第十三話 嘘に隠された真実
ついに迎えた星夜の日、澄み渡った空に登った太陽を邪魔する存在はひとつとして無く、この時期には珍しいじんわりとした暖かい日差しがパラミシアの街へと優しく降り注いでいた。
街に命が吹き込まれ、次第に活気付く時間。
追手を躱す為に街の東へ向かったニコとリサは、今は使われていない風車小屋に身を潜めていた。
一昔前のパラミシアの街を支えていた農耕業の代名詞とも言える、穀物をひく風車はテムジンを中心とした貿易事業の台頭とともに、その多くが役目を終え、今や静かに朽ちていくのを待つだけの存在だった。
「……風車がそんなに珍しいか?」
風車小屋の戸を微かに開け、周囲に注意を送っていたニコとは裏腹に、リサは丁度すり鉢が設けられた風車の中心から、遥か頭上に見える動くことはない羽根車をしげしげと見上げている。
「5年後にこの最後の風車も取り壊されるの。風車なんてもう何年も見てない」
「そうなのか」
これまで遠くにうっすらと見えるだけで気にも止めなかった風車だったが、未来から来たリサにいざ無くなると聞かされた途端に哀愁を感じてしまう。
無くなって初めて大切さが分かる。
パラミシアを離れ、王都へと赴いたニコにはそれが痛いほど判っていた。
家族やパラミシアの街で知り合った知人達、そしてそれまで会いたい時に会う事が出来たリサの存在がなくなり、ポッカリと開いてしまった心の穴は、今思い返しただけでもひどく疼いてしまう。
そしてニコには判っていた。屋敷を飛び出し、未来から来たリサを助けようとしたその時に、同じ疼きが襲ってきたと言う事を。
「……何?」
「え?」
「じっと見つめて」
「……いや、別に」
いつの間にかリサをぼんやりと見つめてしまっていたニコ。その視線に気が付き、小さく首をかしげるリサにニコは慌てて視線を逸し、かるく咳払いをした。
彼女はリサであって、リサじゃない。
でも、彼女は──時の壁を越えてきた、愛するリサなんだ。
「追手は来ていない。上手く巻けたみたいだ」
「衛兵はそうかもしれないけど、あの剣士達は諦めそうに無いわ」
「あれが君の言っていた『自警団』か」
「……自警団?」
知らない名前。
リサは小さく眉を潜めた。
「あ、そうか、殺人鬼事件が君が居た未来に無いんだったら、自警団もあるわけは無い、か」
「殺人鬼事件と関係が?」
「事件を解決する為に君の父が組織したものらしい。この世界のリサがそう言っていた」
ニコのその言葉にリサは視線を宙に漂わせながら考え込んだ。
治安の悪化が噂されれば、パラミシアの貿易事業に影響がでるのは当然。父が事件解決の為に腕に自信のある剣士を集めるのは不思議じゃない。
そして、先ほど対峙したあの戦鎚を自在に操っていた男の姿を思い出し、思わず身震いしてしまうリサ。
「でも、どうして急に彼らは私を?」
「……その件でひとつ、君に質問があるんだが」
ちらりとリサが羽織っている黒いコートに視線を移しながらニコが重い口調でそうつぶやいた。
先ほどのリサの言葉から、リサが商人に手をだしたと言う事は考えにくい。もし仮に手を出していたとしても何かしら重要な理由があるはず。
心の中で自分にそう言い聞かせたニコは続く言葉をゆっくりと口に出した。
「その黒いコートはどこで手に入れたんだ?」
「……え?」
ニコの質問にリサの表情が曇ったのがはっきりと判る。
リサのその表情に思わずどくんと心臓が脈打ってしまうニコ。
なんだその顔は。
やはり商人から奪ったというのか──
「そ、それは……」
「ウェイドから聞いたよ。君がそれをどこで手に入れたか」
「嘘……!?」
信じられない。
そう言いたげに目を丸くするリサに、ニコは落胆の色を滲ませてしまった。
「……本当なのか、リサ?」
本当に手をかけたのか。君はそんな人じゃなかったはずだろう。
否定してくれ、とどこか祈りに近い言葉を心の中で叫びながら、再度問いかけるニコ。
だが──
「……ええ、そうよ」
「……ッ! 何故!? どうしてだ!」
「何故って……確かにニコ以外に関わりを持つのは危険よ? だけど……コートくらい」
「コートくらいだって!?」
信じられない言葉を放つリサに、ニコは咄嗟に声を荒らげてしまった。
確かに、厳寒期にあるパラミシア地方で防寒具を着ない事は自殺行為に近い。現にあの林の中でリサの存在に気が付かなければ十中八九、君は死んでいただろう。その経験から防寒具を探し求めるのは理解できる。
だが──
「だからと言ってやって良い事じゃないだろう!」
「やっていい事かと言われれば、確かにそうだけど。……そこまで怒ることでも無いでしょう!?」
突然の剣幕で怒りだしたニコに最初はしゅんとしていたリサだったが、次第にその表情に苛立ちが募ってきている事がニコにも判った。
そして、うっすらと感じる違和感も。
何か変だ。リサの言葉からはなぜかとてつもなく軽い事の様に聞こえてくる。
「……リサ?」
「何よ」
「そのコートは……商人を襲って奪ったんだよな?」
念のために聞くけど。
恐る恐るそう問いかけるニコだったが、瞬時に青ざめたリサの表情を見てそれが偽りだということがすぐに判った。
「おおお、お、襲うって何? 私が、商人を襲って……略奪したんじゃないかって?」
「ち、違うのか?」
「何言ってるのよニコ! これは……このコートは──ウェイドに貰ったものよ!?」
慌てて放ったリサのその言葉に、ニコは即座に反応出来なかった。
しんと静寂に包まれた風車小屋内に、リサの芯の通った声の余韻が残る。そして、リサの声が耳に届くと同時に、ニコの身体を襲ったのは得体のしれない悪寒だった。
「……なんだって?」
絞りだすようにそう返すニコ。
そして時間とともに、ニコの頭は混乱に支配されていく。
10年後のリサの存在を知るはずが無いウェイドがそのリサにコートを渡した──
何故ウェイドが……何時君にそのコートを?
