(intermission マジカルステッキの先端についてるキラキラの星!)
――今日は大丈夫だもん。バリケード作ったから!
楜は、市警団の宿舎として使っている旧ホテルの一室で敵の来訪に備えていた。
天気は晴れ。風も爽やか。パフェか何かを食べに行きたい気分だけれど、残念ながら謹慎中の身の上だ。
今にもあの、冷ややかな目をした年上の幼馴染が、苛立った声でドアを開けろと脅かしてくるに違いない。昨夜もほとんど眠れなかったうえに、誰かに命を狙われているみたいな危機感で緊張が全力疾走。さすがに疲れてきた。
――しかし、未だドキドキ止まらず……。
午前の講義が終わる、ランチ休憩の少し前。訪ねてくるとしたらこのタイミング以外あり得ない。こちらが問題を起こすたび、奴は何度でも現れる。
叱られる未来が確定している立場としては、何としてもこの部屋への侵入を阻止しなければ。
――死にたくないなら無理にドアを開けようとしないことね、タカにぃ。ガラガラーってワタシが積んだいろんなものに潰されちゃうんだから!
そろそろ来る頃だ。時計を確認し、ベッドの下に身を隠す。
「言いたいことだらけのタカにぃはがっかりするかもしれないけど、ワタシは叱られるために生きてるわけじゃありませーん」
床に頬を着け、隙間から扉のあたりを窺う。カーペット敷きの通路で靴音は聴こえない。とにかく、バリケードが心配だ。弱った鍵も然り。
不意に飛び込んでくる無機質な叩扉の音。
楜は身を硬くした。「うわっ、来た!」
「いるんだろう。開けろ」
「誰が開けるものですか」楜は口元に勝利の笑みを浮かべる。
「いいから開けろ」強行突破するつもりなのか、防壁の向こうに見えるドアの一部が、ポルターガイストのように激しく振動している。
「やだもん」などと余裕を見せている場合ではなかった。揺さぶりによってバリケードの頂点が崩れかけているではないか。
素早くベッドの下から這い出し、積み上げたいろいろを全身で支える。
あちらも苦戦しているようだ。僅かに開いた扉越しに視線がぶつかり合う。
「おい、何だこれは! 話がある。無駄な抵抗はやめて今すぐどけろ!」
「絶対やだ! ちっぽけなワタシの身体はもう、精神をズタズタに引き裂くタカにぃのお説教に耐えられません!」ふと上を見ると、天辺の段ボール箱がこちらに滑り落ちてくる瞬間を捉えた。「きゃあッ!」
不覚にも全崩壊に近いバリケード崩れに巻き込まれ、腕も脚も打撲だらけだ。
「あー、もー。痛ぁっ」
篁がこちらを見下ろし、無感情な声で言う。
「ばかだな。……大丈夫か」
「大丈夫じゃないもん。落石事故に巻き込まれたみたいに痛くて動けない。……重傷なのでベッドで休みます。おやすみなさい、タカにぃ。ワタシの予想では死んじゃう確率が99%だからこれが最後かも」悲しげに微笑んで見せ、ポップな寝台へ向かう。
「待て。行くな」と引き留められ、何だか可笑しくなった。
楜は素っ気なく振り返る。「だめじゃん。そういう台詞は使いどころが大事なのに」
「いいからそこに座れ」
「足が痛くて座れません」
「それじゃあ立ってろ。下着みたいな恰好で部屋をうろつくな」
「残念でした! これは断じてランジェリーなどではなく、歴としたルームウェアですっ!」
その後、当然食べものを与えられることなく、午後のティタイムを過ぎるまで叱責と詰問の的になった。
篁とは家が近所の幼馴染で、彼の方はだいぶ年下のこちらをあまり好いていない様子だったけれど、今も途切れることなく関係が続いている。
モデルルームのような邸宅に住んでいて、遊びに行くと彼の家族はあたたかく接してくれた。だが、篁自身は両親や兄弟と親しくせずに暮らすのが趣味だったようで、小さい頃は寂しくないのかなと気になっていたが、彼の人と馴れ合わない生き方とニヒリズムも悪くないと少しずつ思うようになった。
「今後一切、市民からクレームが入るようなことをするな」
頭の中だけが昨日にタイムスリップする。
前夜の鉄槌の会。他の外周スコードの警士と指示通り屋外にいたのだが、偶然、建物の通用口から出てくる人影に気づいた。暗視ゴーグルに揃いの黒いTシャツという出で立ちからして『すべてをぶっ壊し隊』のメンバーに間違いなく、追尾を即断。側にいた同スコードの男子に声を掛けて後を追った。
