三章/初めてのデック
学校は駅から歩いて一五分ほどの距離にあり、駅の近くにはカラオケ店やコーヒーショップ、ネットカフェなどが立ち並んでいる。
(へぇー、中はこんな感じなんだ)
捨て台詞を残して部屋を出てきたみくるは今、カードショップに来ていた。いつもとは違うカラオケ店に行ったとき、たまたま見かけたこの店を彼女は覚えていたのだ。
店の中にはショーケースがいくつも置かれ、さまざまなカードゲームのカードがぎっしりと隙間なく並べられている。
通常、カードは七枚入り三三○円のブースターパックか、もしくは五三枚入り一五七五円のトライアルデックという形で売られている。しかし店によってはカードの買い取りとばら売りをしているところもあった。この店の場合、ショーケースに並んでいるカードがそれだ。
小遣いを貰ったばかりだったみくるはパックを大人買いすることも考えた。が、デック作成に必要な五○枚さえあれば充分と考え直し、彼女は手に取った箱を棚に戻す。
(モンコレのショーケースは……)
入り口から一番遠い場所にそれはあった。
まだ今日使ったカードしかみくるは知らない。なのでどんなデックを作りたいという方針はこれといってなかった。しいて言うなら強いデックであり、そのために彼女が購入する基準としたのがまずイラストが綺麗なこと。次に高レベルであること。最後に値段が高いことだった。彼女も今年で一七歳だ。たとえ昇に「モンコレは高レベルユニットが一体いれば勝てるゲームではない」と言われても、これまでの人生で得た常識を簡単には捨てることができなかったのだ。
(まずはユニットからかな。同じ名前のカードは三枚しかデックに入れられないから――)
ざっと見渡したかぎり、一番高いカードは冥界の貴公子ベルゼブブだった。みくるはまず購入用紙の一番上の枠に「名前/ベルゼブブ 枚数/3」と書き込むと、その後は値段と直感を頼りに用紙の欄をどんどん埋めていく。カードの内容は家でじっくり覚えるつもりだったのでそのときはあまり気にしなかった。ただしブロックだけはしっかりと確認する。
(このタンゴの黒猫キャラットってカードもかわいいなぁ。……あ、でもこれブロックⅠだ)
ブロックはカードの左下に表記されているローマ数字だ、オープン以外のレギュレーションで戦う場合、デック内のブロックは統一する必要があった。ブロック2のデックにブロック1と書かれたカードは入れられないのだ。そして残念なことにベルゼブブのブロックは2だった。
(黒猫とベルゼブブだったら……ベルゼブブかなぁ。てか、もうユニットはいらないか)
購入用紙に書き込んだ数を確認すると、すでに一二個も書いていた。すべて三枚ずつ買えば三六枚になる。パッと見た感じスペル枠を持っているユニットが多かったので、みくるは残り一四枚をスペルカードで埋めることにする。
ユニットカードと違い、スペルカードには英雄のようなキラキラと光る加工をされたカードが存在しない。そこでみくるはスペルカードに関しては完全に値段だけを基準にして、高いものから順に五種類を書き込んだ。
(弱いカードが高くなるわけないし、これで大丈夫でしょ)
最後に手持ちのお金で足りるか計算し、みくるは購入用紙を店員に手渡す。受け取った店員は一瞬とても驚いた様子だったが、すぐに「少々お待ちください」と言ってショーケースの鍵を取り出した。
(一騎当千の戦士たちが、これで手に入る――)
新しいリップを買うときのような――それでいて少し違う。上手く説明できないけど、なんだがワクワクする。購入用紙を片手にカードを用意する店員を眺めていると、そんな不思議な高揚感がみくるを包んでいった。
(これさえあれば、たぶん――いや、絶対に勝てる)
昇がデックにいくらお金をかけているかは知らないが、この諭吉四枚をコストとして払ったデックより高いことはないだろう。だとすれば、勝つのは自分だ。某高校生社長のように笑い出したくなるのを必死に我慢しつつ、彼女はこのとき、そんなことを考えていた。
翌日。放課後――待ちに待った決戦の時間。
教室を出て部室とは逆へと向かうみくるに昇が言う。
「今日も来るんじゃなかったのか」
「先に行ってて。心配しなくても、すぐに叩き潰しに行ってあげるから」
