第5話「雨の夜」
七日目の夕方、空が急に暗くなった。
西の空が黒ずんで、風が湿り気を帯びてくる。雨が来る。レコードが気圧の変化を記録していて、体がそれを察知していた。元の世界でこんな感覚はなかった。転生した体は、自然の変化に敏感にできているらしい。
急いで野営の準備をした。
今の拠点は、大きな岩が三つ重なってできた自然の窪みだ。屋根代わりになる岩の張り出しがあって、風も遮れる。三日前に見つけて以来、ここをベースにしている。
薪を多めに集めて、岩の内側に積み上げる。焚き火台になる平たい石を中央に置いて、火口を準備した。それから、食料の確認。今日の収穫は赤トカゲが二体と、森の奥で見つけた橙色の大きなキノコが数個。水は川から汲んできた革袋に十分ある。
準備が終わった直後、雨が降り始めた。
* * *
最初は小雨だった。
それが三十分もしないうちに、本降りになった。岩の張り出しから水が滴り落ちて、周りが滝のような音に包まれる。風も出てきて、雨が横から吹き込んでくる。
焚き火が心配だった。
岩で三方を囲んで、風よけになる石を積み上げる。炎が揺れながらも、なんとか消えなかった。手が濡れて冷たくなる。それでも火を守り続けた。
一度、強い突風が吹いて炎が消えかけた。慌てて体を盾にして風を遮る。全身が雨に濡れたが、火は残った。息を吹き込んで、火口を足して、じっくりと育て直す。細い炎が少しずつ太くなっていくのを、両手で囲みながら見守った。
「消えるなよ」
誰に言うでもなく呟いた。
火が消えたら飯が作れない。飯が作れなかったら、この夜が一気につまらなくなる。それだけは困る。
小一時間ほど格闘した末に、雨が少し弱まった。完全には止まないが、横殴りではなくなった。焚き火は生きている。
「よし」
深呼吸して、飯の準備を始めた。
* * *
今夜は煮ることにした。
川から汲んだ水を、深みのある岩の窪みに入れて火にかける。即席の鍋だ。赤トカゲの肉を大きめに切って放り込む。橙色のキノコも手でちぎって加えた。
触れた瞬間のレコードによれば、このキノコは加熱すると出汁が出る。それも、かなり濃い出汁だ。スープにするなら最高の素材のはずだった。
水が沸いてくると、キノコの香りが広がった。
雨の音の中に、ぐつぐつという音が混じる。湯気が上がって、岩の窪みの中が温かくなってくる。体の芯から冷えていたのが、じわじわとほぐれていく感じがした。
もう少し煮た方がいいと判断して、薪を足す。汁の色がだんだんと琥珀色に変わってきた。キノコから滲み出た出汁が、水に溶け込んでいるのがわかる。肉の色も変わって、表面が締まってきた。
木の枝を箸代わりにして、肉を一切れ取り出してかじった。
「……」
言葉が出なかった。
キノコの出汁が肉に染み込んで、今まで食べた中で一番柔らかく仕上がっていた。煮ることで脂が溶け出して、汁に混ざっている。その汁を岩の窪みから直接すすった。
旨い。
染みる、という言葉がこれほど合う瞬間はなかった。
冷えた体に、熱い汁が落ちていく。外は雨で、風が吹いて、この森に自分一人しかいない。それでも、この瞬間だけは何も不満がなかった。
「塩があれば完璧だったな」
それだけが、唯一の不満だった。
* * *
食べ終わって、焚き火を眺めた。
雨はまだ続いている。遠くで雷の音がした。光が一瞬、森を白く照らす。
こういう夜は、考え事をしてしまう。
元の世界のことを、たまに思い出す。大学の友人。サークルの飲み会。二十歳になってやっと飲んだ最初のビール——正直、そこまで旨くなかった。でも、みんなで笑いながら飲んだから旨かった。
食い物の記憶というのは、味だけじゃない。誰と、どこで、どんな気持ちで食ったか——全部が混ざって、一つの記憶になる。レコードはその全部を完璧に保存している。再現しようと思えばできる。でも、再現しても同じにはならない気がした。
あの場所に、あいつらがいて、あの夜があったから旨かったのだ。
この世界に来て一週間が経つ。寂しいかと問われれば、よくわからない。ただ、誰かと飯を食いたいとは思う。旨いものを食べたとき、思わず声に出してしまうのは、誰かに伝えたいからかもしれない。
「まあ、いつかそういうこともあるだろう」
焚き火に薪を一本くべた。
炎がぱっと大きくなって、岩の内側を明るく照らした。
ステータスを開く。
【ステータス】
名前 :神崎ルイ
年齢 :17歳
レベル:5
経験値:0/500
称号 :転生者
【ユニークスキル】
記録
【スキル】
棍術:Lv.3
解体:Lv.2
採取:Lv.2
罠設置:Lv.1
野営:Lv.1
調理:Lv.1
レベルが5になっていた。
スキルの数が増えている。野営と調理が新たにインストールされていた。毎日繰り返しているうちに、体が技術として定着させたらしい。表記はないが、レコードもレベルが上がっている感覚がする。記録できる情報量と精度が上がった感覚がある。
「調理スキルか」
やっと出てきた。名前がつくと、なんとなく嬉しい。
スキルの説明文を開いてみた。
『食材の特性を把握し、最適な調理法を選択する技術。レベルが上がるほど、素材の持つ潜在的な旨味を引き出せるようになる』
「潜在的な旨味、か」
今でも十分旨いと思っている。でも、まだ上があるということか。塩や調味料が手に入ったとき、このスキルがどこまで化けるか——想像すると、じわりと期待が湧いてくる。
雨音が少し穏やかになってきた。
目を閉じると、眠気がすぐに来た。今日は移動が多くて、火を守るのに体力を使った。疲れている。
眠る前に、もう一度だけ汁をすすった。
冷めても旨かった。明日も飯が楽しみだと思いながら、俺は目を閉じた。




