の知れた商人ギルドとなる。

 だが、その要因は単純にテムジンに鍛冶職人よりも商売人としての才能があったというだけではなかった。


 流通手段も乏しく、情報伝達手段も発達していない為に、西方の国では東方の珍妙な刀剣を知る事も無く、南方の貴族達は北方の美しく精巧な装飾品を目の当たりにすることも無かったこの世界。

 テムジンが目を着けたのはそこだった。

 いわゆる、大陸間貿易事業──

 駆け出しの弱小商人ギルドだったテムジン商会が、一大商人ギルドとして名を轟かせる事になった理由はそれだった。


 パラミシアの領主であるルードルフ辺境伯の居城があるパラミシアの街で有力者となり、男爵の爵位を受けるほどまでに成功したテムジン。

 そして、その息子であるニコが、ルードルフ辺境伯令嬢であるリサと出会うことになるのは必然だった。


 それは10年前、ニコが13歳だった時の出来事だ。

 天に星達が踊る星夜スターフォールのその夜、テムジンと妻のエリス、そしてテムジン家の長男である兄ウェイドと共にニコはルードルフ辺境伯の晩餐に招待されていた。

 紳士として英才教育を受けていた兄ウェイドと対象的に、紳士教育が肌に合わず、自由奔放な振る舞いを謳歌し、何かと父テムジンを悩ませていたニコ。


 辺境伯の居城へ向かう馬車の中、大人しくしていなさいと口うるさくニコに言い伝えていたテムジンだったが、ニコの好奇心を抑えることは出来なかった。

 自分が住む屋敷とは比較できないほど豪華で広大な敷地を持つ辺境伯の居城はニコの心をくすぐり、そして冒険心を刺激してしまう。


 そして、晩餐が始まったその時、案の定ニコは父の目を盗んで晩餐を抜けだしたのだった。


 所狭しと飾られている豪華な額縁に収められた絵画や、美しい天馬の彫刻達──

 そのすべてはニコにとって興味の対象であった。


 目をきらきらと輝かせながら、衛兵に見つからないように柱の影に身を隠し、飾られた甲冑の後ろに身を潜めながら居城の奥へと足を進めるニコ。

 そうして、導かれるようにとある部屋へ足を踏み入れたのは運命だった。


 そう広くない、物置のような小部屋だが、その部屋はまるでその存在を隠すかのように遮光性が高い分厚いカーテンですべての窓が覆われていた。


 部屋の空気に何か異様な物を感じてしまったニコ。

 だが、その異様な空気がカーテンの隙間から漏れてくる月明かりに怪しく光る懐中時計から発せられている事に直ぐに気がついた。


 そこにあったのは黄金に輝く小さな懐中時計。

 部屋の中央、小さなテーブルの上でぽつんと佇んでいたその懐中時計が、高価な物だと幼いニコの目にもすぐに判った。

 そしてその懐中時計の怪しい美しさに自然と手をのばすニコだったが──


「それに触らないで」

「……ッ!!」


 突如背後から放たれた芯の通った声にニコは思わず叱られる子供のように身を竦めてしまった。


「……だ、誰ッ?」


 ここまで誰にも見つかってないし、衛兵以外すべての大人たちは晩餐へ参加しているはずなのに。

 どこか得心の行かない表情を浮かべつつくるりと踵を返すニコだったが、背後に立っていたその声の主に思わずぴたりとその場に硬直してしまった。


「それはこっちのセリフよ」


 暗闇に慣れてきたニコの目に映ったのは、衛兵にしてはあまりにも小さく、そして美しい──少女。

 そこに立っていたのは、月明かりに艷やかにきらめくこの世界では珍しい、深く吸い込まれるような黒い髪を持つ少女だった。

 胸元が大きく開いたワインレッドのロココ調ドレスを着て、細長い剣、レイピアを携えた少女。

 だが、そのツンと釣り上がった瞳から放たれる空気が友好的なものではない事がニコには直ぐに判った。


「……なんで駄目なのさ?」

「お父上が禁止しているの」

「お父上が禁止してたら何でも駄目なワケ?」


 どこかおちょくるように言葉を連ねるニコ。その飄々とした空気はニコの特徴だった。

 良く言えばユーモラスで、悪く言えば口が悪い。

 そして目の前の少女にはニコの言葉が後者に聞こえてしまった。


「……駄目なのは駄目なのッ! 東方の魔術師が作ったっていうその懐中時計に触れた人は皆不幸になるって言われたんだからッ!」

「そうなの? じゃぁ……触ったら僕は不幸になっちゃうわけか。こわっ」


 そう言いつつも、そんな子供騙し、僕には通用しないと躊躇せず再度手をのばすニコ。

 だが、次の瞬間、ひゅんという空気を切り裂く音と共に彼の喉元にあてがわれたのは、少女が握るレイピアの切っ先だった。


「離れなさいっ! ……このこそ泥っ!」

「……ッ!!」


 苛立ちと共に放たれたその言葉とともに、押し付けられたひんやりとしたレイピアの切っ先が、ニコの脳裏に警告を放つ。

 この女の子は本気で自分を殺そうとしている──


 例え大人であれ、普通であればその恐怖に許しを請であろう状況だった。

 そして少女もまた、許しを請うのであれば剣を引こう。そう思っていた。

 が──

 

