第39話「海の食材、全部試す」
ヴェルサに来て五日が経った。
港の競りには毎朝顔を出した。市場も昼と夕方で別の顔があることがわかった。漁師の直売は夕方が本番だ。その日の漁で取れたものが、加工される前の状態で並ぶ。
俺は手当たり次第に試した。
* * *
白身魚は三種類を比べた。
一種類目は淡白で、加熱しても崩れない。どんな調理法にも合う素直な素材だ。香草と油で炒めるのが一番引き立つ。
二種類目は脂が多い。塩を当てて少し置いてから焼くと、余分な水分と臭みが抜けて、旨みだけが残る。皮目を強火で焼いて、中はしっとり仕上げる。前世で食った脂ののった魚に近い。
三種類目は身が赤かった。見た目に反して淡白だ。ただ、噛んだときの旨みの出方が他と違う。じわじわと来る。汁物に向いている。
「全部違うっす」とマリネが言った。食い比べながら言った。
「同じ白い魚でも使い方が違うんだ」
「そういう見方、してなかったっす。旨いか旨くないかだけだった」
「どちらも重要だ」
「どちらもっすか」
「旨いかどうかは素材の評価だ。どう使うかは料理人の仕事だ。両方わかって初めて食材を知ったことになる」
マリネが黙った。考えている顔だった。
ライルが「お前、いつからそういうことを考えるようになったんだ」と言った。
「昔から」
「教わったのか」
「教わってはいない。食いながら考えた」
ライルが何か言いかけて、止めた。俺の過去に踏み込む手前で止まる。それがライルのやり方だ。
* * *
貝は五種類を試した。
昨日食ったハマリ貝のほかに、細長い形の貝、黒い殻の小さな貝、平たい扇形の貝、それから砂の中に埋まっているものを掘り出す種類。
細長い貝は酒蒸しに近い調理が合う。ライルに水を細く出してもらって、蒸すような状態を作った。身が細くて繊細だ。加熱しすぎると途端に萎む。
「これが一番難しかった」
「どこがっすか」とマリネが聞いた。
「火の入れ方の幅が狭い。ほんの少し早くても遅くても、全然違う仕上がりになる」
「さっきのと今のとで、何が違ったんすか」
「さっきのは十秒長かった。身が少し硬くなっていた」
「十秒で変わるんすか」
「変わる」
マリネが「あたしには全部同じに見えたっす」と言った。
「食べ続ければわかるようになる」
「ルイさんみたいになれるっすか」
「俺と同じにはならない。でも今より分かるようになる」
マリネが「それで十分っす」と言った。素直な答えだった。
* * *
海藻は難しかった。
種類が多い。形も色も全部違う。緑のもの、茶色のもの、紫がかったもの。干してあるものと生のものとで全然違う顔をしている。
生で食えるものから試した。
緑の細い海藻は磯の香りが強くて、噛むと粘りが出た。汁物の仕上げに入れると出汁と絡んで旨みが増しそうだ。
茶色い幅広の海藻は、出汁が出た。水に浸けて少し置くだけで水が変わった。香りが柔らかくて、前世で使った昆布に近い性質だ。
「これは使える」と俺は言った。
「何に使うんすか」とマリネが聞いた。
「汁物の出汁だ。これだけで十分な出汁が取れる」
「海藻でっすか」
「やってみせる」
ライルに水を出してもらった。鍋に幅広の海藻を入れて、火にかける前にしばらく置いた。水が薄く色づいた。香りが立ってきた。
そこから弱火でゆっくり加熱した。沸騰する手前で海藻を取り出す。
汁を一口、マリネに飲ませた。
「……旨いっす」とマリネが言った。「何も入れてないのに」
「海藻から旨味が全部出た」
「こんな使い方があったとは知らなかったっす」
「この街の食堂でも使っているところは使っている。気づいていなかっただけだ」
