第十話 君の愛が罪だといわれようとも、僕は喜んでそれに従う
「リサ、パラミシアの殺人鬼の噂を知っているか?」
透明感が増した冬のパラミシアの空が琥珀色に染まりつつある午後、再び窓から現れた町娘の質素な服装に身を包む未来から来たリサにニコはそう問いかけた。
「パラミシアの殺人鬼?」
「そう。最近街で起きている殺人事件らしい」
未来から来た君なら知っているだろうと考えていたニコだったが、彼女から放たれた言葉は予想に反したものだった。
「……知らない」
「知らない? そんなはずはないだろ。現に今問題になっている事件だ」
現実に居城に居るリサは今これまで居なかった護衛をつけているし、この事件を知ったのはリサの口からだ。
だが、その事を伝えても、リサから帰ってくる言葉は「知らない」の一辺倒だった。
「……ひょっとして、この殺人鬼も……君がこの時代に来たことによる異変?」
「判らない。でも、単純に記憶がなくなっているだけかも。現に今、どんどん記憶にもやがかかっていっているもの」
私に記憶が無いと言って、簡単に異変だとは言い切れない。
だが、そう言うリサの言葉にニコは得心が行かない表情を浮かべてしまった。
記憶が曖昧になってきているという事は、10年後から来たと言う彼女の言葉自体、ひょっとすると彼女の消えつつ有る記憶が産んだ誤った記憶なんじゃないだろうか。
最初僕が感じていた通り、単純に何か記憶を失う病にでもかかった彼女が居城に忍び込み、あの懐中時計を盗み出した物の可能性は十分にある。
「……また疑ってるでしょ?」
「えっ?」
「顔に出てる」
「……ッ!」
ずばり言い当てたリサの言葉に、気まずそうに頭を掻くニコ。
そしてその言葉に、ニコの頭に生まれた少し疑いが晴れたような気がした。
疑いの目を送っていたのは事実だったが、一方でこういう「リサらしい突っ込み」が彼女がリサ本人だと語っているのも事実だ。
「すまん、正直な所わからなくなってきている」
「でしょうね。記憶が曖昧になってきている私の狂言と言われてもしかたがないわ。でもね……」
きり、とした視線をニコに投げかけながらリサが静かに続ける。
「私が曖昧になっているのは貴方が死んでからの記憶よ。ニコが殺された明日以前の記憶は昨日の出来事の様に覚えているわ」
「……明日までの記憶?」
リサの視線に気圧され、思わず苦笑いを浮かべてしまったニコだったが、彼女が放った言葉に違和感を覚えてしまった。
彼女は明日までの記憶は鮮明に覚えている。
とすれば……殺人鬼の噂は覚えているはず──
「やはり、殺人鬼は何かしら関係しているのかもしれないね」
「……え?」
「君に明日までの記憶があるのであれば殺人鬼事件は記憶に残っているはずだろ?」
だが、君にそれはない。
ということはつまり、殺人鬼事件は消えた懐中時計と同じように、この世界に起こった異変だと言うことだ。
険しい表情を浮かべ、部屋をくるくると歩き回るニコが出したその結論にリサは納得が言ったと言いたげに小さく頷いた。
「実はね、1つの可能性として、私の中に残っている記憶に無い事を探せば犯人に行きつくんじゃないかと考えてたの」
「……成る程」
未来から過去を変える為リサが現れ、そして同時に懐中時計が消え、未来に起きていない殺人鬼事件が起きた。僕を殺す事になる犯人と何かしら関係があっても不思議じゃない。
リサの考えに頷き返すニコ。
「それで昨日から調べていて、見つけたの」
「見つけた? 記憶と違う何かかい?」
「そう。ニコにとても近い2人の人間にそれがあったの」
そういってリサは懐から2枚の紙をニコに手渡した。
それはニコに見覚えのある、とある証明書だった。
「これは……」
「王都で開催されている剣術武闘会で好成績を残した剣士に渡される王室騎士へのチケットよ」
リサから渡されたそれは、紛れも無く、ニコも手にした王都で開催されている剣術武闘会で好成績を残し、王室騎士への道の出発地点に立つことが許された物に渡される証明証だった。
そして、その紙に記載されている名を見て、ニコはどきりと心臓が跳ね上がってしまった。
「……トマソンと……ブランタさん?」
「びっくりでしょ? 2人とも私の知るうちでは剣術には全く精通していないはずよ」
その名前にニコは息をするのを忘れてしまうほど衝撃を受けてしまった。
未来から来たリサだから判る、その事実──
信じがたい事実だが、ニコは納得せざるを得なかった。