「……いや、離れないね」

「ッ!?」


 剣を突き立てられて、はいそうですかと引き下がる僕じゃない。

 相手が可愛い女の子ならな──おさらだ。

 剣を喉元に押し付けられたまま、不敵な笑みを浮かべるニコ。その笑みに思わず少女はぎょっと身を竦ませてしまった。


「僕は泥棒じゃないし、ここを離れない。それで、君はどうする?」

「こ、このっ……!」


 こそ泥のくせに生意気な口を!

 挑発するニコに少女は瞬時に頭に血が登り、その怒りに任せてレイピアの切っ先を踊らせた。

 ピンと右腕を伸ばし、大きく右足を踏み込む。

 フェンシングの「ファント」の要領で放たれた少女のレイピアがニコの喉を切り裂く── 

 一瞬そう見えた少女の剣だったが──その剣は虚しく空を斬っていた。


「……うそっ」

「嘘じゃないさ」


 少女の剣は、いつの間にかニコの右手に握られていた同じ細身のレイピアによって弾かれ、軌道をそらされると見当違いの方向へと強制的に向きを変えられていた。

 少女の目に映るのは、弾かれた自分の剣とレイピアを構える飄々としたニコの姿──


「……う~ッ!」


 このこそ泥、いつの間に剣を。

 悔しそうに唇を噛む少女だったが、一瞬剣を胸元に引き戻すとゆっくりと息を吐き出し、頭に登った血を静かに四肢へと戻した。


「へぇ……すごい」


 少女の姿に思わず関心の声を漏らすニコ。

 少女のそれはニコも知っている呼吸法だった。

 確か東方の武術に伝わる「のがれの呼吸」という、上がってしまった息と心を落ち着かせるための腹式呼吸だった、と思う。相手を激昂させるのは剣の勝負では常套手段だったんだけど、あの状況から冷静になれる人は初めて見た。

 ──面白い。そうほくそ笑むニコだったが、その余裕は即座に鳴りを潜めることになってしまう。

 

「ハッ!」


 掛け声とともに、少女が再度右腕を伸ばし大きく踏み込むと、続けざまにフェイントを交えながら、短く速いファントと長く伸びるファントを放っていく。

 一撃一撃が鋭く、的確な少女の斬撃。

 

「うわっ……」


 その閃光のような斬撃にニコは思わずうろたえてしまった。

 最初は剣でその斬撃をなんとか躱していたものの、少女の的確かつ素早い攻撃が次第にニコの剣をかいくぐり、父テムジンが仕立てたシャツを切り裂いていく。

 右から左へ。上から下へ。


「どうしたのこそ泥さん、手が止まってるよッ!」

「これは……不味いね」


 次第に部屋の奥へと追いやられてしまったニコは、少女の言葉に顔を引きつらせてしまう。


 剣術はニコの得意分野の1つだった。

 昔から父テムジンにに剣を教わり、剣の才を見出されたニコは、その才能を伸ばす為に世界各地から呼ばれた様々な武術家に師事した。

 そして次第に開花していくニコは同年代では相手になる子供がいなくなるほど、自他ともに認める剣術の天才へと成長していった。

 だが──

 

「一体なんなんだ君は」


 ニコが今日まで培ってきた自信と技は、この可憐な少女の前に脆くも崩れ去りそうになってしまっていた。


「もう終わり? 降参して大人しく衛兵のお世話になるならやめてあげるけど?」

「……冗談を」


 勝ち誇った少女に、ニコの心の中に、ちくりと苛立ちが生まれてしまった。

 芽生えてはいけない小さな苛立ちが産んだのは、大きな心の隙。

 そして、その苛立ちに促されるようにニコが不用意な突きを放ったその瞬間だった。

 そのタイミングを狙いすましたかのように、少女は一歩身を引き(ロンペ)、右足を前に出し、前進跳躍(ボンナバン)から突き(バレストラ)を放つ──


「……ッッ!!!」


 金属がかち合う甲高い音とともに、一本の剣が空中を舞った。

 その剣は、あっけにとられているニコの愛剣レイピアだった。


「フフッ、勝負あり、かな?」


 くるくると綺麗な弧を描きながら、ニコの直ぐ脇の壁面に突き刺さる彼のレイピアを横目に、ふんと顎を突き出し、勝ち誇った表情でまたもやニコの首元に切っ先を突きつける少女。