できることなら今すぐにでも戦いたい。が、恐らく今日は下校時刻まで部室にいる事になるだろう。ならばせめて髪をとかし、リップを塗るくらいはしておきたかった。
昇と別れて一五分後。みくるが部室の扉を開けると、二人は昨日と同じく机にカードを並べ、向かい合っていた。ただし、今日は青葉が負けたようだ。脱力しきった彼女の表情を見れば、聞かずともそれが分かった。
視線は手帳に向けたまま、昇が言う。
「やっと来たか」
「おまたせ。今日は勝ったみたいじゃん」
「山札切れ判定勝ちだが、なんとかな」
双方のプレイヤーの山札が切れると、先に切れたプレイヤーに最後の一ターンが与えられ、ゲームは終了する。そして最後のターンを使っても本陣を落とせなかった場合、勝敗は判定によって決められる。判定は戦場を半分に、再び電話のボタンで説明すれば5と8の間で区切り、敵軍領土に攻め込んでいるユニットの数を比べ、多いほうが勝者となる。同数なら引き分けだ。
みくるが最終的な状況を確認していると、青葉は片手で胸を押さえながら彼女の腕を掴み、もうすぐ死にそうな兵士風に言ってきた。
「ああ……みくるん。どうか、どうかこのデックでわたしの仇を取ってくれ。……ガックシ」
最後の擬音と同時に青葉は机に崩れ落ちる。
「仇を取るのは任せて。ただ、今日はこれを使わせてもらうけど」
部室に入る前から右手に隠し持っていたデックをみくるはドンと机に置いた。
「え、なになに、もしかしてみくるんデック作ってきたの?」
「まあね。じゃ、さっそく勝負と行きますか。それとも、少し休憩する? 連戦して疲れてたなんて言い訳されたくないし、私はかまわないけど」
「いや、必要ない。すぐやろう」
みくるの挑発に嫌味を返すことなく、昇は机に広がったカードをてきぱきと回収していく。どうやら本当にすぐやりたいようだ。
挑発をスルーされたのはちょっと寂しかったが、一刻も早く戦いを始めることに異論はない。みくるは今一度カードをシャッフルすると、手早く準備を済ませ、ダイスを振る。昨日カードと一緒に買った真っ赤なマイダイスは6を出し、彼女の先攻でゲームは始まる。
みくるの一ターン目。彼女はまず火吹山の乙女ペレ、金冠の悪魔ゴモリー、嵐の魔神パズスの三体を召喚。すべてが英雄点1の英雄であり、コストとして眠りの死神サマエル、髑髏蜘蛛ザルヴァーザ、そして購入したカードの中で一番高かったベルゼブブが捨て山へと送られる。
昇の一ターン目。彼はターンが回ってきてもすぐには動かず、しばらく公開されたカードを眺めていた。その後、彼はクローヴィスの騎兵と百戦王クローヴィスを召喚してターンを終了する。
きっと高額なカードがいくつも召喚されたことに驚き、絶望したのだ。そう考えたみくるは次のターン、昇の闘争心にとどめを刺すつもりで珊瑚の女王アエリアと瑠璃の乙姫を召喚する。
「アエリアと乙姫か。まったく、なにやってるんだお前は……」
「もう投了したくなった?」
「馬鹿なことを言うな。どうして俺がそんなデック以下の紙束に投了しなきゃならない」
「そういうことは勝ってから言ったほうがいいと思うけど」
「いいだろう。さっさと終わらせてたっぷり説教してやるから覚悟しておけよ」
「説教って……私のデックに本気で勝てると思ってるの?」
「当たり前だ。絶対に勝つ」
昇は本気の目でにらみつけてくる。どうやら知らぬ間に彼の逆鱗に触れてしまったらしい。みくるはそんな彼が少し怖いと思う。が、だからといってわざと負けるつもりはない。
(勝つのは私だ)
おそらくこのまま自分が圧勝してしまうだろう。昇がなにを言ったところでみくるの自信は揺らがなかった。
しかし数ターン後、彼女はその自信が単なる思い上がりだったと知ることになる。
七月一一日、午後三時四六分。部室には絶対に勝つつもりでいたデックで敗北し、軽くプライドが崩壊しかけたみくるの姿があった。
「……ねえ。私、どうして負けちゃったのかな?」
油断はあったかもしれない。が、それによりプレイングで致命的なミスをした覚えはない。ダイス運も悪くなかった。なによりユニットの力は圧倒的にこちらが勝っていた。
なのに負けた。それがどうしてもみくるは理解できなかった。
「お前はモンコレを舐めすぎなんだ。そのデック、どうせショップで高いカードを買い漁って詰め込めば勝てると思って作ったんだろ」
