第43話「海洋魔物」
依頼の話を聞いたのは、翌朝のギルドだった。
受付の男ではなく、ギルドマスターが直接話をしてきた。五十代の女性だ。短く切った灰色の髪に、日焼けした顔。腕に古い傷がある。元冒険者だろう。
「腹ペコ旅団だな」と言った。「昨日、沖の島で甲殻魔物を仕留めたそうだ」
「四体だ」とライルが答えた。
「報告は受けた。それとは別に、一つ話がある」
テーブルに地図を広げた。ヴェルサの港と、その沖合の海域が描かれている。赤い印が二か所ついていた。
「ここ十日ほどで、この海域に大型の海洋魔物が出ている。漁船が二隻、近づいて被害を受けた。幸い死者は出ていないが、このままでは漁に出られなくなる」
「大型というのはどのくらいだ」とライルが聞いた。
「目撃した漁師の話では、水面から出た背中だけで船と同じくらいの幅があったと言っていた。全長は不明だ」
マリネが「それ、かなり大きいっすよ」と言った。「普通の漁船の幅が四、五歩くらいっすから」
「ランクはどのくらいになる」とライルが言った。
「海洋魔物は陸のランク制度と単純に比較できないが、同等で言えばBからCの間だろう。あなたたちはDランクだ。正直に言えば荷が重い依頼だ」
「なのに声をかけた理由は」
「沖の島での動きを見た。二人組で甲殻魔物四体を問題なく片づけた。それと……」ギルドマスターがライルを見た。「あなたが魔法を使ったという報告が来ていた。ランクと実力が必ずしも一致しないことはある」
少し間があった。
「断っても構わない。ただ、この港で漁師が海に出られない状況が続くと、街全体の食料に影響が出る。受けてもらえるなら、それ相応の報酬を出す」
ライルは俺を見た。小さく頷いた。マリネも頷いた。
「受ける」と俺は言った。
「理由を聞いてもいいか」
少し考えた。
「漁師が海に出られなくなると、港に旨い魚が入らなくなるからな」
ギルドマスターが一瞬止まった。それから「そういう理由か」と言った。呆れたのか、感心したのか、判断がつかない顔だった。
ライルが「こういうやつです」と言った。「でも本気で言ってます」
「わかった。信じよう」
* * *
ギルドを出てから、三人で港を歩いた。
作戦を話し合った。といっても、相手の全貌がわからない。わかっていることを整理するだけだ。
「大型の海洋魔物、ヴェルサの近くで出たことはあるか」とライルがマリネに聞いた。
「あたしが生まれてからはないっすね。親父に聞いた話だと、十五年くらい前に一度あったって言ってたっすけど、そのときは別の冒険者パーティが対処したって聞いてます」
「どうやって倒したんだ」
「詳しくは知らないっすけど、船の上から戦ったって言ってました。陸に引き上げることはできない大きさらしくて」
「船上での戦闘になるな」とライルが言った。「俺の水魔法が使いやすい環境ではあるが、足場が安定しない」
「船自体をうまく使えればいいっすよ」とマリネが言った。「あたし、船の操作ならできるっす。ライルさんが魔法に集中できるように動きますよ」
「それは助かる。頼めるか」
「任せてっす」
俺は海を見ていた。水面は穏やかだ。今は何もいない。でも、あの水の下に何かいる。
「あれ、食えるか」と俺は言った。
マリネとライルが同時に「今その話か」と言った。
「大事な話だ」
「戦闘前だぞ」とライルが言った。「もう少し緊張してくれ」
「緊張しても戦い方は変わらない。食えるかどうかは変わる」
「どういう理屈だ」
「倒した後の話をしておかないと、素材を無駄にする可能性がある。解体の段取りを先に考えておいた方がいい」
ライルがしばらく黙った。「……まあ、理屈は通ってるな」
「どの部位に価値があるか、事前に見当をつけておく。そうすれば戦闘中も無駄に傷つけない」
「それは確かに重要か」とライルが言った。今度は素直に頷いた。「大型の魔物は素材の価値が高い。傷の入り方で変わることもある」
「そういうことだ」
マリネが「二人とも、いつの間にか食材の話で合意してるっすね」と言った。
「こいつと旅してると染まる」とライルが言った。
* * *
午後、漁師から話を聞いた。
被害を受けた二隻のうちの一隻の船頭だ。三十代の男で、まだ手に震えが残っていた。
「水面から背中が出てきたときは、何かと思ったよ」と男は言った。「最初、岩が浮いてきたのかと思った。それくらい大きかった」
「動きはどうだった」とライルが聞いた。
「船に気づいたら向かってきた。速くはないが、止まらなかった。船首をぶつけてきて、そのまま押した。舵が利かなくなって流された」
「船を壊そうとしていたのか」とマリネが言った。
「わからない。ただ、邪魔だったのかもしれない。縄張りに入った感じで」
「攻撃的というより、排除しようとした動きだな」とライルが言った。俺を見た。「狩りに来たわけじゃない。縄張りを守っている可能性がある」
「だとすると、こちらが仕掛ければ反撃してくる」
「そうなる。先に動くか、引き出すか、どちらかだな」
「引き出す方がいい。海の中でやり合うより、水面に出てきたものを相手にした方がやりやすい」
「引き出す方法があるか」とマリネが言った。
「ある」と俺は言った。
「何っすか」
「餌を使う」
二人が俺を見た。
「魚の内臓でいい。血の匂いは水の中で広がりやすい。縄張りに何かが入ってきたと思えば出てくる可能性がある」
「それ、どこで覚えたんだ」とライルが言った。
「前世……昔の記憶だ。大型の魚を釣る方法に近い」
「釣りの知識を海洋魔物の討伐に応用するのか」とライルが言った。少し笑いが混じっていた。「お前らしい発想だ」
「通じるかどうかはやってみないとわからない。ただ試す価値はある」
マリネが「あたし、漁師から内臓もらってきますよ」と言った。「捨てるやつなんで、すぐ集まると思うっす」
「頼んだ」
「任せてっす」
マリネが走っていった。
ライルが「本当に役に立つな、マリネ」と言った。
「この街のことを知っている。それが強みだ」
「俺たちだけじゃ、こうは動けなかったな。港の人脈もあるし、海の知識もある」
「パーティに必要なのは強さだけじゃない」
「お前が言うか」とライルが言った。「一番強いやつが言うと説得力があるな」
「俺が強いかどうかは関係ない」
「強いだろ、普通に。Dランク二人組でイアンガルドを倒したんだ。今更だ」
俺は海を見た。
あの水の下に何かいる。どんな魔物か、どんな肉質か、食える部位はどこか。倒してから考えよう。
「明日、出る」と俺は言った。
「わかった」
波が静かに岸を叩いていた。




