沓を磨く男
山を正面から見る景観と、背面から見る景観が違うように、見る人物が変われば、その人の姿は変わるものなのかもしれません。
少女が初めて出会う異性は父親である。
想い描くモデルとしての父親像が現実の父親とはあまりにも掛け離れている場合、少女は生涯、真の父親を捜し求める旅を続けなければならない。
その点で私は幸せな子供であったのだと思う。
沓沢墨男、父は私の理想とする男性なのだ。
四歳の私を父はまず、空手の道場に通わせたのだ。身体の弱い私を心配した母は強く反対したようだったが、父は頑としてその意志を曲げなかった。
そして空手を習い始めて以来、私は風邪も滅多には引かなくなり、それまで休みがちだった学校も、休まなくなった。
父は私から凡ての災いを追い払ってくれていたのだと、今思い返される。
父は休みになると、決まって玄関の上り框に腰をおろし、勤め人として愛用している革靴を丁寧に磨いている姿が、想いで深い父の映像である。
靴を磨く父の背中に飛び掛って行っても、父は決して怒らなかった。
むしろそんな私を負ぶったまま、俯いた姿勢で立ち上がり、器用に玄関の扉の取っ手を開けて外に出ると、家の裏に回って行き、小さな庭までたどり着くと芝の上に私を丁寧に降ろした。足の裏に伝わる優しい刺激を楽しませてくれた。
私がよろこび跳ね回っている間も、父は微笑みながら見守っていた。
だがそんな父も私に一つだけ不幸を与えた。
あまりにも父は私にとって眩し過ぎたのだ。身体はすっかり大人になっても、暫くは世間の男と言う物を意識した事は無かった。
所謂それがファザコンと言う物なのかどうかは、私自身も分からない。
私の無関心は高校に入っても変わる事が無く、興味の無い物へのコミニュケーションは思春期に至っても、淡白に過ごしてしまっていた。
向こうから交際を申し込んで来たのが切っ掛けで、初めて異性の存在を意識し始めた程だったのだ。
しかし、その時期の男子と言えば、鼻から目的は一つだ。目の奥を見れば相手の本気さ具合は分かる。つまりはその時期に誰でもいいから彼女が欲しいのだ。そして、誰よりも早くに大人になる儀式を済ませたいらしい。
小さい頃から空手一筋であった私は、お洒落という物にも気を配ってはいなかった。
なので相手からの色々な要求にも、次第に煩わしさが積もり始め、我慢の限界に達した時に相手の顎と肋骨にヒビを入れて、交際期間は終わってしまった。
普通に考えれば、私は傷害罪として然るべき処分を受ける筈なのだろうが、相手の親は県会議員の血縁であるらしく、寧ろ息子の失態が世間に知れてしまう事を恐れて、私に示談金さえ差し出す狼狽ぶりであった。
その時ばかりは私の父も、容易に笑顔で迎えてはくれなかった。
病院で父と相手の親との遣り取りがあったようで、こちらとしても有段者として軽率であり、互いに汚点が残る事は避けるべきとして、内々に済ませたのだった。
私は病室に呼ばれ、彼と、彼の親と、父の目の前で、今後二人は逢わないように、と言い渡されたのだったが、私の方としては、寧ろ嬉しい結果になった。
この場を以って以後一切を口外しない事を約束し合い、解散した。
凡てを許される私も、さすがに父に叱られるものだと覚悟したが、父は強く叱責したり、彼との仲を根掘り葉掘り訊こうともしなかった。
帰路に就くタクシーの中で、私は居た堪れない気持ちで、何も話せずにいた。
口を開く切っ掛けを作ってくれたのは、やはり父の優しさだったのだろう。
「お父さんはよく沓を磨いているのをお前も知っているよな」
「うん……、知ってるよ」
「それはな、大切な商売道具だからだ。分かるか? 人は足元を見ればどんな人間かは直ぐに分かる。だからいつでもお客さんの前に出た時に恥ずかしくないように、お父さんは沓を磨いているんだよ。でも単に磨いて綺麗にしているんじゃない。気持ちが篭るだろ、道具を大切にすれば、気も引き締まる。野球選手だってバットやグローブは大切な商売道具だ、日頃から手入れを怠らないものだ。だからお前の大切な道具はなんだと思う? それはお前の拳であったり、足だったりするんじゃないのか? 野球選手はバットで人を殴ったりしない。お前も自分の商売道具を大切にしなきゃ駄目だぞ……、いいな」