聞いた殺人鬼は何も「1人」だとは言っていなかった。本来剣術に精通していないはずのトマソンとブランタさんが、こうして剣術武闘会に出て、好成績を残している「異変」──
2人がその殺人鬼だという可能性はゼロじゃない。
「だけど、消えた懐中時計と2人に関係が?」
「それは判らない。だけど、明日2人の動向に注視していれば未然に防ぐ事は出来るかも」
動機が判らない以上、まったく別の犯人が居る可能性もあるけどね。
そう続けるリサ。
リサが言うように、彼ら2人に異変があるとしても、ニコを殺すに至る動機はどこにも無かった。
これまで長年ニコに付き添ってきた温厚なトマソンと、ニコの父テムジンと仕事を共にし、今はウェイドへと師事するブランタ。
全くもって恨みを買われる要因は無い。
「となれば、明日は部屋に篭って2人の動きを監視する必要があるな」
「いや、監視するのは私だけよ」
「……何故?」
異変がある人物は2人居る。2人で監視したほうがずっと良いはず。
そう考えたニコだったが、リサは信じられないと溜息混じりに続けた。
「……呆れた。貴方、明日私に会ってプロポーズするんでしょ?」
「……ッッ!!」
私は知ってるんだから。
そう言うリサのどこか小恥ずかしそうでもあり、嬉しそうでもあるその姿にニコは思わず赤面してしまった。
そして、その言葉でニコは再確認し、確証した。
彼女は本当に10年後から来たリサなのだと。
「星夜の夜に出会って、星夜の夜にプロポーズするなんて、ホントステキな考えね」
「そ、それはどうも」
ほてり上がってしまった顔を隠しながら、そう答えるニコ。
そんな姿にリサはくすくすと押し殺した様な笑い声を上げてしまった。
「変な感じだ。これから君にプロポーズすることになるなんて」
「フフ、結果はどうなるか判らないけど」
「良い返事を期待するさ、リサ」
と、そうおどけるニコの目に、ふとリサの指先が映った。
それは居城に居るリサのそれとは比べようもなく、傷だらけになっている指だった。
それすらも覚えていないだろう、10年の苦労が詰まった指。明日のその日の為、過去を変えるその日の為に鍛錬に鍛錬を重ねてきた剣士の指だ。
「君のその手」
「……手?」
この手が何?
そう言って自分の手をまじまじと見つめるリサ。
「僕と同じ、何かを守るために鍛えてきた騎士の手だ。どれほど苦労を?」
「判らない。だけど気にしないでニコ。貴方との未来を作る為にやってきた事よ」
それが、時の流れを狂わせるとしても。
そう続けるリサに、ニコの心はぎゅうと押しつぶされそうになってしまった。
過去を変える事、それが犯罪なのかと言われれば……限りなく犯罪に近い事だとおもう。その過去を変えた事で未来にとんでもない影響が出てしまうからだ。
リサは今、前例の無い犯罪を犯そうとしている。
そして、僕はそれに加担しようとしている。
それは時の流れが許したとしても、天上神は許してくれない大罪で、その罰は未来の僕達に振りかかるかもしれない。
だけど、だけどリサはそれを喜んで受けようと決意している。
そして、僕も同じように。
「もし歴史が変わったとして、今ここに居る未来の君はどうなるんだ?」
「判らない。だけど、私が考えるに消えていく記憶と同じように、多分時代の流れの矛盾点として修正されてしまうと思う」
「まさか……!」
その言葉に思わず声を荒らげてしまうニコ。
未来の君が消える? これほど苦労した君が消えるというのか。
「だから気にしないでニコ。貴方はこの世界のリサの夫になるべき人よ。その為に私はこの時代にきたんだもの」
「しかし……」
リサの優しさがその心を苦しめ、そして塞ぎこんでしまうニコ。
と、そんなニコの手にふと冷たい指が触れた。
居城のリサと見た目は違うが、同じように柔らかく、そして優しいリサの指だ。
「私はもう一度こうして貴方に会えただけで嬉しいの。そして、私をどれほど愛してくれているかわかったもの」
「リサ……」
リサのその指をニコの手が優しく包み込んだ。
そしてそのまま優しくリサを抱き寄せるニコ。
これがせめてもの償いであり、リサへの愛の表現だ。
そう心の中で囁きながら抱きしめた10年後のリサは、なにも変わらない、気丈で、そしてか弱いリサのままの姿だった。
しかし、その時ニコは気づいて居なかった。
未来のリサが語った、ニコのプロポーズの場。そして星夜の記憶。
その記憶は──未来のリサの中には存在するはずがない、という事を。