「……うん」
まったくもって昇の言う通りだった。舐めているつもりはなかったが、敗北した今はそれも認めるしかない。
「ふざけるな。いいか、カードってのは食材なんだ。いくら高級食材をかき集めたところで、なにも考えず鍋にぶち込んでいけばどうなるか、想像できるだろ。そもそも旨い料理を作るのに必ずしも高級食材は必要ないし、今回みたいに対戦する相手とデックが分かってるなら俺にだけ勝てるデックを作ればよかったんだ。なのに、どうしてそんなバランスとシナジーを無視したデックを作るんだ。頼むから頭を使ってくれ。運が多少絡んできたところで、モンコレは将棋やチェスなんかと同じ『ゲーム』なんだ」
「なるほど……」
確かに世界一甘いチョコレートを松坂牛ステーキにのせたいとは思わない。一杯三九○円のラーメンにはラーメンの旨さと良さがある。昇がカードを食材に例えてくれたことでみくるもレアカード=強いという思い込みをやっと捨てることができた。
「高いカードを集めるだけじゃ強くないってのは分かったんだけど、室岡くんが言うバランスとかシナジーって、なに」
もちろんみくるも小学生ではないので単語の意味くらい知っている。ただ、一口にバランスやシナジーと言っても意味は色々とある。どういう意味で彼が使っているのかは詳しく聞いてみないことには分からない。
「バランスはバランスだ。レベル6のユニットを大量に入れてるのにサポートするレベル2のユニットが数体しか入ってなかったり、強力な戦闘スペルを大量に入れてもスペル枠を持つユニットが同じく数体しか入ってなかったらバランスが悪いだろ。シナジーってのは、簡単な例をあげればベルゼとパズスみたいな組み合わせのことだ」
昇はみくるの捨て山からベルゼブブとパズス、他にも何枚かのカードを抜き出し、彼女の前に並べた。
「ベルゼは種族デーモンのカードを捨てることで防御力が上がり、パズスは手札を一枚捨てることで電撃1Dダメージをユニット一体に与えられ、代償として捨てたカードが種族デーモンならダメージが+3される。そしてベルゼとパズスは二体とも種族デーモン――つまりは助け合い高め合う関係にあるってことだ。同じようなことは種族マーマンを対象とした特殊能力を持つアエリアと乙姫にも言える。しかしアエリアとベルゼにはスペル枠を持っているという共通点しかない。だったら同じ2レベルでも、種族インセクトのティンカーベルを入れたほうがいい。なぜならベルゼのエサに使えるからな。そうだろ?」
一度理解してしまえば、それはとても簡単なことだった。昇の言うとおり、エサにできないアエリアよりエサにできるティンカーベルのほうが間違いなくいいに決まっている。この程度のことになぜ自分は気付けなかったのか。みくるは自分の頭の悪さが嫌になる。
「どうしてこんなデック作っちゃったんだろう……」
「ようやく自分が愚かなことをしたと気付けたか」
「……うん」
「なら行くぞ。カードを片付けろ」
そう言うと昇はみくるの返事も待たずに自分のデックをケースにしまい、部屋から出る準備を進めていく。
「行くって、どこに?」
その質問には青葉が答える。
「みくるんは今日、昨日は知らなかったモンコレの真理を一つ知ったんだぜ? つまり今なら昨日より強いデックが作れるはずじゃん。なら、作ってみない理由はないっしょ」
カードゲームを遊ぶためにはデックが必要だ。だがそれ以上に必要なのが対戦相手、そして対戦するスペースである。なので大抵のカードショップには店で買ったカードで遊んでもらうためのデュエルスペースと呼ばれる場所が存在する。
二○人は座れるデュエルスペースでは今、三組が対戦していた。学校を出てカードショップへと来た三人は狭い通路を通り、まずはデュエルスペースへと移動する。
「ここって、なにか店の商品を買わないと座っちゃいけないんじゃないの?」
みくるは壁に貼られた注意書きを視線で示す。そこには「当店で三○○円以上のお買い物をされたお客様のみ利用できます」と書かれていた。三○○円以上の部分はあとから追加されたようだ。一個一○円のダイスを買って居座る客でもいたのだろうか。
「今からたっぷり買ってくるから大丈夫だ。それより……堀井は俺を信じられるか?」