父は話し終えると同時に、私にある物をくれた。
御守りだった。それは私が今回の件で行けなかった道場恒例の合宿場所、禅寺の御守りを頼んで買って来て貰っていたらしく、また明日からも練習に励みなさいと言って、私の頭を撫でてくれた。
私は高校を卒業した後、大学に進み空手をするなら推薦状を書いてやると学校から言われていたのだが、福祉の専門学校に進むと決めていた。
それには介護福祉施設への設備や機器を販売する会社に勤めていた父が、よく話してくれていた、営業先でのお客さんとの遣り取りの中で、感謝の言葉を受けたり、自身の勉強にはお客さんとの対話が何よりも教科書だ、と言っていた言葉に影響されていたような気がする。
専門学校に入った私は、高校時代空手で痛めた身体を診てもらっていた関係から、理学療法士の仕事には深い理解があったのだが、もっと人の心を支えるような仕事がしたいと思いはじめ、介護やリハビリ、生活の支援をする作業療法士に進む道を選んだ。
父は私の選択を喜んでいたが、母はより高い学歴を望まない私に、人生の行く先を見据えれば大学に進むのが当然だと主張していた。
私は専門学校を卒業すると、都内の児童福祉施設に就職する事が出来た。
だが自分の想い描いた仕事内容とは程遠く、我慢を重ねるような日々が続いた。
精神鍛錬を空手で学び、自分には人一倍厳しく、直ぐに弱音を吐くような人間ではないと自負していたにも関わらず、何処かで勝手な妄想を抱いていた自分を思い知らされた。
発育障害を抱える子や、肢体の不自由な子供達の面倒を社会貢献などという甘い感傷のようなもので見ていてはこの仕事は勤まらない。
時には子供を突き倒したくなるような気持ちにまで追い込まれてしまう自分がいた。
実家から出ていた私は無闇に家へ泣き言の電話をしないようにしていたが、そんな私の弱まった心を察しているのか、決まって父の方から電話を掛けて来てくれた。
「どうしてるんだ最近は? 何も言って来ないが、仕事は忙しいのか?」
「ううん……別に忙しくは無いよ」
「この前だってお母さんが、正月はお前が帰ってくると思って、餅やらおせち料理も揃えて置いたのに、何も連絡もしないで、お父さんだって心配なんだぞ」
「なんだか疲れが溜まっちゃってさあ、ちょっと人には会いたくないっていうか……」
「変だぞお前そんなこと言って、仕事が辛いのか?」
本当の処、家族に連絡をしないのは、悲鳴を上げている自分を知って欲しいから、あえて帰ってもいい時期に帰らなかったり、定期的に連絡をしている筈がぷつっと連絡を途絶えてみたりして、それと分かる信号を自分から送っていたのが本音だったのだ。
「お父さんはお前の傍にいてやれないから、本当の処、詳しくは分からないけど、悩みなんてものは二つしかないんだよ。それはな、誰かに迷惑を掛けていてそれが辛くて逃げ出したいか、誰かから辛い目に合わされていて逃げたしたいかだ。誰かに辛い思いをさせてしまっているのなら、これからはお前がその恩返しに頑張ればいい。誰かのせいで辛いなら、それは勉強なんだと割り切ればいい。それで、どうしても辛くなったら辞めなさい、死にはしないから」
私は堪らずに泣き出してしまった。受話器の向こうでは、黙って私を見守っていてくれている気配があった。
それから二言三言話した後、今度の連休には帰ると約束をして電話を切った。
それが父との最後の会話だった。
父に帰ると約束をした三日後、父は帰宅途中、待ち伏せをしていた元同僚に出刃包丁で刺されたのだ。刺した犯人は会社にリストラをされての腹癒せだったのだと言う話しだ。
その一報を受けた私は実家に急いで帰り、搬送された病院に向かったのだが、大量の出血で父はショック状態となり、意識は朦朧として事切れる寸前であった。交わす言葉も無く、鼻にはカテーテルが刺さったまま、薄目を開けながら、いつの間にか今際の際を通り過ぎて逝ってしまった。
母が、あなたが来るまではお父さんがんばったのね、と言いながら、父のまだ温かい手を強く握り締めていた。
