第45話「海獣の素材と、港の食事会」
港に戻ると、人が集まっていた。
大型の魔物を引いてきた船を見て、漁師たちが岸壁に出てきていた。最初は遠巻きに見ていたが、魔物が岸に引き上げられるにつれて人数が増えた。
魔物の全長は船の一・五倍ほどあった。甲殻が厚い。頭部が重い。陸に上げるだけで、港にいた男たちが総出になった。
「でかいな」と誰かが言った。
「こんな大きさのが海にいたのか」と別の声がした。
「これが漁船を押してたのか」
ざわめきが広がっていた。
ギルドマスターが来た。魔物を見て、少し眉を上げた。「確かに仕留めたんだな」と言った。
「仕留めた」とライルが答えた。
「怪我はないか」
「三人とも問題ない」
「そうか。報酬の件は後で話す。先に素材の確認をした方がいいだろう」
「その前に聞きたいことがある」と俺は言った。
「何だ」
「この魔物、食える部位はあるか。知っている人間がこの港にいるか」
ギルドマスターがしばらく俺を見ていた。「……探してみよう」と言った。
* * *
老人が来た。
八十近い、小柄な男だ。漁師を長くやっていたという。港の端に住んでいて、若い頃には大型の海洋魔物を仕留めたことがあると聞いた。
「これはカルタガイだな」と老人は言った。魔物の頭を見て、頷いた。「久しぶりに見た。もう四十年以上前だが、俺も若い頃に一度だけ見たことがある」
「食えるか」と俺は聞いた。
「食えるんだよ、これが」と老人は言った。目が少し輝いていた。「甲殻が厚いから敬遠されるが、中の肉は旨い。特に腹の内側の白い部分と、首の付け根の肉だ。甲殻の中に守られているから傷みにくい」
「捌き方は」
「甲殻の継ぎ目に刃を入れる。力がいるが、正しい場所を選べばそれほど難しくはない。教えてやろうか」
「教えてもらえるなら助かる」
老人が「珍しい若者だな」と言った。「討伐した魔物を食おうと考えるやつはあまりいない」
「倒した以上は無駄にしたくないんだ。旨い素材があるなら尚更だ」
「そういう考え方は嫌いじゃない」と老人は言った。「やってみせよう」
* * *
解体には一刻かかった。
老人の指示通りに刃を入れた。甲殻の継ぎ目は細い。正確に入れないとびくともしない。でも一度刃が入ると、中身は意外なほど柔らかかった。
白い肉が出てきた。
分厚い。腕ほどの厚みがある。触った感じは弾力がある。脂の層が見えた。
「これは期待できるな」と俺は言った。
「旨そうだろう」と老人が言った。嬉しそうだった。「四十年前に食ったときの味を、今でも覚えているんだよ。あれは忘れられない」
「どんな味だったんだ」
「海の旨みが凝縮されていてな。淡白なようで奥が深い。火を通すと脂が出てきて、それが全体に絡む。塩だけで十分だったよ」
俺は肉を一片切り取った。生で食ってみた。
旨みが濃かった。甲殻類に近い旨みだが、もっと複雑だ。奥行きがある。加熱したら脂が出てくる、というのは確かに感じられた。
「これは確かに旨そうだな」と俺は言った。
「だろう」と老人が言った。
ライルが覗き込んできた。「生で食えるのか、それ」
「鮮度は問題ない。加熱した方が旨みは増すと思うが、素材の確認は生でやるのが早い」
「お前はいつも生で確認するな。怖くないのか」
「少量ずつ試して反応を見る。そうすれば問題が起きても対処できる。まあ、これは食えるとわかったけどな」
「どうしてわかる」
「匂いと食感と、旨みの出方だ。食えないものは最初の一口で大体わかるようになってくる。長くやってると体が覚えるんだよ」
「長く、というのがどのくらいなのか俺には想像もつかないが」とライルが言った。
* * *
気づいたら人が増えていた。
解体を見ていた漁師たちが、いつの間にか作業を手伝い始めていた。老人が声をかけたらしかった。肉の塊が切り分けられていく。港の広場に炉が出てきた。誰かが薪を持ってきた。
「食事会になってきたっすね」とマリネが言った。嬉しそうだった。
「そのつもりはなかったが」
「いいじゃないっすか。港のみんなが手伝ってくれてるんだし」
「人数が増えると調理の段取りが変わる」
「あたしが手伝うっすよ。あと父親も来てるんで、声かけてきます」
マリネが走っていった。
ライルが隣に来た。「自然と食事会になったな」と言った。「お前、こういう場が得意じゃないだろ」
「料理をするだけだ。人数は関係ない」
「そういうものか」
「作った飯を誰かが食う。人数が増えても基本は変わらない」
「うまく言えないが、お前はそこで迷わないんだよな」とライルが言った。「人が多くても少なくても、飯に向き合う姿勢が変わらない。それがわかるから、みんなついてくる気がする」
俺は少し考えた。「そうなのかもしれないな」
* * *
三種類の料理を作った。
一つ目は塩焼きだ。老人が言った通り、塩だけで仕上げた。強火で表面を焼いて、遠火で中まで通す。ライルが火の調整をしてくれた。もう言葉はいらない。脂が落ちた。じゅ、と音がした。甘い匂いが広がった。
二つ目は切り分けた肉を香草と油で絡めたものだ。ヴェルサで覚えた調理法だ。植物油の甘みと香草の爽やかさが、肉の旨みを引き立てる。
三つ目は、首の付け根の肉を薄く切って汁物にした。幅広の海藻から取った出汁を使った。島で見つけたあの海藻だ。出汁と肉の旨みが合わさって、これだけで一つの料理になった。
「できたな」
老人が最初に食った。
塩焼きを一口。目を閉じた。長い間があった。
「四十年前と同じ味だ」と言った。声が少し低くなっていた。「変わっていないな」
「素材が良ければ変わらない」と俺は言った。
「そうだな。本当にそうだ」
それから港の人間が次々と食い始めた。
賑やかだった。あちこちで声が上がっていた。旨いという声、驚く声、誰かと話す声。
マリネの父親が来た。がっしりとした体格の男だ。マリネに似て、目が大きい。
「うちの娘が世話になっている」と言った。
「世話をかけているのはこちらだ。マリネがいなければ、この街のことは半分もわからなかった」と俺は言った。
男が少し驚いた顔をした。それからマリネを見た。マリネが「ねっ」と言った。父親が「そうか」と言った。それ以上は何も言わなかったが、顔が柔らかくなっていた。
ライルが汁物を食いながら「この汁、今日の中で一番旨いかもしれない」と言った。
「そうか。あの島の海藻が効いているんだと思う。ヴェルサの市場では見かけない種類だったが、あれが出汁の深みを出している」
「だから島で拾ってきたのか。あのとき何に使うのかと思っていたが」
「使い道は食ってみてから決めようと思っていた。結果的にこれで正解だったな」
「お前の判断はだいたい結果的に正解になるな」とライルが言った。「なぜかは説明できないが」
「説明できるが、長くなる」
「今度聞かせてくれ」
「飯のときにする話じゃないからな。また機会があれば」
ライルが「また機会があれば、か」と言って笑った。「珍しいな、また話そうと言うのが」
「長い話は一度じゃ終わらない」
「それだけのことを考えているんだな、食について」
俺は汁を一口飲んだ。
旨かった。素材が全部噛み合っていた。海獣の肉と、島の海藻と、ヴェルサの香草。それぞれが別の場所から来て、今日一か所に集まった。
そういうことが、旅の中では起きる。