どうやら昇にはときどき相手が分かっていると決め付けて中間をかっ飛ばす癖があるらしい。
普通は突然こんなことを聞かれても不審に思うだけだ。しかし惚れた弱みというやつだろう。詳しいことはなにも聞かず、みくるは「うん」とだけ答える。
「なら、俺にデックを貸して、しばらく青葉とここで待っててくれ」
「おっけー」
みくるはカバンの中からデックを取り出す。そして昇の手にデックが触れる直前――彼女はピタリと手を止める。
「やっぱり、条件出していい?」
「……なんだ」
昇を信じる気持ちに嘘はない。が、これは距離を縮めるチャンスだ。タダで信じてしまうのはもったいない。みくるはそう思ったのだ。
「これからは私のこと、堀井やお前じゃなくてみくるって呼んでくれるなら信じてもいいよ」
彼女にして欲しいではまた断られるだろう。このあたりで妥協しておくのが無難だと彼女は判断する。
しかしそんな彼女の予想に反し、昇は黙り込んでしまう。彼にとってはこの程度のことでもだいぶハードルが高かったらしい。
「桜井さんのことだって青葉って呼んでるんだし、別に難しく考えなくてもいいじゃん。私も昇って呼ぶようにするし」
「……そうだな。分かった」
「うん。じゃ、これ」
一度この場で呼ばせてみようかとも思ったが、いじめ過ぎて昇の気持ちが変わってしまっても困る。なのでみくるはもったいぶらずにデックを渡すことにする。お楽しみはあとに取っておくのも悪くない。
デックを受け取ると昇はすぐにデュエルスペースから出て行き、見えなくなる。みくるたちが座った位置からでは店内がほとんど見えず、彼がなにをしているのかは分からなかった。
「あの……みくるんってさ」
昇がいなくなってすぐ、青葉は話しかけてきた。
「ん?」
「なんていうか……その……」
(ああ……そういうとこか)
わずかに頬を赤く染めてチラチラと視線を外す青葉を見ていれば、みくるはなにが聞きたいのかなんとなく分かった。ここ二日で感じた印象とはだいぶ違ったが、彼女のようになんでもサラッといいそうなタイプほど案外恋バナには弱いものだ。意外に思う部分があったとすれば、それは彼女の今まで見えていた性格が計算されたものではなかったことだった。
「もしかしてみくるん、昇くんのこと……好き……だったりする?」
予想通りの質問。よほどの鈍感でもないかぎり、先ほどのやり取りを見ていればやはりそう考えるのが普通だろう。
「好きだよ」
「……へぇー、そうなんだ。……私が知らないだけで、実はもう付き合ってたりするの?」
「それはまだ。告白はしたけど、本気じゃないだろって振られちゃった」
振られたと話すと、青葉は明らかにホッとしていた。
「桜井さんも、昇のことが好きなの?」
これまでの反応を見れば聞くまでもないことだったが、それでもみくるは一応確認しておく。
「あー……うん。好き、かな」
「桜井さんは、告白はしたの?」
青葉は首を横に振る。
「なんか、そういう話をするのって恥ずかしくって。二人でいるときはモンコレばっかりで、アピールらしいアピールはなんにもできてないから、たぶん昇くんは知らないと思う。てか、昇くんは私のことなんてただの幼馴染としか思ってなくて、異性としては見てないんじゃないかな」
そんなことありえるのだろうか。たとえ幼馴染でも年頃の男女なら少しは意識するのが普通だとみくるは思う。彼女には幼馴染がいなかったので二人の感覚がよく分からなかった。
(いや――彼も意識はしてるんだ)
みくるは朝の教室で昇とした会話を思い出す。あのとき、青葉と付き合っているのか聞いた自分に、彼はそれほど間を置かず彼女にしたいとは思わないと答えていた。つまり以前に想像したことがあったため、すぐに答えることができたのではないか。モンコレとは違ってこっちは彼女のホームだ。これくらいの思考ならサッと浮かんできてくれる。
「ただ、わたしはたとえ昇くんが異性として見てくれなくても、ずっと好きなままだと思う。だから、その、みくるんがモンコレしてくれるのはすごく嬉しいんだけど。できれば昇くんのことは……」
その言葉の続きはいくら待っても出てこなかった。が、ここまで言われればみくるも充分だ。あえてさっきのように確認はしない。