実家には、電車で東京から二時間で着く距離であった。今思えば何故あの正月に帰らなかったのかと悔やまれるが、それを知っていて帰るぐらいなら、父も死ななかったのだ。
父の勤める会社は小さいながらも病院や介護施設、又は一般家庭での介護リフォームまでもを手掛ける幅広い商品を扱っていたらしく、会社に与える利益の殆んどが豊富な商品知識を必要とされる営業マンの肩に掛かっていたらしい。
以前から売り上げの良い方では無かった犯人は、辞める半年前程から言動や行動がおかしくなり、倉庫に置かれている商品に火を点けるまでになったのが最後だったそうだ。
犯行直後には、その犯人もすぐに捕まり、取調べの中で犯行動機や犯行に至る経緯を警察は訊き出そうとしたらしいが、頑なに「理由は無い」と言う言葉を繰り返し、会社が自分をちゃんと評価していればこんな事にはならなかった、という言葉をいくつか呟いた後、刑事が、どうして狙ったのが父だったのかを訊くと「あいつには営業で負けたんじゃない、人間として負けたんだ、だがこれで終わりだ」と悪態をついたらしいが、これで終わりと言う言葉の真意は誰にも解らない。
告別式で集まった父の会社の人達に、警察からはそんな話しがあったと告げると、やはり父への妬みがあっての犯行なのではないかと、口々に言っていた。
「確かに営業実績の高かった沓沢さんは、彼からしてみれば届かない相手だったんでしょうが、それを妬んでいたとは……、彼を辞めさせる時にでも気が付いていれば、こんな事にはなっていなかったのかもしれません……、本当にすいません」
と、父の勤めていた会社の社長さんは深々と私や母に頭を下げてから、父の遺品などを家に送るかどうかという話しで母と離れていった。
いったい人は何に執着をして生きているんだろう? 刺した犯人は自分の売り上げの無さの原因を、父に取られていたとでも思い込んでいたのだろうか? 本当に父は人の売り上げを横取るような人間だったのだろうか?
だが今となっては、その詮索も何の意味をも成さない。実際に犯人に合って話しを訊こうかとも考えたが、やはりそれは『向こうの側の意見』であって、被害者の遺族にとってはどんな謝罪も言い訳も、見苦しいだけになるのだろうか、と懸念され、暫くは自分の中で傷が癒えていくのを待った。
私は今まで通りの生活を心掛けた。毎日繰り返される起床、出勤、仕事、帰宅、食事、就寝……、という生活の中に父の影は何処にもちらつかなかった。
しかし、ふとしたタイミングで膝から崩れ落ちそうになるほどの悲しみが全身を覆う時がある。それはピカピカの革靴を履いている初老の男性を見た時だ。
呼び鈴が鳴り、玄関まで駆けて行き、扉を開けると父が立っている。グレーのスーツに黒い革製の手提げ鞄、足元はいつでもピカピカの革靴。一日中働いていた筈なのに、疲れた顔も見せずに、ただいま! と言いながら鞄を私に預けると、後ろに隠していた御土産をチラつかせ、いたずらそうな笑顔を見せながら居間に私を誘い込む。母も何事かと尋ねると、父は決まって二人の内緒だと言って御土産を隠す。だが結局は母の分までケーキやお菓子は用意しているので、食後にみんなでそれを食べる。
他愛無い想い出の中に、私の幸せはあったのかもしれない。
仕事に専念する一方で、私は寂しさを埋められないまま日々を過ごしていた。その寂しさを、そっと見守っていてくれる人が傍にいる事も知らずに。
やはりそれは相手から言われて気が付いたのだった。同じ施設に勤める男性で歳は私より一つ上。彼のお父さんが身体に麻痺があるらしく、その世話をしていた母親を見て、この仕事に就いたのだと話してくれた。
一度、父にも会って欲しかった。父と同じ優しい目をした人……。
そして、今は私も三人家族。結婚から翌年、やはり女の子が産まれました。
彼女にとって私の夫は最良の父になってくれると信じています。
でも、彼の仕事はジーンズにスニーカーと、いたって普段着と変わらない恰好で出勤して行く為、父がいつもしていたような靴磨きは、もう見られないのでしょう。
私の大切な想い出、私と父との大切な時間。
