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(intermission-2 夜明け前のスターライト!)

登場人物

くるみ…市警団警士。女子。中等部3年。

つい…  〃  。男子。中等部2年。


「また会えてよかった!」

 夜のパーセンテージが100を突破する。

 くるみは、走行する自転車の後部で深く風を吸い込んだ。

「オレは別に……」と操縦者のついは素っ気ない。

 海沿いのストリートは、遠く先のレーンまで貸切状態だ。解放感と波音に包まれながら、臨海公園へ向けて走り続けている。

「ワタシは嬉しいですよ!」

 謹慎生活も退屈になり、あのもったりとした時間が流れる部屋から、連れ出してくれる誰かを待っていた。

 最高のタイミングでロビーに現れた対に『おまえがクルミか?』と詰問され、予期せぬ再会を果たし、現在に至る。


 近くで改めて見てみると、対は背伸びした大人っぽい髪型の少年だった。すらりとしていて、意外と背も高い。世界中のあらゆるものに反発したい気分なのか、過分にダークなスパイスが効いている。

「ありがとう、あのとき。巻き込んでごめんなさい。辞めていなくて安心しました」

「ぶっ壊の隊員撃ち殺したくらいで辞めねえよ」彼は露骨に引いた目をしてこちらを振り返った。「それより何だよその喋り方。オレの方が年下なんだけど。……そんなに妹キャラになりたいのか」

 楜は小さく笑って頷く。

「イエス! タカにぃはなんかダメなので、新しい“にぃ”を探しているのです」

 でも本当は、人格が歪みきったタカムラを見捨てたりはできないだろう。一度なってしまった幼馴染は他人同士に戻りにくい。思い出の懐かしさが邪魔をするから。

「“にぃ”は全力で他を当たってくれ。オレはパス。おまえ後ろに乗せてると原因不明の疲れを感じる。いきなりシロップみたいな声ではしゃぐのやめろ。頭やられて事故りそうだ」

「ストロベリーなシロップじゃなくて、柑橘系ですね? 自称共感覚の人にそう言われたので。イエローとオレンジ、かな……? 大丈夫、そのうちワタシがいないと寂しく感じて物足りなくなりますよ!」

