第42話「島の食材と、海の火」
甲殻の魔物は四体いた。
マリネの言った通り、素早くはない。ただ、岩場での動きが読みづらかった。岩を盾にしながら横に回る。正面から突っ込んでくるタイプじゃない。
ライルが右側の二体に火球を放った。岩に当てて破片を飛ばす間接攻撃だ。直撃より岩場では有効だった。一体が怯んだ。
俺は左に回り込んだ。背後を取って棒を叩き込む。甲殻にひびが入った。もう一撃で仕留めた。
後ろの二体はマリネが引きつけていた。石を足元に投げて動きを乱している。ダメージは薄い。でも注意が向いている間にライルが横から火を入れた。一体が止まった。
最後の一体が俺に向いた。爪を振り上げた。
右手を上げた。小さな火球を顔面に向けた。一瞬怯んだ隙に棒を叩き込んだ。背中に入れて仕留めた。
波の音だけが残った。
* * *
小屋から漁師が二人出てきた。顔が青かった。昨夜から籠もっていたらしい。
「助かった」と一人が言った。「まさか来てくれるとは思わなかった」
「船頭が心配していた。依頼だ」とライルが言った。「ギルドにも報告した方がいい。最近、岸に近い場所で魔物の目撃が増えているなら、同じことがまた起きるかもしれない」
「そうする。本当にありがとう」
俺は足元の甲殻魔物を見ていた。
「これ、食えるか」
漁師が少し顔を見合わせた。「食えなくはないが、普通は捨てる。身が少ないし、捌くのが面倒で」
「爪の中に身が入っているのか」
「ああ、それと腹側にも少し。ただ内臓と混ざってて難儀だ」
「爪だけでいい。もらえるか」
「構わないが……食うのか、本当に」
「倒したものは確認する。それが俺のやり方だ」
マリネが「もう驚かないっすけど、やっぱり毎回そうなんすね」と言った。
ライルが「こいつの頭の中では戦闘と食材が最初から繋がってるんだ。慣れるとそういうものかと思えてくる」と言った。
* * *
島の内側を少し歩いた。
岩場が多い。植物は少ないが、岩の割れ目に海藻が挟まっている場所があった。ヴェルサの市場では見かけない種類だ。緑がかった紫色をしている。
手に取って潰した。磯の香りが出た。強い。ただ、その中に甘みが混じっている。
「これ、ヴェルサでも見たことないっす」とマリネが言った。「沖の島にしかないんすかね」
「岩礁の種類かもしれない。匂いは悪くない。試す価値がある」
「食べられますかね」
「生臭さより海の香りが前に出ているものは大体食える。少量ずつ試せばわかる」
「なるほど」とマリネが言った。「あたし、そういう判断の仕方を知らなかったっす」
「経験だ。積み重ねるしかない」
海藻を少量手に取った。そのまま口に入れた。噛んだ。磯の香りが広がって、後から甘みが来た。渋みは少ない。加熱したら甘みが増すはずだ。
「旨い。持って帰る」
「即決っすね」とマリネが言った。
「旨けりゃ即決だ」
ライルが岩の上に腰を下ろしながら「船酔いが残ってる。少し待ってくれ」と言った。
「大丈夫っすか」とマリネが聞いた。
「帰りも乗るんだろ。もう少し体を慣らしておきたい」
「水平線を見てると落ち着きますよ。さっきも言ったっすけど」
「わかってる。わかってるが難しい」
俺は甲殻魔物の爪を解体ナイフで開けた。中に白い身が詰まっていた。量は少ない。でも密度がある。
「少し焼いてみる」
「今からか」とライルが言った。
「待つなら食った方がいい」
ライルが「確かに」と言った。反論しなかった。
* * *
火が問題だった。
島には薪になる木がほとんどない。岩場だからだ。ライルに頼めばいいが、海風が強い。火が安定しない。
「風が邪魔だな」とライルが言った。岩の陰で手を上げてみたが、炎がすぐ流れた。
「岩で囲いますか?」とマリネが言った。「小さい石を積めば風を防げるっすよ。漁師がよくやる方法っす」
「やってみる」
三人で石を拾った。大きめの平たい石を並べて、小さな囲いを作った。中にライルが火を入れた。今度は安定した。
「これはマリネが教えてくれたな」とライルが言った。
「海の上の知恵っす。陸の冒険者は知らないことも多いんすよ」とマリネが言った。少し誇らしそうだった。
「助かった」と俺は言った。
マリネが「え」と言った。「ルイさんが素直に言うの、珍しいっすね」
「助かったものは助かった」
「なんか、うれしいっす」
爪の身を串に刺して火にかざした。小さい塊だ。すぐ火が通る。表面が白くなって、香ばしい匂いが立った。塩を少し振った。
三人で分けた。
一口食った。
旨みが濃かった。甲殻類特有の、海の深いところから来るような旨みだ。量は少ないが中身が詰まっている。塩だけで十分だった。
「旨いな」と俺は言った。
「本当っすね」とマリネが言った。「捨てるのがもったいないっす。知らなかった」
「捨てる前に疑ってみることだ。意外なところに旨みがある」
「それ、食材全般の話っすか」
「全般の話だ」
ライルが「お前にとっては人生訓みたいなものだな」と言った。
「そうかもしれない」と俺は答えた。「旨いものを見逃したくないだけだが」
ライルが少し笑った。「それが人生訓になってるんだよ、お前の場合は」
波が岩を叩いた。風が少し弱まっていた。
* * *
帰りの船は穏やかだった。
行きより波が落ち着いていた。ライルの顔色も戻っていた。
「次も船に乗ることになるかもしれないな」とライルが言った。
「海の依頼はまだある」
「船酔いをどうにかしたいが、慣れるしかないか」
「慣れるしかないっすよ」とマリネが言った。「漁師も最初はみんな酔うって言ってましたから」
「みんな酔うのか」
「最初はそうらしいっす。でも毎日乗ってたら気づいたら平気になってたって」
「毎日は乗れないがな」とライルが言った。
俺は船の端に立って海を見ていた。
島で見つけた海藻を袋に入れてある。甲殻魔物の爪の残りも、骨を取って身だけ布に包んだ。少量だが持ち帰れる。
「今日の夜、その海藻も使うんすか」とマリネが聞いた。
「出汁を取ってみる。ヴェルサの海藻と比べて何が違うか確認したい」
「比べるんすか」
「同じ海藻でも産地や岩の種類で味が変わる可能性がある。一度並べて食えばわかる」
「そういう比べ方するんすね」とマリネが言った。感心したような顔だった。「あたし、旨いかどうかしか判断してなかったっす」
「旨いかどうかは大事だ。それに加えて、何がどう違うかを知ると、使い方が広がる」
「使い方、っすか」
「どの料理に向いているか。何と合わせると化けるか。そういうことが見えてくる」
マリネがしばらく黙った。海を見ていた。
「あたし、ルイさんと旅して良かったっす」と言った。
「なんでだ」
「食べ物の見方が変わってきた気がするんすよ。旨いかどうかだけじゃなくて、もっといろいろ考えるようになってきた」
「それはいいことだ」
「ルイさんに言われると素直に嬉しいっす。普段あんまり褒めないから」
「褒めたつもりじゃなかったが」
「でも褒めてるっすよ、それ」
ライルが「こいつはそういうやつだ。覚えておけ」と言った。
港が見えてきた。夕日が水面を橙に染めていた。
今日も旨いものがあった。それで十分だった。