木立の中にひっそりと咲く名も無い花のように、想い出はいつまでも、そこから温かく私を見守っていてくれるのです。
ですが先日、変な手紙が私に届きました。
差出人の名前を書かず、総てが筆で書かれた荒い筆跡。消印を見ても北海道から送られている、思い当たらない土地。
いったい何を言っているのか、もしかしたら人違いで出してしまったのかもしれませんが、とりあえず読んでみます……。
突然お手紙を差し上げる失礼、お許しください。
私は三年前のお父さんが亡くなられるよりも半年前、あの会社を辞めた者です。
誤解の無きよう先に申し上げますが、私は刺殺事件を起こした犯人ではありません。その証拠に消印を見て頂ければあの男が到底送れる筈の無い場所であり、あの男がリストラをされた時期に退社した人間がもう一名いる事を、あの会社に問い合わせて頂ければ、私が誰なのかも、直ぐに御解りになると思います。
では何故、あえて名前を伏せて手紙をお送りしたのかと申しますと、今からお伝えする話しの真相をあなたが殊更に知ろうとするか否かを、私が助長しない為の配慮なのです。
名も無い男の下らない与太話しなのかと思えばそれまでなのでしょうから。
それではここに、あなたのお父さんとの想い出話しと共に、御遺族の方々が、亡きお父様への理解を深めて頂くべく、嘘偽りの無い真実をお話しいたしましょう。
私は今から十年前にあの会社に入りました。なので会社には七年いた事になりますが、初めて仕事を教わったのがあなたのお父さんなのです。
最初の内は失敗ばかりをして、会社の方々にも迷惑を掛けていました。在庫の確認を私が怠ってしまい、期日までに届けなければいけない物を半分しか納められなかった時に、お客さんに事情を説明して一緒に謝ってくれたのも、お父さんでした。それに謝ってくれただけでは無く、足りない品物の個数分を他の会社に頼んで送ってもらい、そこでの失敗を最小限に食い止めてくれたのもお父さんでした。
私は中途採用でしたし、既に妻子もいる身でした。前職はトラックのドライバーをしていましたが身体を壊し、二人目の子供も生まれると言う時での転職でしたので、気ばかりが焦ってしまい営業実績も上がらなかったのです。
そんな自分を励ましてくれたのもお父さんでした。
お父さんはよくおっしゃっていました、
「仕事っていうのはな、まずやる気なんだよ! それが無い奴は何をやってもうまくいかないもんだ。たまたまうまくいって儲かったり、ずるい手を使ったりした奴は、絶対に長くは続かない。それは本当の実力じゃないからだよ! 君はやる気がある、だから今うまく行かなくたって大丈夫、必ずその思いは実を結ぶ日が来るから、私が保証するよ!」
よく二人で飲みに行く居酒屋で、熱の入った弁を振るわれていました。
それから数ヶ月が過ぎ、その時期は設備を更新する施設も無い時期であったのも事実ですが、私は所謂、飛び込みセールスでの実績は伸び悩んでいたのです。
そんなある日の出来事、上司から呼び出されたのです。このままの成績が続くのであれば、会社を辞めてもらう事になると。
私は驚きました。確かに新規開拓は取れていなくても、今までのお客さんからの評判は決して悪くは無い筈だと。それは私自身の買い被りなのでは無く、実際に固定客へ自分が勧めた新商品を、設備で使ってみたいという注文が増え、それなりの売り上げ実績を築きつつあった筈なのですから。
私はまず、お父さんに相談しました。
お父さんが言うには、君の実力を保証すると言ったのに、君の売り上げが伸びなかったのは私の責任だ、だから自分の売り上げを君に分ける、と言うのです。私はノルマをこなせなかったから助けて欲しかった訳では無く、会社が自分に対しての正しい評価をしていない事実を、ちゃんと聞いてくれる様に会社に話して欲しかったのです。
しかし、お父さんは私に謝るばかりで、それでは自分の面子も立たないから、君の売り上げが実力で上がった事にしてくれれば、私が育てた後輩がやっと一人前になったと回りも評価してくれるので、お互いの今後の風当たりも違うのだと……。
私は釈然としないまま、お父さんの言う事を聞き、売り上げを分けてもらったのです。
