第28話「本気」
ギルドで三層の魔物について聞いた。
受付嬢——アネットという名前だと最近知った——が記録台帳を出してきて、該当する魔物を探してくれた。甲殻、六本足、暗緑色、角が二本。
「イアンガルドですね」
アネットが台帳を指で示した。
「ランクは」
「Cランクです。三層の主みたいな魔物で、縄張りが広い。出会ったら逃げるのが正解と言われています」
隣でライルが「だから言っただろ」という顔をした。口には出さなかった。
「倒した冒険者はいるか」
「います。ただBランク以上のパーティが複数人で、という記録ですね」
「わかった。ありがとう」
台帳を返して、ギルドを出た。
「まさか倒すつもりじゃないよな」
ライルが外に出た瞬間に言った。
「倒すつもりはない」
「よかった」
「でも、また会ったときのために動きは把握しておきたい」
「似たようなもんだろ」
俺は歩きながら頭の中でイアンガルドの動きを反芻した。前足の軌道、踏み込みの角度、甲殻の隙間。記録は鮮明だ。隙間は首の付け根と、六本足の関節の裏にある。速度は速いが、方向転換に一瞬の溜めがある。
倒せる。条件が揃えば。
ただ今は倒すことが目的じゃない。三層の奥に何があるかを確認することが先だ。
* * *
翌日、三層に潜った。
いつもの通路、いつもの分岐。かまどの場所を過ぎて、昨日穴を開けた壁の前に来た。ライルが開けた穴は完全に塞がれていて、跡もほぼわからない。
「精度が高いな」
「土魔法は得意な方だから」
ライルが少し得意そうな顔をした。珍しい。
先に進んだ。細い通路を抜けて、縦穴状の広間に入る。昨日イアンガルドがいた場所だ。今は気配がない。縄張りがあるなら、同じ場所に毎日いるとは限らない。
広間の奥に、昨日見えた橙色の光があった。
近づいた。
岩の割れ目から、橙色に光る液体が滲み出ていた。粘度が高い。流れずにじわじわと染み出して、岩の表面で固まりかけている。臭いを嗅いだ。甘い。かすかに花に似た香りがする。
「これ、何だ」
ライルが後ろから覗き込んだ。
「わからん。でも面白い」
「また食う気か」
「まだ判断できない。記録だけしておく」
手帳に書き留めた。色、粘度、臭い、固まり方、岩の種類。ナイフで少量だけ削り取って布に包む。
その時だった。
気配を感じた。
背後、やや右。音はない。でも空気の動き方が変わった。
「ライル、左に跳べ」
言い終わる前に動いていた。
イアンガルドが広間の入口から飛び込んできた。昨日より速い。縄張りに入ってきた相手への警戒が、初回より高くなっているらしい。
ライルが左に転がった。イアンガルドの前足が空を切った。
俺は右に回り込んだ。棒を短く持ち直す。間合いが近い。この大きさの魔物を棒一本で捌くには、懐に入るしかない。
「火を使うか」
ライルが立ち上がりながら叫んだ。
「ガスがある。火は最小限にしろ」
「わかった」
イアンガルドが俺を向いた。六つの目が俺を捉える。前足が上がった。
来る。
記録の中の動きと、目の前の動きが重なった。前足が振り下ろされる前に、左足に重心が移る。その瞬間、右の脇腹が一瞬開く。
俺は踏み込んだ。
棒の先端を首の付け根の隙間に押し込んだ。甲殻の縁に沿って滑り込ませる。硬い。でも当たっている。体重を乗せて押し込んだ。
イアンガルドが甲高い声を上げた。
でも倒れなかった。頭を振って俺を弾き飛ばしてきた。俺は棒を離さず、衝撃を横に逃した。壁に背中が当たった。
「ルイ」
「大丈夫だ」
イアンガルドが向き直る。今度は俺ではなくライルを向いた。
ライルが右手を上げた。火球ではなく、小さな光弾を連射した。眩しい。目くらましだ。
六つの目が一斉に光を避けた。
その一瞬。
俺は全力で踏み込んだ。