マリネが「確かに」と言った。「あのスープ、いつもより旨みが強いと思ってたっす。そういうことか」
「見ていれば気づける」
「ルイさんはすぐ気づくんすね」
「すぐじゃない。食いながら考えていれば気づく」
* * *
夕方、ライルが「疲れないのか」と言った。
宿に戻る道だった。マリネが少し前を歩いていた。
「何が」
「今日、朝から食い続けていただろ」
「食い続けているわけじゃない。確認している」
「確認するのに食ってるだろ」
「そうだ」
「疲れないのかと聞いている」
俺は少し考えた。「疲れない」
「本当かよ」
「旨いものを食うのに疲れない」
「量はどうだ」
「腹は減る。全部少量だ」
ライルが「そういう問題じゃない」と言いかけて、止めた。言っても変わらないと思ったのかもしれない。
マリネが振り返った。「ルイさん、明日も色々試すんすか」
「ある」
「甲殻類がまだっすよね。昨日の競りで出てたやつ」
「爪が大きいやつか」
「ガルタ海老っす。高いんすけど、旨いっすよ」
「明日の競りに出るか」
「たぶん出ます。うちの親父が狙ってたんで、交渉してみます」
「頼む」
マリネが「任せてくださいっす」と言って前を向いた。
ライルが俺に小声で「お前、マリネをうまく使ってるな」と言った。
「使っているわけじゃない」
「本人が喜んでやってるから問題ないが」
「役割がある方がいいだろ」
「まあな」
坂を下りた。港の灯りが見えた。
* * *
宿に戻る前に、俺は市場に寄った。
一人だった。ライルとマリネには先に戻っていてもらった。
探しているものがあった。
発酵に使える容器だ。陶器の小壺。蓋が閉まるもの。持ち運べる大きさ。
市場の端に陶器を並べている店があった。白壁に囲まれた小さな店だ。老人が一人で番をしていた。
壺を一つ手に取った。蓋の合わせ目が精巧だった。密閉できる。
「それは塩漬け用だよ」と老人が言った。
「発酵に使いたい」
「発酵か。何を作る」
「魚だ。魚と塩で仕込む」
老人が少し眉を上げた。「魚醤を作るのか」
「似ているものだ。もう少し短期間で仕上げるつもりだ」
「冒険者が発酵食品を仕込むのは珍しいな」
「旅の途中でも食えるものが要る」
老人がしばらく俺を見ていた。それから「その壺、銅貨三十枚だ」と言った。
買った。
宿に戻って、壺の中を確認した。臭いはない。清潔だ。
今日、港で仕入れた魚の端材があった。競りで安くなっていた部位だ。これと塩を合わせる。比率は前世の記憶から引っ張り出した。魚と塩の割合。仕込む温度。熟成にかかる時間の目安。
全部レコードにある。
仕込んだ。
壺に入れて、蓋を閉めた。
「何を作ってるんすか」とマリネが覗き込んできた。部屋に入ってきていた。ノックした音は聞いていなかった。
「発酵食品だ」
「発酵っすか」
「魚と塩を合わせて、時間をかけて熟成させる。旅の調味料になる」
「いつ完成するんすか」
「早くて一月。しっかり仕上げるなら三月はかかる」
「ヴェルサにいる間には完成しないっすね」
「しない。旅をしながら持ち歩く」
マリネが「旅の途中で完成するやつを仕込んでいくんすか」と言った。少し感心した顔だった。
「そういうことだ」
「なんか、すごいっすね」
「今日何回言った」
「何回でも言いますよ。すごいっすもん」
ライルが部屋の入り口から「俺の部屋にいたんじゃなかったのか」とマリネに言った。
「ルイさんが何かしてると思って」
「何かしてるのはいつものことだろ」
「それはそうっすけど」
俺は壺の蓋をもう一度確認した。しっかり閉まっている。
これが完成するのは、ヴェルサを出た後だ。どこかの街道で、どこかの野営地で、蓋を開ける日が来る。
旅を続ける小さな理由が一つ増えた。