敵の隊員が車に乗り込んだので、やむを得ず目についた自転車を拝借し、ふたり乗りで夜の車道を激走。
やはり、あの自転車の持ち主から市警団に連絡があったのだろうか。
――さすがにそれはないか。姿見られてないの確認して、こっそり借りたし。
その後、追跡に気づいた敵が慌ただしく進路を変え、最終的に山間のアウトドアエリアへ突っ込んだ。
幸いにも、空室のバンガローに衝突する形で相手の車体が昇天し、市民を巻き込んだ死傷事故は免れた。
すぐに敵隊の男ふたりが転がるように車外へ脱出したのを、好機とばかりに追い詰めたのが敗因だったのかもしれない。
逃げられないと悟ったのか、攻撃に転じて毒銃を撃たれ、側にあった自動ジュース機の筐体に隠れて何とか応戦した。同行してくれた男子から「あれ、当たったら死ぬよね?」と訊かれ、考えずに「たぶんね」と頷いたのを憶えている。
深夜に近い時刻だったが、異常事態を感じたらしい利用客が姿を見せ始め、危機的な状況が沸騰した。
双方、残弾も気力も尽きかけている最中、どこかへ買い出しにでも行っていたのか、一台の乗用車が射程距離内に停まった。まさか市警団員とぶっ壊が撃ち合っているとは夢にも思っていなさそうな警戒心皆無のアウトドア市民。
止める間もなく、家族とともに中から降りてきた少女が敵隊のひとりに捕えられた。戦慄く両親。兄らしき人物も恐怖の面持ちで後ずさる。
「車を奪うつもりか」と男子の険しい声。
羽交い絞めにされた少女は大声で泣き喚き、男の腕から逃れようと激しく暴れる。
楜はハルバートを握り、息を詰めて救出のチャンスを待った。
ぶっ壊隊員は少女を拘束し、毒銃で周囲を威嚇しながら小声で何か遣り取りを始めた。逃走経路の相談だろう。市警団へは連絡済みだが、援護が間に合うかはわからない。
次の瞬間、少女の兄が駆け出し、手首を掴んで妹の身体を引き戻そうとし始めた。
敵の銃口が少年を捉える。
けれど、少女の兄が毒弾を浴びることはなかった。
隣から二度、乾いた銃声が上がり、それと同時に敵隊の男ふたりが地面に頽れた。
何かが爆発したように悲鳴が轟き、返り血を浴びた家族が足を縺れさせながらバンガローの中へ駆け戻っていった。
市警団の規則では、射程範囲内に市民の存在が確認できた場合、殺傷目的で発砲してはいけないことになっている。
「なぜ本当のことが言えないんだ」
「信じる信じないはお任せしますって言ったじゃん。2発減ってたのはワタシの銃。何がいけないの?」
「首を狙っただろう。正確に一弾ずつ。残念だがおまえには無理だ。白状しろ。撃ったのは誰だ」
楜は長く腰を下ろしていたソファから立ち上がった。
「タカにぃ、いくらワタシが無能な年下の警士だとしても、そんな態度はいけませんよ。おばさんに言いつけますよ」
「はぐらかすつもりか。これ以上、訳のわからない黙秘で攪乱するというのなら、おまえは目的を持たない人殺しと同じだ。昨夜、事件現場で起こった出来事を書面ですべて報告しろ」
楜は片方の頬を膨らませる。
「前にも言ったけど、文書くのすっごく苦手なの。報告書はタカにぃにお任せします。ワタシのルーレットで決まったの。後はよろしく!」
篁は口元を引き攣らせた。「問題ばかり起こすおまえをここに置いておく意味はない。そのことに今気づいた。今日か明日、自宅に強制送還だ」
あまりにも冷血で、取りつく島がない。
――大変、タカにぃは人の心を失っている……! 大学生のとき行ってた変なセミナーのせいね。ワタシがなんとかしないと。
彼を追って市警団に入った身としては、今更家へは戻れない。
「どうするんだ。こちらに協力するか、その態度を貫くつもりなのか。どうでもいいから早く決めろ!」
成り行きで巻き込んでしまった男子を庇っていることは内緒にするしかない。思い返せば彼の名前も訊き忘れていた。夜の闇を真正面から切り開いていくような自転車の運転が最高だったのでまた後ろに乗せてほしかったが、今回の件を気に病んでもう辞めてしまったかもしれない。
修業が足りないのか、市警団生活は刺激的だけれど上手くいかないことばかりで心が枯れそうだ。
「楜!」
「うるさい! もう何もかも全部いや! ドッカーンッ!!」楜は片目を瞑って満面の笑みを浮かべる。「爆発しちゃえっ。ワタシの魔法でねっ!」
(intermission end.)