モンコレを続けるか昇に聞かれたときと同じく、みくるの答えはすでに決まっていた。今回も考えるところはやはりどう伝えるかだった。彼女がそれを考えていると――
「またせたな」
昇が手に店のロゴが入ったビニール袋を持って帰ってくる。
「おかえり。なに買ってきたの?」
「ブロック2のブースター三種類を一○パックずつ買ってきた」
言いながら、昇はみくるの正面、青葉の隣へと座る。
「スターターはまだ買ってない。戦天使と魔女、どっちを買うかはとりあえずパックを剥いてから考えよう。まあ金銭的には余裕だから両方買うのもいいが。あと、これはおつりだ」
「おつりって、どういうこと?」
「このパックは……みくるのデックを売った金で買ってきたんだ。だからこれは全部みくるのだし、おつりがある」
初めてみくると呼んで恥ずかしかったのかもしれない。もしくはなにも説明せずにデックを売って怒られるとでも思ったのだろうか。視線を外し、とても言いにくそうに昇は話す。
「そっか。おっけー」
「……怒らないのか?」
「別にそこまであのデックに愛着があったわけでもないし。あとはまあ、お金持ちの余裕ってやつ? そもそもお金を払えば簡単に手に入るものに愛着なんてわかないでしょ」
それにこのパックは昇が自分のことを考えて買ってきてくれたのだ。嬉しくないわけがない。説明すれば拒否されると考えて勝手に売ったことは褒められたことではないが、自分の呼び方は忘れずにみくるになっている。それだけでも彼女にとってはデックを売り払うくらいに価値のあることだった。
「問題ないなら、まずはパックを買ってきた理由から説明していいか」
「どうぞ」
「シングルで買えばレアカードも簡単に揃えられる。が、やみくもに揃えたところで強くないのはさっき戦って分かったろ。デックを作るのに大量のレアカードは必要ない。まあ、中にはセレネコアトルみたいなデックもあるが、そういうのは上級者向けなんだ」
「レアカードが多いとなんで上級者向けになるの?」
「たとえばベルゼが特殊能力を使うには代償で種族インセクトかデーモンのカードが必要だろ。だがレアリティ的にはベルゼの三つ下のシャドウ・ストーカーなんかは特殊能力を使うために追加の代償を必要としない。だからシャドウ・ストーカーの場合、ほとんどの局面では惜しみなく特殊能力を使うのが正解だ。しかしベルゼを使う場合、『大局的な見地から今回はあえて特殊能力は使わず手札を温存する』という選択が正解の局面だって少なからず存在する。レアカードは高級食材であり、同時に一瞬で一○○キロまで加速できるモンスターマシンなんだ。初心者が簡単に乗りこなせるもんじゃないんだよ」
免許を取ったばかりの初心者がそんなものに乗ればクラッシュするのは容易に想像できる。驚異的なセンスの持ち主なら最初からうまくいくかもしれないが、みくるは自分のことを天才だとは思っていない。
「レアカードはモンスターマシンか……。おっけー。続けて」
考えればすぐ分かるような失敗はもうしたくなかった。みくるは昇の言葉をしっかりと頭に刻み込み、先を促す。
「そもそも初心者が最初から三○○枚前後あるカードプールをフルに使ってデックを考えるのが間違ってるんだ。昔ならスターターで、今ならトライアルデックか。とりあえずそれとブースターパックを何個か買って、最初は自分が今持っているカードだけでデックを作ったほうがいい。そして何回か戦ってみて、もし負けが続くようならどうデックを改良すれば勝てるようになるのかを考えるんだ。で、どうしても良い案が思いつかなかったり、強くするには特定のカードが欲しいと思ったら、そこで初めてパックを買い足すかシングルでカードを買い揃えればいい。まあ、今回はしばらく買い足さなくても大丈夫だろ。トライアルを基本に改良するならこれで充分だ」
そう言うと、昇はテーブルに置いたビニール袋の持ち手部分を指で弾く。
「本当はもうすぐ発売するブロック3から始めるのがいいんだけどな。初心者のくせに誰にも頼らず一人でデックを作ろうとするせっかちに、待てと言っても無駄だろ?」
「よくお分かりで」
「なら、説明はこれくらいにしてそろそろパックを剥き始めるか。どうする? 全部一人で開封するのが面倒なら手伝うぞ」
みくるは少しだけ考える。三○パックを一人で開封するのは大変だが――