それから直ぐに、会社も私への評価を正してくれて、給料も上がり、任されていた営業範囲も広くなっていきました。
最初はお父さんの裏工作に抵抗がありましたが、確かに首の皮一枚がつながった事もまた、事実なのです。
私はお父さんに何か恩返しは出来ないものかとも思いましたが、下の子も産まれたばかりで家計は切迫していましたし、妻の勧めもあって、一度家に招待してはどうか? という運びになり、お父さんを家に招待してみたのです。
お父さんは多分、後輩の狭い家などには行きたく無いだろうと私は思い、体良く断られると諦めていたのですが、意外にも行っても良いとおっしゃったのです。
家は確かに狭かったのですが、出来るだけのおもてなしをしようと、目いっぱいの奮発をしてお父さんの好きなウイスキーやお酒を揃えました。
お父さんは最初、自分の勝手な我がままで売り上げを分けたのだから、自分に恩を感じる必要は無い。なのに君はなんていい奴なんだ、君みたいな人間が会社を引っ張って行く時代が必ずやって来るだろう、と言いながら涙ぐんで君はいい奴だ、君はいい奴だ、と何度も言っていました。そして夜も深まり、家にあったお酒を全部飲み干し、私もかなり酔っていましたが、お父さんの泥酔ぶりは尋常なものではありませんでした。
家のお酒を飲み尽くすまでには私の身体中は青痣だらけになるぐらい叩かれました。行きつけの居酒屋でも何度か激励の気持ちなのか、肩や背中を叩かれた事は合ったのですが、その時は目が血走っていたほどで、挙句の果てには妻や子供達が辛気臭いと、大声で自分の名前を言ってみろ! だとか妻には、そんな可愛い顔をしてこいつのナニが入っている時はもっとでかい声を出すんだろ! などと騒ぎ立て、子供達が泣き出してしまったので妻に子供達を家から連れて行かせ、近くのファミレスへ避難させたのですが、俺はカラオケが歌いたい、もう酒は無いのか、と騒いでいるうちに近隣の住民が警察へ通報してしまい、アパートはパニックになってしまいました。私はその場を何とか取り繕い、泥酔したお父さんを駅まで送って行き、やや正気を取り戻したお父さんは、家族にケーキを買って帰りたいが、今は持ち合わせがないので金を出してくれ、と頼むのです。私はこの場はとにかく帰ってもらう為に、駅前のケーキ屋に飛び込み、中でも一番安いケーキを三個買い、お父さんに渡しました。お父さんはそれを見て鼻を一息鳴らすと、振り返らずに駅の改札を通って帰って行きました。私はほっと胸を撫で下ろしたのです。
ですが、それは悪夢の始まりだったのです。
その翌週、家に帰り着いた私が玄関を開けると、上がり框からニ、三歩進んだ廊下の先の、狭い居間の真ん中にお父さんが座っているのです。周囲に立っている妻や子供達からは顔の表情が一切消えていました。笑っていたのはお父さんだけです。
それから平然と一緒に食事を取り、酒を飲んで、また私を殴り付け、散々くだを巻いた後駅まで送らされ、土産の菓子を駅前のケーキ屋で買わされ、改札で分かれるのです。
そんな日が週に一、二度、数ヶ月続きました。
時には何処かのスナックで引っ掛けた年増の女を連れて来てはドンチャン騒ぎをして近所からまた怒られた事は一度や二度ではありません。
そして何よりも許せなかった事は、私の妻に言い寄っていたのです。妻は泣きながら私に訴えました、どうしてあの人に来ないようにあなたは言えないのか? と。私はそれを言われると弱かったのです。売り上げを分けてもらっていたのが、あれから何度かあったのです。私は悩みました、会社を辞めるべきかを。
妻はノイローゼになり、子供の友達からは、お前の家には親父が二人いるなどと言いふらされ、父兄達の中からも、あの家は公然と不倫をしているだの、あの家の兄弟は種違いだから顔が全然違っているだとかの噂をされ、とてもそこに住んでいる状況では無くなりました。ですが私は仕事も軌道に乗り始め、三十五才でまた転職をするだけのお金もまだ蓄え切れてはいませんでしたので、妻の実家は北海道と遠い場所ではあったのですが、事情を説明して妻と子供達だけでもそちらで面倒を看てもらうように頼んだのです。