「なんねえよ」


 辿り着いた臨海公園は、役目を終えた舞台のようだった。日常から切り離された特別な時間を過ごせそうだ。

「ワタシはスターな形のあの人を探しますので、しばらくそっとしておいてください」

「それ人じゃなくてヒトデだろ」

 裸足になり、欄干を乗り越えて岩々しい海辺へ降りる。乳白色の足場に薄くなった波が寄せてきて、指先がひやりとした。

 楜は屈み込んで胸元に手を遣る。

「……あっ。どうしよう、ペンライト忘れた……」

 制服の上着に入れてあったのを失念して、私服のパーカを着て来てしまった。

 これではあの人たちを探すことができない。

「オレの使え」背後から気怠げな声が聞こえた。

 足元を危うくしながら、差し出されたそれを受け取る。「ありがと、助かった!」

 楜は海中を照らした。

「うーん、誰もいませんね。困っている小さい人を保護してお部屋の水槽で育てたいのに」

「誘拐かよ……。おまえに飼われたら変な魔法仕込まれて早死にしそうだ。ぞっとする」


「何かいたか?」

 暇を持て余したのか、対も欄干を越えてこちらへ来た。

「いません。暗くなったのでみんなおうちに帰ったのですね。……ん?」

 捜索に夢中になっていて気づかなかったが、靴下が片方流されている。

「あっ。お気に入りのソックスが!」

 思いきり手を伸ばしたが届きそうにない。

「溺れるぞ! 諦めろ!」

 後ろから乱暴に肩を掴まれ、振り返ろうとした瞬間。穢れた何かのように強い力で突き飛ばされた。

「えっ?」不測の事態だ。

 迫る水面。体勢を立て直す余裕もなく、肌を刺す水の冷たさに意識が遠のいていく。



「オレが悪かった。触ったら、軽いっつーか変に薄くて、こいつ女なんだと思ったら反射的に……」

 対は早口で言い、俯いたまま上着を寄越してきた。

「本当にもういいですよ。びっくりしましたけどね。虐げられるのはタカにぃの仕打ちで慣れてますから」

 楜は額の滴を拭い、スカートの水気を払う。重くなったパーカを脱いで、渡された制服を羽織った。

 残留びっくりも自然と抜けていったので、平常時の血圧に戻っているはずだ。

「ん。これ、ワタシにはちょっと大きいかも?」

 袖を結んでマントのようにしてみる。男子のアイテムを取り入れた新しさで、ハロウィンと同じくらいテンションが上がりそうだ。

 全く怒っていないと伝えたけれど、対は気まずそうに目を逸らせたまま何も喋らない。

「つっくんは異性なのですね」

「その呼び方やめろ。意味深な内容もやめろ。おまえと交際してると思われたくない」

 対はきっと、女子という生命体を受け入れられずに苦しんでいる。何とかして助けてあげたいと思った。

 ――クライアントがひとり増えましたね。

 また、時に自らを投げ打つ覚悟で、他者の心を支えなければ。

 きっと、悩ましい人を隣に感じると、頭の中からお節介な物質が滲み出して止まらなくなるのだ。その穴をキャンディの包み紙で塞げるとよいのだけれど。

 こちらから誰かの手に縋ることはないのに、自分を頼ってほしいという、矛盾した胸の熱さから逃れられない。

「大丈夫。心配いりませんよ。とにかく落ち着いてください」

「別に慌ててねえよ」

「誰かが見ているときは用があっても話しかけないので。……その代わり、ときどき外でお話ししましょう」名案だ。夜、自転車に乗せて貰って爽快に海辺を走れる。

「そっちの方が怪しいだろ」

 彼は心底嫌そうに口元を引き攣らせた。

「それよりワタシ、じゆーすが飲みたいです」

「はっ。ジュース発音できないとか。本当におまえ、大丈夫なのか……?」


 臨海公園の隅に自動ジュース機を発見。

 対は渋い黒酢を選び、『どれにするんだ?』と目顔で促してきた。

「豆乳のココア!」

 ちらりとこちらの胸元を見下ろし、からかうように言う。

「幼児用の紙パックにしろ。どう考えてもおまえにイソフラボンは必要ない」

「ひどいですね! でも、豆乳は譲れません。それが飲みたくてここまで来たのに。つっくんがそこまで言うのでしたら、女子の尊厳のために豆乳バナナと豆乳カフェオレも追加しますよ!」


 対はストローを口に突っ込んだまま、欄干に凭れてぼんやりとしている。このままでは、通りかかった船に乗ってどこかへ行ってしまいそうだ。

 そして不意にポケットから、着色料の主張が凄まじいチューイングキャンディを取り出した。

 人体に有害だとして、回収騒動が起きたものに間違いない。店頭から消える前に、何らかの手段で買い占めたのだろう。

 ――死に至るお菓子……。もしかすると、消極的な自殺……?

 あるいは、感情の沈みに歯止めをかける薬の代わりなのか。

 ――ワタシが何とかしなきゃ。たとえ命は救えなくても、心だけは……!

 楜は喉を反らせて豆乳ココアを飲み干した。豆とポリフェノールの力が漲ってくる。

「市警団も市民のみなさんも、つっくんを必要としていますからね」

「需要あるのはあの前髪変な人みたいな警士だろ。怖くて近づけねえよ」

 先ほどの鉄槌の会で、偶然行き会った対が参戦したらしい。

 かげもまた、揺らぐ水面のような心のどこかに、強さの秘密を隠し持っているのだろう。

「シャドウな影くんは、あのぎりぎりなところがいいのですよ」

 明るくフレンドリーに装っているが、意外な脆さを感じさせる人物だ。作り込みが浅かったらしく、声か表情のどちらかに隙があり、妙に不安定なので気に掛かっていた。

「影くんもつっくんも、そのままで大丈夫。完璧じゃない人にも居場所はあります」

「冷静に考えろ。市警団にオレがいなくても成り立つだろ。おまえの言い方鬱陶しいんだよ。黙ってどんぐりでも食ってろ」

「…………」

 きっと対は、どこにいても疎外感が消えずに辛い思いをしていたのだろう。

 わかるようでわからない。別の人間だからと投げ遣って、こちらから受話器を置くようなことをしたり、生でどんぐりを食べたりしてはいけない。

「ここには、……市警団には温室な感じの人はいません。外の空気といろいろな痛みを知らなければ戦えません。もちろんワタシもです。だからつっくんも自分のことを否定しないで」



 帰路の途中、借りたペンライトで遠い海へ向けて救難信号を発信した。

『・・・ ― ― ― ・・・』を2回。

 自転車の後ろで上着のマントを靡かせながら、どこにもいない誰かにSOSを送り続ける。

「何か今、余計なことしてないか?」

「いいえ。そんなことありませんよ!」

 薄くなった夜空で霞む星。知らない世界から吹き込んでくる生々しい酸素。

 市警団から離れて、平和な暮らしに戻りたいわけではない。けれど、このままいつまでも、軽やかに風を切って走り続けられたらと思った。



 突然、間近から電子音が鳴り響く。

 対のセルラで間違いなさそうだが、本人は素知らぬ様子で放置している。

「ん、闇取引の予感ですね。ワタシはこの辺りを散策して待つので出ていいですよ」

「…………」

「切れちゃう前に早く!」

「うるせえ! 黙ってろ!」

 急かしたのがよくなかったのか、対の苛立ちが爆発した。

 だからといって怒鳴るのは、靴下を流されて悲しんでいる者への配慮が足りなすぎる。

「……………………。つっくんがごめんねを言うまでずっと黙ってますからね」

 一度途切れた着信音が再び鳴り始めた。先方に予期せぬ事態が起こったのだろう。

 対は速度を落とし、腕を振り上げて筐体を海に放り投げようとする。

 それを危ういところで止めた。

「つっくん待って!」

「やめろよ! おまえのものじゃねえだろ!」

 確かにそうだけれど。

「複雑な事情がありそうですね……。ワタシでよければ聞きますよ? 秘密は守ります。話したくなったら、いつでもどうぞ! ……って言われると身構えてしまってダメですよね」楜はほんのりと熱を帯びた頬に手の平を当てる。「間違えちゃった」