「やっぱり開けるのは一人でするよ。一応、プレゼントだし」
「自分の金で買われたものをプレゼントとはあまり言わない気がするが……」
「私がプレゼントだと思えればそれでいいんじゃん。さてと、まずはどれから開けようかな」
ビニールを逆さにしてパックをテーブルにすべて出すと、みくるは最初にベルゼブブの描かれたパックに手を伸ばす。
未開封のパックを眺め、みくるはふと思う。このパックの中には運命の出会いが待っているのだろうか。
(なんだかプレゼントのリボンをほどくっていうよりは、学年が変わってクラス替えした直後の教室に入る気分かな)
みくるは一度静かに深呼吸すると、パックを縦に裂いた。
パックを開けて最初に見えたのは小鬼砦という地形カードで、みくるにとっては初めて見るカードだった。できればじっくりと効果を確認しておきたいところだが、彼女にとってはほとんどが初めて見るカードだろう。それらすべてを一枚一枚確認していたら日が暮れてしまう。詳しい効果は家で確認するとして、この場ではサッと眺めるだけにした。
そして――
「聖痕の女神ヘルヴォル……」
カードのレアリティは下から基本、頻繁、並、稀、極稀と五段階ある。基本的に一パックに二枚だけ稀のカードが封入されており、たまに極稀のカードが稀の代わりに一枚入っている。みくるが最初のパックで当てた聖痕の女神ヘルヴォルは極稀のカードだった。
「いきなり大物が出たな。しかもヴィジュアルフレームバージョンか」
ヴィジュアルフレームとは通常のカードよりもイラストが大きく描かれているバージョンだ。みくるの眺めているカードには金色に輝く鎧と毛皮のマントを装備した黒髪のワルキュリアが描かれていた。彼女はその美しい戦乙女にしばし見とれてしまう。
「ずいぶん気に入ったみたいだな」
「うん。だって見てよ、これ。大きくて母性的な胸に凛々しくもかわいい眼差しとか、まるで私を表現したかのようなカードじゃん」
「……たしかに成金みたいな格好をしているところを考えれば、センスは似てるかもな。つか、ここは噴き出しておくところか?」
苦笑いを浮かべ、昇がつぶやく。
「なにそれ」
「気にするな。昔からモンコレをやってて神秘のセプターを知ってる人間にしか伝わらん話だ。それより、まだパックは沢山あるんだ。どんどん剥いてってくれ」
みくるはカードをテーブルに置くと、まずはベルゼブブが描かれたパック――サーガランドの貴公子をすべて開封する。その結果、ヘルヴォルと同じレアリティのサマエルやジルベールといった貴重なレアカードが手に入った。昇や青葉の反応を見るに、いいカードだというのが分かる。が、最初にヘルヴォルを引き当てた衝撃が強かったのだろう。新鮮なカードを眺めるのは楽しかったものの、残念ながらヘルヴォルに出会ったときほどの運命は感じることができなかった。
サーガランドをすべて開封し終えると、みくるは次に金髪の少女の背後に火の鳥が描かれたパック――ヴァローカの精霊祭へと手を伸ばす。
ふと、昇が言った。
「ヴァローカからは、できればサンドとウィークは手に入れたいところだな」
「サンドってサンド・カーテンのこと? あれって別にレアカードじゃないじゃん」
「レアカードじゃないが、土のスペル枠一個でどんな高ダメージでも属性がついていれば耐性で耐えることができる。マルチスペル枠がそれなりにあるデックだったら入れといて損はない、まあ味の素みたいな便利カードだな」
「じゃあウィークは?」
「ウィーク・ポイントはサンド・カーテンとは逆に弱点を与えるカードだ。自分で選んだ属性のダメージを+20することができる。1Dダメージで1を出しても、属性つきのダメージならたちまち21点だ。ただし耐性と弱点では耐性が勝つけどな。サーガランドでレア運を使い果たした感があるからサンドは引けないかもしれないが、ウィークくらいは出るだろ」
昇の予想した通りウィーク・ポイントは最初と二つ目に空けたパックで二枚手に入り、逆に心躍るレアカードとはなかなか出会うことができなかった。最後の最後でパラレルバージョンのスパーク・ワイアームという極稀のレアカードを引くことができたが、やはりヘルヴォルの衝撃には敵わない。
