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腹ペコ旅団、異世界を往く〜転生者は今日も腹を空かせる〜  作者: 大輔


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第25話「名前のない茸」

 宿に戻って最初にしたのは、白い塊の観察だった。


 布を広げて机の上に置く。拳よりひと回り小さい。表面は滑らかで、脂肪組織に近い質感だ。押すと少し弾力がある。臭いを嗅いだ。無臭に近い。かすかに甘い匂いがする。


「それ、本当に食うのか」


 ライルが椅子に座りながら言った。


「まだ決めてない」


「決めてないのにそんなに真剣に嗅ぐな」


 俺は無視して観察を続けた。断面を少し切り取って、指で潰してみる。じんわりと油分が滲み出た。やはり脂だ。この魔物が体内に持つ特殊な器官——おそらく発光か、あるいは体温維持のための組織だろう。それが脂質を多く含んでいる。


 加熱したらどうなるか。


 生のまま食ったらどうなるか。


 毒の可能性は。


「……なあ」


「何だ」


「お前、今ものすごく楽しそうな顔してる」


「そうか」


「自覚ないのか」


 自覚はあった。ただ特に言うことでもない。


 白い塊はひとまず塩を薄く当てて布に包み直した。今日は食わない。もう少し様子を見る。明日、少量だけ加熱して反応を確認する。それからだ。


   *   *   *


 翌日、再び三層に潜った。


 今度は目的がある。昨日確認したガス溜まりの手前、その周辺を重点的に調べる。火気禁止区域の入口付近は他の冒険者も近づかない。つまり、誰にも荒らされていない区域だ。


「昨日の目印、ちゃんとある」


 ライルが壁の傷を指でなぞった。


「当然だ」


 俺は先を進んだ。昨日と同じ分岐を左へ。空気が湿っていく。足元の石が滑りやすくなる。


 ガスの匂いが近づいてきたところで、足が止まった。


 通路の脇、壁の窪みに何かが生えていた。


 茸だ。


 傘の直径は十センチほど。色は深い紫で、縁が白く縁取られている。柄が短く、岩に直接張り付くように生えている。群生ではなく、一本だけ。周囲に同じものは見当たらない。


「これ、知ってるか」


 ライルを振り返った。


 ライルが首を傾けた。


「……見たことない。図鑑でも見た記憶がない」


「そうか」


 俺はしゃがんで観察した。傘の裏を見る。ひだが細かく、密に並んでいる。触れてみた。硬い。水分が少ない。乾燥した環境に適した構造だ。それなのに、こんな湿った場所に生えている。


 不思議だ。


 臭いを嗅いだ。かすかに甘い。それから——何か別の匂いが混じっている。スパイスに近い、刺激的な香りだ。前世でも嗅いだことのない匂い。この世界にしかないものだ。


「採るのか」


「採る」


「食うのか」


 少し間を置いた。


「わからん」


「わからんのに採るのか」


「わからんから採る」


 ライルが額に手を当てた。呆れているが、止めはしなかった。


 解体ナイフを出して、根元からゆっくり切り取る。岩への張り付きが強く、少し力が要った。切り取った瞬間、香りが強くなった。傷口から揮発成分が出ているらしい。


 布に包んで袋に入れた。


   *   *   *


 そのまま奥へ進もうとしたら、ライルに袖を引かれた。


「待て。ガスが濃くなってる」


 鼻で確認した。確かに。昨日より濃い。風向きが変わったか、あるいは自然な濃度の変動か。


「今日はここまでにするか」


「珍しく素直だな」


「無理をする理由がない。茸は採れた」


 ライルが少し目を細めた。


「お前が撤退を言い出すとは思わなかった」


「食材が手に入れば目的は達成だ。死んだら食えない」


「……それ、すごく正しいんだけど、なんかズレてる気がする」


「ズレてるか?」


「普通は『死んだら意味がない』って言うんだよ。お前は食えなくなるから死ねないって発想だろ」


 俺は少し考えた。


「同じじゃないか」


 ライルがまた笑った。今日は二回目だ。最初の頃は笑わない男だと思っていた。


 帰り道、俺は袋の中の茸のことを考え続けた。


 紫色の傘。白い縁。岩に張り付く根。スパイスに似た香り。


 名前がない。この世界に存在する茸で、まだ誰も名前をつけていないか、あるいは名前があっても俺が知らないだけか。どちらでもいい。今は食えるかどうかだけが問題だ。


 宿に戻ったら、まず昨日の白い塊を少量加熱する。それで問題がなければ、明日は茸の番だ。


 一つずつ確かめる。焦らない。旨いものを食うには手順がある。


   *   *   *


 夜、鉄鍋に白い塊を小指の爪ほど切り取って、弱火にかけた。


 じわじわと溶け始めた。透明な油になった。焦げる匂いはしない。嫌な匂いもしない。甘い香りが立った。


「……いい匂いだな」


 ライルが鍋を覗き込んだ。


「ああ」


「食うのか」


「少しだけ」


 溶けた油を指の腹に一滴だけつけて、舐めた。


 甘い。それから、じんわりと旨みが広がった。後味にかすかな苦みがある。毒の反応ではない。これは複雑な脂の味だ。


「どうだ」


「旨い」


「即答だな」


「旨いものは即答できる」


 ライルが苦笑した。


「明日、茸を試す。お前も食うか」


「……お前が食って死なかったら食う」


「俺が先に食うのが前提なのか」


「当たり前だろ」


 俺は特に反論しなかった。確かに順番としては正しい。


 白い塊の残りを布に包み直した。この脂は使い道がある。あの茸と合わせたらどうなるか。明日が楽しみだ。


 窓の外、ドラスの夜はまだ賑やかだった。

 


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