 剣の勝負であれば「一本」の掛け声がかかってしまう状況だったが……ニコは変わらぬ飄々とした表情を崩さなかった。


「……やるね、君」

「でしょう?」

 

 勝ち誇った少女の顔を見て、ニコはまるでお気に入りのおもちゃを見つけた様な表情を浮かべた。

 まさかこれほどの剣術の持ち主だなんて。

 可愛い顔して……本気になっちゃうじゃないか。


「名前を教えてよ」

「……え? 名前?」

「うん、君の名前」


 剣を突きつけられながらも、顔色ひとつ変えずそう言い放つニコ。

 だが、ニコのその言葉に、深い溜息を突きながら少女は呆れた表情を浮かべてしまった。

 ここに来てそのセリフって、一体このこそ泥はどんな図太い精神をしてるのかしら。


「泥棒に名乗る名はないわ」

「僕はニコ」


 先に名乗らないと失礼だよね。

 そう言いながら口ずさんだその名前に思わず少女は目を丸くしてしまった。


「……えっ? ニコ? ニコって……」


 テムジン男爵の次男の? ……嘘でしょ。

 確かに今日晩餐に招待してるって父上が言っていたけど──


「なんでここに?」

「さぁ? 君がここに居たからかな?」


 飄々とそう言い放つニコの言葉に明らかな動揺が少女の顔に浮かんだ。

 そして、その動揺からレイピアを握る腕がぴくんと跳ね、隙が出来た瞬間をニコは見逃さなかった。

 ニコは、ぱんと少女の剣を左手ではじくと、くるりと身をひねり、直ぐ傍に突き刺さっていた愛剣を流れるような動きで抜き取った。


「……あっ!」


 時間にして刹那の時間──

 慌てて剣を突き付け直す少女だったが、すでにニコのレイピアは少女のすらりと伸びた美しい喉元へと向けられていた 


「これでお愛顧……って所かな?」

「……ッ!!」


 ぴりと張り詰めた空気が立ちこめる部屋の中で、ニコも少女も微動だに出来せず、只お互いの瞳を睨みつける。

 少しでも力をいれれば、お互いの喉元に深々とその切っ先が滑りこんで行くことは確実だ。だけど、先に動けば攻撃は捌かれ、不利な状況に陥ってしまう可能性もある──

 微かな動きも逃さないと、精神を研ぎ澄ませる2人。

 と、その時だった。


「ニィィィコォォォッ!!」

「……うひッ!!」


 突如部屋の中に響き渡ったのは耳をつんざく図太い叫び声。その声に思わずニコは身を竦めてしまった。


「な、なに? この声」


 少女には一体誰の声なのか全く判らなかったが、ニコは良くしった恐ろしい声だった。

 この声は父上だ──

 どうやら抜けだしたのがばれてしまったらしい。


「父上が僕を探しているみたい。……というわけで僕は行くよ」

「……ま、待って」


 くるくるとレイピアを回しながら鞘に収めるニコを引き止めるように少女が小さく叫んだ。

 

「……リサ」

「え?」

「私の名前。リサ」


 少し恥ずかしそうに続ける黒髪の少女リサ。

 何故か耳障りの良い、染みこんでいくようなその名前に思わずニコの顔に笑みが浮かんだ。どこか照れているような、愛嬌のある笑顔だ。


「リサか。良い名前。僕と剣術で引き分けるなんて、凄いよ」

「貴方も。私と剣で引き分けたのはニコが初めて」

「……次は負けないよ」


 先ほどの愛嬌のある笑顔が消え失せ、いつもの飄々とした表情に戻るとそう言い放つニコ。

 そして、それに呼応するように、リサもまた先ほどの勝ち気な空気を可憐に纏った。

 

「こっちも。だけど、次はちゃんと正面から扉を叩いていただけるかしら?」

「……努力するよ」


 冗談半分でそう言い放つリサに笑顔で応えるニコ。

 それ以上、2人に会話は必要無かった。

 あまりにも衝撃的な2人の出会い。

 わずか数分の出来事だったが、すでにリサの中でニコが、ニコの中でリサが無視できない大きな存在になっていた。


 1つの懐中時計が導いた、自由奔放な2人──

 だがそれは始まりでしか無かった。

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