ヴァローカも開封し終えたみくるはカードを昇に手渡す。パックを開封するのと平行して、彼はカードを種類別に分類してくれていた。その姿を眺め、ふと彼女は思う。
(やっぱり、いいな……)
それは些細なことかもしれない。しかし恋する乙女のみくるにとっては、その小さな優しさがとても大きく感じられた。
最後に残ったパック、紺碧海の女王を開封しながらみくるは聞いてみる。
「ねえ」
昇は視線を分類したカードに向けたまま、答える。
「なんだ」
「そろそろ、私の言葉が本気だったって信じてくれてもいいんじゃない?」
「……なんの話だか分からんな」
いや、分かっているはずだ。少し言葉が足りなかったかもしれないが、だからといって本気という言葉を大切にしている昇が気付かないわけがない。
「ここで話すのが恥ずかしいなら日をあらためるけど。ただ、さっき桜井さんとは話したから、私が昇のこと好きなのはもう知ってるよ」
昇はちらりと青葉を見る。視線を向けられた彼女はすぐさまそっぽを向くと、口を尖らせてフーフーと息を吐く。慌てすぎて口笛が吹けていない。
彼は次にみくるに視線を向け、言う。
「別にお前が――」
「みくる」
「……みくるが恥ずかしくないなら話してもいい。が、こうして少しはお互いのことを知ったあとでもまだ好きだと言えるのか? そもそも俺のどこがいいんだよ。自分で言うのもなんだが俺なんかモンコレしかできないモンコレ馬鹿だぞ」
「好きって気持ちはむしろ今のほうが強いけど。いいと思うところは前にも言ったし。それにモンコレしかできないモンコレ馬鹿ってわけでもないじゃん。今だってカード分類してくれて優しいところあるし」
「こんなんで優しいとか好きとか小学生かよ。普通よりはかわいいんだから、この程度のことくらい毎日誰かにしてもらってるだろ」
「いや、私そこまで別次元で生きてないし。てか、そう考えるほどには私のことかわいいって思ってくれてるんだ」
みくるの追求に昇は顔をそらす。が、すぐにごまかしきれないと悟ったのか、彼は認める。
「ああ。かわいいとは思ってる。それは認めよう」
「やった」
かわいいと言われるのは何度でも嬉しい。それが好きな相手ならなおさらだ。
しかし喜ぶみくるに昇はすぐさま対抗する。
「だからってあの告白が本気だったと認めるわけじゃないからな。だいたい認めるには時間が短すぎるだろ。まあ、三ヵ月後も一緒にモンコレやってれば、そのときは嫌でも本気だと認めるさ。けど今は無理だ。みくるだって本気でダイエットしようとして一週間も続かなかった経験、一度くらいあるだろ?」
「……ない。まず私にダイエットとか必要ないから」
「本気でそう思うなら即答しろ。そして目を見て話せ」
ダイエットがそれほど必要ないと考えているのは本当だ。ただ、昇の言う通り、ダイエットを途中で挫折した経験は一度や二度ではない。これを例に出されては、みくるも嘘をつくしかなかった。
「……三ヵ月後なら、本当に信じてくれるの?」
「もちろんだ。だから今日のところはこれくらいでいいだろ。今はとりあえず残ってるパックを剥いてくれ」
これでいいとは思わなかった。三ヵ月後には信じてもらえると約束されても、自分の気持ちを確認した青葉がなにもせずに待ってくれるわけがない。そして継続という部分で彼女は圧倒的なアドバンテージを持っている。同じ土俵で戦っては勝ち目はない。
かといってなにか昇を納得させるアイデアが思いつくこともないまま、みくるは開封作業を終えてしまう。
パックのゴミをビニールに詰め込みつつ、昇が言う。
「今回手に入ったカードでトライアルを調整するなら、間違いなく魔女だろうな」
「え、戦天使じゃないの?」
てっきり最初に出たヘルヴォルは必ず使うものだと思っていたのでみくるは少し驚いた。
「サマエル、ジルベール、スパークワイアーム、ジン、ソムナ・キマイラ、アイス・ライム、フリーズ・ブリーズ、エア・バースト。他にも何枚かあるが、全部魔女デックに入れたいやつばっかりだぞ。戦天使に使いたいカードも引いてはいるが、魔女と比べたら少ないな」
「でも、ヘルヴォルを使うなら戦天使でしょ」
「そうだが……まあ、いいか。気に入ったカードを使ってどうやって勝つか考えるのもゲームの楽しみの一つだしな。じゃ、買ってくるからまた少し待っててくれ」