それを良くは思わなかったのが、あなたのお父さんです。
それまでの努力もあり、自分で築いた顧客も増え、お父さんとは別の地域の責任者として活躍できる場が増えていた矢先でした。
突然振って湧いたようにクレームが会社に殺到したのです。それはまさしく、私が受け持つ地域での失態の集中豪雨でした。
当然、会社からは厳しい叱責を受けました。ですが、発注を受けた数と出荷した数の不一致や納期の確認ミスなら経緯は分かるものの、例で言うなら明らかに介護ベッドを頼んだ人がオムツを百点届けられるような事態なのです。会社の側でも不審な点が多いと認めてくれたものの、やはり私への評価は灰色になってしまったのです。
私はその不自然さに疑問を抱き、会社には黙って、隠しカメラを設置しようと思い立ったのです。まず発注を受けるパソコンや私の机が見える場所にカメラを隠し入れ、録画をして置き、社の人間が全員帰った後、そこに記録された映像をパソコンに落として見てみたのです。
私は驚くと同時に、思ったとおりであった事に、暫し呆然としていました。
お父さんが私の机から印鑑やパソコンのパスワードを盗み出し、さも私が書き換えたように発注書の内容を、品物の種類や数や届け先を変更し、正しい発注書と間違った発注書を差し替えていたのです。
直ぐにお父さんを問い質しました。しかしその口から出た言葉は予想を超えた言葉でした。そのまま書きます。
「ああ、俺がやったんだが、それがどうした? お前は俺を裏切った。あんなに面倒を看てやったのに。恩を仇で返すとはお前みたいな奴を言うんだよ! あの時俺が助けてやらなかったら、お前は首だったんだぞ、いいか解ってて言ってるんだろうな? それに隠しカメラを会社の至る所に仕込んだんだったら、咎められるのはお前の方だろ、今直ぐ会社に言って首になるのはお前の方だろ!」
と啖呵を切られてしまい、自分でも軽率な判断だったと反省しました。つい相手の尻尾を掴んだと舞い上がり、引導を渡すのだと決め込んでしまったのです。
そこから私を揺するのかと諦めていましたが、嫌がらせは止めると言ってくれたのです。
私は喜ぶ刹那、あの人の目の奥にある鬼とも言えず、悪魔とも言えず、それは人が持つ最も暗い心の奥に潜む怖い物を見たのです。
「その代わりに、お前に一つ、やって貰いたい事があるんだが……」
私は息を呑みました。私がお父さんを呼び出した場所もそれには打って付けの、誰もほとんど来ない場所。会社の過去の伝票や書類を仕舞って置く書棚の置かれた三坪ほどの小さい部屋。夕暮れ時のその部屋の薄暗さは今でも目の奥に焼き付いています。窓を背にしたお父さんの背中にブラインドから漏れてくる夕日が当たり、その表情の機微を判別させ辛くさせていました。気が遠くなるほどに長い時間が過ぎた気がしました。
私は堪らずに自ら訊いてしまいました。
「人を殺す以外は出来るだけの事をします。だから、もう付き纏わないで下さい! お願いします!」
無意識に土下座をしていました。それが丁度よい恰好になってしまったのです。
「嗚呼、だったら俺の沓をなめろよ。見てみろ綺麗だろ! 毎日磨いてるんだからピカピカだろ、なめたくなっちゃうよなあ、なめたら止めてやるよ」
私は堪らずに泣いてしまいました。額を床に摩り付けて拳を打ちながら、情けないのか悔しいのかも、その時は解りませんでした。
片方の靴を、犬のように這いつくばってぐるっと一周舐め終わったあたりで一言。
「こっちもだよ」
もう私の頭の中は痺れ切っていたのでしょう、機械的に反対の靴に移り舐め出していました。そしてまた一周回って舐め終わった時、脇腹に鈍い痛みが走ったのです。
今舐め終わった革靴で脇腹を蹴られたのでしょう、私は痛みで立ち上げれませんでしたが、私の背後で扉の開く音が聞え、蹴るように閉めて出て行ってしまいました。
それが最後に、お父さんからの嫌がらせは無くなりました。
それからあなたのお父さんが誰に付き纏っていたのかは解りませんが、私が辞める半年前、そう、あなたのお父さんが死ぬ丁度一年前に、あなたのお父さんを刺し殺した犯人が入社して来たのです。