 しばらく押し黙って運転に従事していた対は、何かを諦めたように小さな声で言った。

「掛けてきたのは家族だ。他人だけど」

「誤家族ですか」

「奇病の義姉と義弟を生かす目的で買われたんだよ。施設で殺処分にしてくれれば少しは感謝してやったのに。気づいたら血液銀行だぜ?」

「頭取ですね」

「ああそうだよ。責任から逃れるために警士に転職したんだ。半分自殺だ。……もういいだろ。会いたくないんだよ、あいつらと。あの家の甘ったるい空気がオレには合わなかった」

 対は、偽の家族を見捨てる決意をした自分を蔑み、深く傷ついているようだった。曖昧な正しさを吹っ切りたくて、わざとそうしているのかもしれない。思春期の悪い澱が身体中を侵している。

 けれど、血を求めている義姉弟きょうだいを見殺しにすることで、彼の心に安らぎや幸せが訪れるとは思えなかった。

 対も同じだろう。

 すぐ側にある背中がすでにもう、悲しい罰を受ける準備を始めているように見えた。

「その時計……」

「は?」

 先ほどココアの缶を受け取ったとき、彼の印象とすれ違っているレトロな腕時計が目に留まった。

「どなたかが、つっくんにくださったのではないですか?」

「捨てるの面倒だからだろ」

「とても高価なものですよ」

「…………」

「きっかけは好ましくなかったかもしれませんが、そんなに酷い人たちじゃないのでは?」

 心の底から切り捨てたいほどに嫌悪しているなら、番号を知られたままにするはずはない。繋がりを断たずに、自分の存在にまだ価値があるということを、目に見える形で感じたかったのだろう。

 明日、鉄槌の会で死ぬかもしれない対も、胸の痛みを抱え続けるひとりの人間だった。

 楜は自転車の後部から降りて彼に上着を返す。

「ワタシはちょっと髪が濡れてますが、歩いて帰ります」

 不意に袖を掴んで引き留められた。

「送るから乗れ。……あいつらが、全員死ねばいいと思えるくらい嫌な奴だったらよかったのに」



 市警団へ戻る途中、水浸しのセルラに着信があった。

 ――うっ、タカにぃからだ。

 まずい予感しかなかったので、光の速さで電源を切った。デスコール遮断完了。これでもう安心だ。


 正門の前で、弾みをつけて自転車から降りる。

「……さっき、」

「は?」

「市警団がつっくんを必要としていると言いましたが、もうここへは戻って来ないという選択もありますよ」

 対は驚いたようにこちらを一瞥し、そのまま視線を外して俯いた。何も言わなかったが、その心情は推し測ることができた。

「傷つきたくて堪らない気分でしたら、ワタシがそっと近づいて、ぐさっとやってあげますけど?」

 虚脱気味の乾いた笑みを浮かべた対の目に、白い星の残像が映っている。

「おまえ力なさそうだから頼りになんねえよ」

「そうですね。じゆーすをありがとう。送ってくれて助かりました」

 時間の流れは空の支配下にあって、いつまでも同じ夜の中にはいられない。

「クルミ、一応連絡先教えろ」

「うーん、どうしようかな」と悩ましく眉を寄せる。「……なんて冗談ですよ。ワタシから訊こうと思ったのですが、女子としてのプライドがありますからね。ツンとした方じゃなくて、凛とした方のです」

 急いでセルラの番号を交換した。

「今が底辺だとするなら、あとは高さを求めるだけですよ」

「面積計算してどうすんだよ」

「何もない空っぽの四角にいろいろな地図や言葉を書けます。白紙のまま保管するのもアリですね」


 交通機関の開始時刻まで、残り僅かだ。彼の背中に手を遣って、早く駅へ向かうよう促す。

「先のことは、つっくんが自分で決めるのですよ。どちらでも応援しますからね」

 対はもう一度こちらを見て、ほんの微かに頷いた。

 あたたかい感情で誰かに何かをしてあげたいと思っていても、できることはあまりなくて、少し寂しくなってしまう。

 ワタシはちっぽけな存在ですよ、とときどき声に出して言っているけれど、本当にその通りだ。

 やがて対も、自分のことを忘れてしまうだろうと思った。

 ――必要とされたがっていたのは、ワタシの方ですね。


 静寂の中、門の前に立って、小さく手を振る。

「……ばいばい、グッドラック!」


(intermission-2 end.)


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