第一話 すべての始まりは同じ星夜の空の下で
collect:集める、散らばっているものを1つにあつめる
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ──。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
***
素晴らしい一年を送った者にも、後悔に苛まれて過ごす事になってしまった者にも等しく訪れる一年の終わりを告げる夜、星夜──
星達がまるで雪のように降り注ぐ一夜限りの流れ星達による交響曲、星夜は人々が信仰する天上神からの祝福が訪れる日として、農夫から国王に至るまですべての人々が等しく神に感謝し、そして来るべき次の一年を平安であるように祈る大切な日だった。
そして今年も迎える星夜。
しんしんと降り積もる綿雪をまるで砂塵の如く舞い上がらせながら強行とも言えるスピードで駆け抜ける馬車に揺られ、故郷パラミシアへの道を急ぐ若き剣士ニコにとって、数日後に訪れる星夜は誰よりも重要な日だった。
一見して20代前半くらいの青年に見えるニコ。
しかし、その雰囲気にはまだ幼さが多少残ってはいるものの、親譲りの北部民族の血が濃く現れた彫りの深い彼の顔立ちからは飄々とした空気とともに、すでに紳士的な佇まいが見え隠れしていた。
「トマソン、彼女の意識は戻らないか?」
「はい。危険な状態であります」
どこか憂心を抱いているような感情が滲み出しているニコに、逆への字髭、カイゼル髭が良く似合う、引き締まった頬に細い垂れ目の柔らかい雰囲気を醸し出している彼の従者トマソンはその雰囲気にぴったりな落ち着いた声でそう返した。
お世辞にも広いとは言えない馬車の中、2人の視線が集中する先──
そこに居るのは静かに横たわる1人の女性だった。
先ほどまでニコが着ていた、彼が所属する王室親衛連隊の制服である赤いコートにくるまれた女性は意識無く、ただ揺れる馬車の振動に合わせ、その身を揺らしているだけだ。
「しかし、よく発見されましたね」
「全くその通りだよ」
自分でも信じられないと肩を竦めるニコ。
ニコがこの女性を発見できたのは、まさに運が良かったとしか言いようがなかった。
一年ぶりに戻る遠く離れた故郷を想い、ぼんやりと窓から流れる純白の景色を眺めていたニコの眼に不意に不思議な黒い影が映り込んだ。普通であれば、そのまま通りすぎてしまうほどの瞬間の「違和感」だったが、違和感を感じたニコは即座に馬車を止め、この一年毎日のように着ている王室親衛連隊の赤いコートを羽織り、黒い影を見かけた場所へと飛び出した。
防寒性が高い、内側が毛で覆われた羊で作られたコートは風にも強く、羽織った瞬間からじんわりとした暖かいぬくもりがニコの身体を包み込むが、それも馬車を出て僅かの時間だった。外気にさらされている首元や手のひらから次第に体温が奪われていくのがはっきりと分かる。
星夜が近いこの時期は、毛皮で身を包んだ屈強な男であっても一歩間違えば凍死する事があるほど、ここパラミシア地方の冬は厳しく、そして残酷だった。
そして雪原へと足を踏み入れて、感じた違和感の正体は直ぐに判った。
まるで時が止まったかのような雪原の上に横たわっている薄汚れたボロボロのチュニック形式の服、ブリオーを着た女性──
咄嗟に駆け寄ったニコは即座に女性を抱きかかえ、息を確認した。
まだ息がある。……だが、危険な状態だ。
すでに女性の身体は凍りついていると思うほど冷えきり、誰の目にも命の危険が迫っている事は明らかだった。
凍死体が発見されることはそう珍しくもないこの時期、人によってはその女性をそのまま諦めてしまう事もあるかもしれない。
──だが、ニコにはその女性をどうしても見捨てることが出来なかった。
「……どうにかして助ける方法は無いか?」
未だ意識が戻らない女性の顔を覗き込み、冷えきったまるで人形の様にか細い手を握りながらニコが再度トマソンへと問いかける。
「すでに凍傷の初期症状が見られます。暖かい場所へとお連れし、熱い湯に患部を浸せば助かる可能性は高いと思われます。パラミシアの屋敷に着けばなんとかなるかもしれません」
「良し、それでは急ぐよう御者に伝えてくれ」
話は単純じゃないか。
納得したようにそうトマソンに伝えるニコ。
だが──
「ですがニコ様……この女性は、その……」
どこか困惑したような表情を浮かべ、そう返しながら、ニコと女性を交互に見やるトマソン。
そんな彼ににニコは大丈夫だ、と言いたげに軽く肩を叩いた。
トマソンが言いたいことは判る。
僕も正直な所──困惑している。
静かに眠っている女性の姿。ニコは何故その女性を見捨てることができなかったのか──
「……似ていると言いたいんだろう? 君は」
「ええ。……似ているという表現が適切かどうか、わかりかねますが」
ポツリとニコが口に出したその言葉に賛同するトマソン。
そしてその言葉を噛みしめるように、ニコは静かに眠る女性の艷やかな漆黒の前髪を優しくかきあげた。
見覚えがあるくっきりと整った鼻。そして、お転婆で気丈な彼女の性格が現れている、つんとした目と眉。
そして、パラミシア地方では珍しい、闇夜の様な漆黒の艷やかな長い髪。
正直な所、この女性を発見出来たのは、この美しい黒髪のお陰だったのかもしれない。
だけど、美しいこの髪を持つことを許されている女性は僕が知っている中でたった1人──
そう心の中で囁きながら、ニコは眠る見知らぬ女性を眺めた。
──どこか愛おしそうに、慈愛に満ちた眼差しで。
「似ているというよりも、瓜二つだ。パラミシアに残している……愛するリサに」