多分これは味わった人間でしか解らない辛さでしょうが、傍からはそれと全く解らないのです。でも私は解っていた、彼が今度の餌食なのだと。
同じような目をしていました、私と。そこへ付け入られたのでしょう。
暫くすると彼の努力も空しく、実績は上がりませんでした。でも、それもその筈なのです。私の入社当時と彼の置かれている状況が一致する話しを、私が会社を辞める時に上司から聞きました。
「君も辞めてしまうんだったら最後に言うけどね、口外しないでくれよ、今来ている新人いるだろ、あいつも手癖が悪いんだそうじゃないか、良く解るだろ君なら。在庫が合わないだとか、売り上げ数と請求額が合わないだとか言ってるけど、結局はあの新人がくすねているみたいなんだよなあ、そういえば何年か前にもそんな話をよく聞いたよ。で、だったら辞めさせようとしたんだけどね、強く説得されちゃってねえ、私が心を入れ替えさせますから、どうか彼を見捨てないで下さいとか何とか言ってね、誰とは言わないよ、誰とは。でもあの人は偉いね、営業マンの鏡って言うよりそれ以上に仏って感じだよ。だから君だってここまでやって来れたんだしな、あの人に足を向けて寝られないだろ、北海道に行って奥さんと暮すんだろ、南に足を向けて寝るんじゃないぞ、礼は言ったのかね? え、まだか、だったら辞める前に沓……」
それ以上は耳に言葉が入っては来ませんでした。当然私は会社の金に手を付けた事はありません。解ったのですあの人が、最初から仕組んでいたのです。私を自分に従うように仕向けていた事実を。
おそらくは彼も同じ目に会っていた事と思います。ですが私は疲れていた。それを彼に言ってやる勇気が無かったのです。今となっては言い訳に過ぎませんが、私はあなたのお父さんが怖くて一歩も近寄れなかったのです。
靴を舐めた日を最後に私への嫌がらせは無くなったと書きましたが、私への嫌がらせは無くなっても妻や妻の実家への嫌がらせがあったのです。私は自分の会社での売り上げ実績ばかりに躍起になり、裏で何かされていなければそれで良しとしてしまっていたのです。何処から調べたのか、妻の実家の電話番号を調べて、有りもしない浮気のメールや、私と誰かの写真をうまく合成して、二人だけで温泉旅行に行っているように見せたり、先ほど言った私の手癖が悪いというデマも無言電話と合わせて何度もしていたようです。
そこに妻の実家から私に話しがありました。北海道で私が出来そうな仕事があるから、娘と孫と一緒に暮してくれないか、と言う提案でした。
当時でも既に四十才の壁を越えてしまっていたので、不安はあったのですが、会社を辞めてまで嫌がらせをしては来ないだろうとも思いましたし、思いたかったのです。
私は誰も助ける気は無かった、刺し殺してしまった彼も、あなたのお父さんも。
御存知でしたか? お父さんは肩口に受けた一突きでショック状態になったのではないと。大量出血の原因は、何度も何度も靴の上から出刃包丁で刺されていたのです。
これはささやかな遺族の方々への真実の贈り物です。
敬具
やはり意味が解らないのです。この人は、もしこれが私の父から受けた仕打ちだとしているのなら、やはり自分の努力が足りなかった事実を認めたくないが為に、言い訳を書き連ねているとしか、この文章からは伝わって来ないのです。
そこである日の父との遣り取りを想い出しました。
「おとうさん! また靴磨いてるの?」
「そうだよ、前にも言っただろ、この沓はお父さんの大事な商売道具だって」
「大事な道具を手入れしてるんだね、偉いねお父さんは。でも本当にピカピカだね、顔が映るぐらいにピカピカだね!」
「ははは、顔が映るどころじゃないぞ、なめれるぐらいにピカピカだろ!」
「えええええ、靴なんてなめたりしないよ、変だねお父さん」
「変か? でもなめれそうだろ、ほら」
「あああああ、止めてよ靴なんかなめたりしないでよ! もう、変な父さんだな!」
「ははは、冗談だよ、なめたりなんかしてないよ」
「もう、ビックリしちゃうよ、ははははは」
「そうか、ごめんな、ははははは」
「ははははは……」
「ははははは……」