棒を短く持って、首の付け根に全体重を乗せた突きを一撃。さらに同じ場所に続けて二撃。
レコードが動いた。棒術の記録、解体で得た生物の構造の知識、前世で見た格闘の動き——全部が一点に収束した。
三撃目で、何かが折れる感触があった。
イアンガルドが崩れ落ちた。
静寂。
俺は立ったまま息を整えた。手が少し震えていた。体力の消耗ではなく、全力を出し切った後の感覚だ。
「……倒した」
ライルが呆然と言った。
「倒れた」
「倒すつもりはないんじゃなかったのか」
「向こうが来た」
ライルが何か言いかけて、やめた。否定できない顔をしていた。
俺はイアンガルドに近づいて観察した。甲殻の内側、解体できるか——できる。ただ今は時間をかけたくない。気配がまた来るかもしれない。
「解体は最低限にする。素材だけ取って戻る」
「賛成」
首の付け根の甲殻を外した。内側に白い軟骨組織があった。それと、腹部に脂肪の塊。昨日の魔物より量が多い。
必要なものだけ取って、俺たちは広間を後にした。
* * *
三層を出て、二層、一層と登った。
出口の光が見えてきたところで、ライルが口を開いた。
「なあ」
「何だ」
「さっき、何かしたよな。あの三撃目」
俺は少し間を置いた。
「棒術だ」
「違う。俺、何度もお前の棒術見てる。あの動き、お前のいつもの動きじゃなかった」
ライルが立ち止まった。俺も止まった。
「それと、指先の光。昨日だけじゃない。今日も見えた」
俺はライルを見た。ライルの目が真剣だった。誤魔化せる顔じゃない。
「少しだけ使える」
「何を」
「魔法を」
ライルが固まった。
「……お前、魔法使えるのか」
「少しだけ。戦闘で使えるほどじゃない。魔力が足りない」
「なんで言わなかった」
「聞かれなかった」
ライルが額に手を当てた。深呼吸を一回した。
「どこで覚えた」
「お前を見ていた」
長い沈黙があった。
「……見ていたら使えるようになるのか、魔法が」
「俺の場合は、そういうことになる」
「それ、普通じゃないぞ」
「そうか」
「そうかじゃない」
ライルがしばらく何も言わなかった。出口の光の中に、夕暮れの色が混じり始めていた。
「魔法ってそういうもんじゃない」とライルが静かに言った。「生まれつきの適性があって、師匠について何年も修行して、それでやっと使えるようになるもんだ」
「そうなんだろうな」
「お前は」
「俺は、たぶん普通じゃない」
ライルがもう一度深呼吸した。それから、小さく笑った。乾いた笑い方だった。
「知ってた」
「知ってたのか」
「薄々は。お前、最初からどこかおかしかったから」
俺たちはダンジョンの外に出た。夕風が来た。
「一つだけ聞いていいか」
ライルが言った。
「何だ」
「危ないことに、その力を使うつもりか」
俺は少し考えた。
「旨いものを食うために必要なら使う」
ライルが長い息を吐いた。
「お前らしい答えだ」
呆れているが、怒ってはいない。そういう声だった。
宿への道を歩きながら、俺は今日の戦闘を反芻した。三撃目の感触。あれは今の俺の全力だった。でもまだ足りない部分がある。魔力が育てば、もう少し違う戦い方ができる。
それよりも今は、イアンガルドの脂をどう使うかだ。
あの脂は、きっと紫茸と合う。
ステータスオープン。
名前 :神崎ルイ
年齢 :17歳
レベル:12
称号 :転生者・森の征服者
【ユニークスキル】
記録 ※鑑定石・外部鑑定には映らない
【スキル】
棒術 :Lv.6
解体 :Lv.5
採取 :Lv.3
罠設置:Lv.2
野営 :Lv.2
調理 :Lv.4
隠密 :Lv.4
観察 :Lv.3
索敵 :Lv.1
レベルが上がっていた。索敵が入っていた。
気配を感じた、あの瞬間のことが、正式なスキルとして定着したらしい。
悪くない。




