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腹ペコ旅団、異世界を往く〜転生者は今日も腹を空かせる〜  作者: 大輔


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第27話「想定外」

 三層に慣れてきた頃が、一番危ない。


 前世でそういう話を聞いたことがある。登山でも、料理でも、慣れた頃に大きなミスをする。気が緩むからじゃない。慣れると想定の範囲が固まって、その外側への対応が遅れるからだ。


 俺はそのことを、三層に来て四日目に思い知った。


   *   *   *


 いつもの通路を進んでいた。


 昨日確認した分岐を右へ。かまどを設置している場所からさらに奥へ進むつもりだった。新しい食材の痕跡が、前日の探索でいくつか見つかっていた。岩壁に張り付く白い苔、水が滲み出す場所に群生する小さな植物、それから——通路の奥で一瞬見えた、橙色の光を放つ何か。


「今日はどこまで行く気だ」


 ライルが後ろで言った。


「橙色のやつを確認する」


「昨日のか。あれ、生き物じゃないのか」


「わからん。だから確認する」


 通路が細くなってきた。二人並んで歩けない幅だ。俺が先頭、ライルが後ろ。ライルの光球が足元を照らしている。


 細い通路を抜けた先に、広い空間があった。


 天井が高い。縦穴に近い構造で、壁に沿って石の段差が連なっている。水が染み出す音がする。湿度が高い。


 そして、空間の中央に——。


「……でかい」


 ライルの声が低くなった。


 魔物だった。


 全長は三メートルを超えている。四足歩行で、胴体が太い。甲殻に覆われていて、背面が暗緑色。頭部に角が二本。六本の足の先が鋭く尖っている。目は俺たちの方をすでに向いていた。


 出会い頭だった。互いに同時に気づいた。


 逃げるか。


 一瞬で判断した。細い通路を背中向きに走るのは遅い。この魔物の足が速ければ追いつかれる。かといって、この大きさと甲殻を正面から突破するのは——。


「ライル、右の壁に穴を開けられるか」


「どのくらい」


「人が一人通れれば十分」


「五秒くれ」


 魔物が動いた。


 速い。六本足が石床を蹴る音が響いた。俺は棒を正面に構えて、真っ直ぐ向かってくる頭部を横に弾いた。金属を叩いたような感触。硬い。甲殻が厚い。


 でも、動きは止まった。一瞬だけ。


「穴、開いた」


 ライルの声。


「先に行け」


「お前は」


「すぐ行く。囮をやる」


 ライルが一瞬躊躇した。でも動いた。穴に向かって走る足音。


 俺は魔物の正面に立ったまま、棒を構え直した。


 目を見た。六つの目が俺を捉えている。知性があるかどうかわからない。でも、今は俺に注意が向いている。それでいい。


 魔物が再び踏み込んできた。今度は頭部ではなく、前足の一本が横に薙いできた。俺は後ろに跳んで間合いを取った。足の先が風を切る音がした。当たっていたら深い傷になっていた。


「ルイ、こっちに来い」


 ライルの声が穴の向こうから聞こえた。


 俺は魔物の視線から外れるよう横に走り、穴に向かった。狭い。肩が石にぶつかる。構わず通り抜けた。


 抜けた先で、ライルが壁に手を当てて穴を塞いでいた。石が唸る音がして、穴が消えた。


 向こうで魔物が壁に体当たりする音がした。石が揺れた。でも崩れなかった。


「……大丈夫か」


 ライルが息を切らして言った。


「問題ない」


「問題ない、じゃないだろ」


「怪我はしていない」


 ライルが俺をじっと見た。肩に視線が止まった。


「血が出てる」


 見ると、袖が破れて皮膚が薄く裂けていた。前足が掠めていたらしい。気づかなかった。


「少しだ」


「少しでも血は血だ」


 ライルが荷袋から布を取り出した。黙って差し出してきた。俺は受け取って傷に当てた。


 少し間があった。


「あの魔物、何だったんだ」


「わからん。見たことない」


「三層にあんなのがいるなら、事前に調べるべきだったな」


「そうだな」


 俺は素直に認めた。油断ではない。でも情報が足りなかった。次はギルドで三層の魔物について聞いてから潜る。


「お前が『そうだな』って言うの、珍しい」


「間違いは認める」


「……なんか、それはそれで怖いな」


 ライルが短く笑った。緊張が抜けてきた笑い方だ。


   *   *   *


 来た道を慎重に戻りながら、俺は今の戦闘を頭の中で整理した。


 レコードが動いていた。戦闘中も記録は止まらない。魔物の動き、前足の軌道、甲殻の硬さと厚み、六本足の踏み込みの順番——全部記録されている。


 それから、ライルの魔法も。


 土魔法で壁を開いて閉じる。五秒。精度が高い。俺の指示を聞いてから迷いなく動いた。あの状況で五秒は速い。


 俺はライルの魔法の動きを記録の中で反芻した。術式の組み立て方、魔力の流し方——前よりずっと鮮明に捉えられている。記録の精度が上がっているのか、それともライルの魔法を間近で見る機会が増えて馴染んできたのか。


 手のひらに意識を向けた。


 指先から、ごく薄い光が滲んだ。すぐに消えた。


 魔力が少ない。まだ全然足りない。でも、出ることは出る。


「なあ」


「何だ」


「お前、今何かしたか」


 ライルが怪訝な顔でこちらを見ていた。


「何もしていない」


「指先が光った気がしたんだけど」


「気のせいだろ」


 ライルが俺を見つめた。少し間があった。


「……お前、絶対何かしてるよな」


「してない」


「してないって顔じゃない」


 俺は前を向いて歩き続けた。ライルがため息をついた。追及はしてこなかった。でも、納得もしていない顔だった。


 出口の光が見えてきた。


 今日は退いた。でも収穫はある。あの魔物の動きは記録した。甲殻の隙間も見えた。次に会うときは、もう少しうまくやれる。


「今日の飯、何にする」


 出口に近づきながら聞いた。


「今その話か」


「腹が減った」


 ライルが盛大にため息をついた。でも答えた。


「昨日の茸の残り、まだあるだろ」


「ある」


「それでいい。俺もあれが食いたい」


 俺は少し意外に思った。ライルが自分から食べたいものを言うのは、それほど多くない。


「わかった」


「あと、傷の手当てを先にしろよ」


「わかった」


 夕暮れのドラスに出た。風が涼しかった。肩の傷がじんと痛んだが、それより腹が減っていた。



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