第2話「最初の魔物」
朝が来た。
焚き火はとっくに消えていて、灰だけが残っていた。夜露で草が濡れている。鳥の声が遠くから聞こえて、木々の隙間から朝の光が斜めに差し込んでいた。
俺は寝袋も毛布もなしに、落ち葉をかき集めた上で眠っていた。体が痛いかと思ったが、案外そうでもない。転生した体は元の俺より頑丈にできているらしかった。
むくりと起き上がって、まず川へ向かう。
顔を洗って、水を飲んだ。冷たい。目が覚める。
腹が鳴った。
「わかってる」
返事をしても仕方ないが、なんとなく言ってしまった。昨夜の残り火で焼いておいた魚が一匹ある。それをかじりながら、今日の算段を立てた。
食料の確保。水の確保。そして、この森がどこまで続いているのかの把握。
優先順位はこの順番だ。
* * *
異変に気づいたのは、昼をとっくに過ぎたころだった。
森の奥へ踏み込んでいくにつれて、鳥の声が消えた。風も止んだ。木々の密度が上がって、地面に届く光が減っていく。
足音を殺して歩いていると、前方の茂みが揺れた。
大きな揺れ方だった。風でも小動物でもない。
俺は足を止めた。
茂みの向こうから現れたのは、犬に似た生き物だった。ただし、犬の二倍はある。毛並みは灰色で、目が赤く光っている。口元から牙が覗いていて、低いうなり声が腹の底に響いた。
魔物だ。
頭でそう認識した瞬間、体が動いていた。
逃げる方向を瞬時に計算して、後ろへ跳ぶ。魔物が飛びかかってきた爪が、俺のいた場所の空気を切り裂いた。
木の幹を背にして、正面から向き合う。
「……でかいな」
改めて見ると、肩の高さが俺の胸くらいまである。体重は軽く百キロを超えているだろう。素手でどうにかなる相手じゃない。
俺は地面に落ちていた太い枝を拾い上げた。
魔物が再び跳びかかってくる。
その動きが、俺の目にはやけにはっきりと見えた。
踏み込む前足の角度。体重移動のタイミング。跳躍の頂点で一瞬だけ体が止まる癖。全部が、まるでスローモーションのように頭の中に記録されていく。
レコードが、勝手に動いている。
頂点で止まった瞬間、俺は横に踏み出した。爪が空を切る。そのまま魔物の側頭部めがけて枝を叩き込んだ。
鈍い音がした。
魔物がよろめく。怒りに満ちた唸り声が上がった。
「もう一回来い」
来た。
今度は低く、地を這うような突進だった。正面から受けたら吹き飛ぶ。俺は左に体を流しながら、すれ違いざまに魔物の後ろ足の関節を枝で打った。
急所ではない。でも、足が一瞬もつれた。
その隙に距離を取る。
三度目の突進。さっきより速い。ただ、動き方のパターンはもう頭に入っていた。踏み込みの角度が同じだ。右前足に体重が乗るタイミングで、俺は真正面に踏み込んだ。
枝の先端を、魔物の眉間に叩き込む。
ごきり、という音とともに、魔物がその場に倒れた。
しばらく脚をばたつかせていたが、やがて動かなくなった。
「……勝ったか」
息が上がっていた。手が少し震えている。二十年生きてきて、死にそうになったのは昨日の転生と今日が初めてだ。
でも不思議と、怖いというより、面白かった。
レコードが戦闘中も勝手に動いていたことに気づいていた。攻撃パターン、体重移動、隙のタイミング——全部が記録されて、体が自然とそれを利用していた。
考えるより先に体が動く。記録した情報が、まるで長年の経験のように体へ馴染んでいく。これが俺の能力の本質なのかもしれなかった。
「これは、使える」
呟いて、ステータスオープンと口にした。
【ステータス】
名前 :神崎ルイ
年齢 :17歳
レベル:2
経験値:40/200
称号 :転生者
【ユニークスキル】
記録
【スキル】
棍術:Lv.1
レベルが上がっていた。それと、棍術というスキルが増えている。
戦闘中に枝を振り回していたのが、スキルとして定着したらしい。
「インストール、ってこういう感覚か」
試しに棍術のスキル欄に触れてみると、説明文が展開された。
『棍・杖・棒状の武器を用いた戦闘技術。経験の蓄積によりレベルアップする』
シンプルだ。わかりやすい。
倒れた魔物を見下ろした。灰色の毛並みが、朝の光に照らされている。
「せっかくだから食うか」
食えるかどうかはわからない。でも、記録には「この魔物の肉質」の情報が残っている。戦闘中に体に触れた瞬間、レコードが勝手に記録していたのだ。
締まった筋肉質の肉。脂は少ないが、旨味成分は豊富なはずだ。
焼けば食える。
俺は枝を使って魔物を解体し始めた。見よう見まねで動画で見た知識を再現していく。手が自然と正しい動きをする。レコードのおかげだ。
川へ戻って肉を洗い、焚き火を起こした。
岩の上に肉を乗せて、じっくりと火を通す。脂が少ない分、焦がさないように加減が要る。表面に焼き色がついたころ、かじりついた。
「……うまい」
硬い。だが、嚙むほどに旨味が出てくる。野生の肉の力強さだ。昨日の川魚とはまるで違う。あれが繊細な旨さなら、こっちは荒削りで骨太な旨さだ。塩があれば完璧だった。いや、塩だけじゃない。香辛料があれば、もっと化けるはずだ。
「この世界に胡椒はあるんだろうか」
独り言を言いながら、二口目をかじる。
魔物を倒したことへの緊張は、飯を食い始めた瞬間にどこかへ消えていた。喜びも達成感もそれほどない。ただ、腹が膨れる充実感だけがある。
腹を満たしながら、空を見上げた。
木々の隙間から、青い空が見える。
強くなれる気がした。この世界でどうやって生きていくかは、まだ何もわかっていない。でも、飯が旨くて、体が動いて、記録が積み重なっていく。
レコードが蓄積するたびに、俺は少しずつこの世界を自分のものにしていく。
それだけで、今日は十分だと思った。
明日はもう少し奥へ行ってみよう。旨い食材と、強い魔物が待っているかもしれない。どちらも、今の俺には必要なものだった。