そして、何故ウェイドはリサが商人を襲ったと僕に、嘘を──
***
「……医務室から逃げた時、君にウェイドが渡した?」
「ええ」
再度念を押すようにそう問いかけるニコ。その表情には疑念の色が見え隠れしている。
「どうして僕に隠していた?」
「別に隠していたわけじゃないわ。ニコに言う必要も無いと思っていただけよ」
医務室の窓を抜け出してすぐにウェイドが現れたとリサは言う。
男爵から仕事を任されて屋敷を離れる事も多かったウェイドが丁度屋敷に戻った時に出くわしたのではないか。
リサの予想はそうだった。
「それでウェイドは着ていたコートを君に?」
「多分、私が男爵の屋敷に運び込まれた事を知らなかったから、この世界の私と間違ったのかも」
「その時ウェイドと会話を?」
「してないわ。ウェイドはただ、これを着なさいとそう言っただけよ」
「むぅ……」
リサの姿に驚きもせず、着ていたコートを渡した。
意外な返答に、ニコは言葉を忘れてしまい腕を組んだまま唸るしかなかった。
「でも、誰が私が商人を襲ったと嘘を?」
「……そこが引っかかっているんだ。君が商人を襲ったと言ったのは、そのウェイドなんだ」
「えっ?」
不意を突かれたニコの言葉に、狼狽を漂わせるリサ。
まったくもって意味が判らない。
リサと出くわしたその時、医務室で騒動が起きている事をウェイドが知らなかった可能性は高い。突如目の前に現れた彼女をこの世界のリサと間違えて、とりあえず着ていたコートを貸し与えた。
違和感は感じるものの、そうなっても不思議じゃない。きょとんとしたまま、コートを渡すウェイドは……想像出来る。
だが、だがどうしてウェイドは僕に「あのコートは商人を襲って奪った」と僕に嘘をついたのか。
別の誰かがリサにコートを渡し、情報が湾曲してウェイドの耳に届いたのであれば納得できるが、渡したのがウェイド自身であれば不自然過ぎる。
「……コートをウェイドに貰ったのは、本当よ?」
ニコの視線に何かを感じたリサが慌ててそう囁く。
眉をひそめ、考えこむニコが自分に疑念を抱いているのではないかと考えてしまったリサだったが、ニコの中でリサが嘘を付いているという考えはすでに消えていた。
ウェイドの行動には疑問が残るが、リサの言っている事は筋が通っている。
「はじめは君を疑ってしまっていたが、君が嘘を言っていないのは判る」
「……ほんとに?」
「もっと早く言って欲しかったけど」
その言葉に少し訝しげな表情を浮かべるものの、まぁ、仕方ないかと溜飲を下げるリサ。
「何故ウェイドが僕に嘘をついたのか、ここで考えていても仕方が無い。なんとか屋敷に戻ってウェイドに聞くしか──」
解決方法は無い。
ニコがそう言いかけたその時だった。
微かに開いている風車小屋の扉から、草をかき分ける音がニコの耳に届いた。
風の音ではない。明らかに誰かが風車小屋に向かって来ている足音──
「リサ、こっちに」
自警団の連中が追ってきたのか。
そう判断したニコは、剣を抜くとリサを傍らへと引き寄せ、少し扉と距離を置き、壁に背を預けたまま外の動きに神経を集中させた。
少しづつ、そして確実に扉へと向かっている音。
扉を開けた瞬間に剣を交える事をイメージしつつ、その一瞬を待つニコだったが──
「……ッ!!」
きい、と優しく開かれた風車小屋の扉。
その向こう、冷えた空気とともに照りつける日差しを背に受けながら、そこに立っていた人物に思わずニコとリサは息を呑んだ。
そこに居たのは、引き締まった頬に温厚な性格が現れている細い垂れ目のカイゼル髭を蓄えた紳士──
「ト、トマソン!?」
「ニコ様、お探ししました」
そう言って小さく会釈するのは、紛れも無いトマソンだった。
そしてニコの脳裏に浮かんだのは、リサが見せたあの証明書。
精通しているはずが無い剣術を武器に、王都の剣術武闘会で好成績を残したと確かに語っている証明書だ。
「……何故君がここに」
剣を構えたまま、警戒を解くこと無くそう言い放つニコ。
だが、ニコの目に映るトマソンの姿は、いつもと変わりない温厚なトマソンの姿だった。