立ち上がる昇をみくるはなんとなく目で追った。そしてふと、彼の後ろの柱に予定表のようなものがが張られていることに彼女は気がついた。サッと読んでみるとそれは確かに予定表で、店で非公式に開かれるさまざまなカードゲームの大会の日程が書かれていた。モンコレの四文字もしっかりと書かれている。
瞬間、みくるは閃いた。
「待って」
「どうした?」
「そこに書いてある第三金曜日のモンコレの大会、昇は出るんでしょ?」
昇は振り返り、予定表を確認する。
「この二十日の大会か。……よく見りゃこの日だけいつもより開始が一時間も早いじゃねーか。この時間だと間に合わないな」
「昇にモンコレより大切な用事なんてあるの」
「……俺のこと、やっぱりモンコレ馬鹿だと思ってるだろ。金曜日は保育園に妹を迎えにいく必要があるんだよ」
「いいじゃんモンコレ馬鹿でも。それより、いつもの時間だと間に合うなら、急げば決勝戦を見に来ることくらいでくるよね」
「ここはいつもスイスドロー形式でやるから、六人集まれば三回戦するし、優勝が決まる戦いを見るのは可能だが。それがどうした?」
スイスドロー形式というのがどういうものかみくるは知らなかったが、それは一旦保留する。今は急げば決勝戦を見に来れるということだけ分かれば充分だ。
「なら大会には出なくていいから決勝戦だけ見に来てよ。そして私が昇の目の前で優勝したら、そのときは本気だって信じて」
非公式とはいえ、大会に出ようと考える人と戦って自分が簡単に勝てるとは思えない。ましてや優勝を目指すなど、無謀にもほどがある。だが優勝して本気を証明しようと考えているのに容易く達成できるようでは意味がない。
「初めて参加する大会でいきなり優勝できると思うのか?」
「普通に考えたら厳しいんじゃないかな。でもまあ、明日から口は悪いけど根は優しいコーチと戦い続ければ、絶対に無理だとは思わないけど」
みくるの答えを聞くと、昇はしばらく沈黙する。
「……いいだろう。ただし、その大会に青葉は参加させないぞ」
このタイミングで自分の名前が出てくるとは思っていなかったのだろう。青葉は口を半開きにして昇を見る。
「え、な、なんでわたしは大会に出ちゃダメなの?」
「そんなの、みくると対戦することになったら青葉がわざと負ける可能性があるからだろ」
(うわぁ……)
この答えにはみくるも思わず同情してしまう。どうやら昇は青葉を異性として意識することはあっても自分が好かれているとは一ミリも思っていなかったようだ。
「あー……そういうことか。じゃ、わたしは参加しないね。ま、そんな心配しなくてもわたしは絶対に手加減とかしなけどなぁ」
青葉もこんな幕切れはごめんだったのだろう。彼女は声に怒気を含ませることで自分の心を示した。一瞬眉をひそめた昇もすぐに自分がとんでもない過ちを犯してしまったことに気付き、助けを求めるような視線をみくるに向けてくる。
「手加減はしないって言ってるんだから、参加させてあげればいいじゃん」
「そう、だな。手加減しないというなら、ぜひ青葉も大会に参加してくれ」
「わたしが出ていいの? もしみくるんと戦うことになったら、ボコボコにしちゃうよ?」
青葉は機嫌の悪そうな目つきで昇を睨む。
ここまできてやっぱりダメとも言えるわけもなく、大会はみくると青葉の二人が出ることになる。そして昇はたとえ四人しか集まらず二回戦しか行われなくても絶対に最終戦は見に来ることを約束させられた。
話がまとまると昇は最初の予定通り戦天使のトライアルデックを買ってくる。みくるは二人の意見を聞きつつその場で簡単にデックを構築した。
店を出て、駅までの帰り道。みくるは少し前を歩く青葉にだけ聞こえるように言った。
「ごめんね」
自分が昇と恋人になっても、彼が青葉とモンコレで遊ぶことを禁止するつもりはない。が、だからといってすべてが以前と同じままとはいかないだろう。だからみくるは先に謝っておくことにする。
「別に謝らなくてもいいよ。燃え上がる恋心なんて、簡単に理性で押さえ込めるもんじゃないじゃん。昇くんは昔『そんなことはない』って言ってたけど、わたしはちゃんと分かってるし。それに――」
青葉は振り返り、ニヤリと笑う。
「モンコレで戦ってくれるなら、わたしは負けないから」