第19話「交易街ドラス、最初の一皿」
ドラスが見えてきたのは、夕方だった。
丘を越えたところで、街が広がっていた。
でかい。今まで来た街より明らかに大きい。建物の数が違う。街道が何本も交わっている。城壁はないが、代わりに街の入り口に検問所があった。旅人の列ができている。
「大きいな」とライルが言った。
「交易街だからな」
「活気が違う。匂いもする」
風が来た。
俺は鼻で吸い込んだ。
色々な匂いが混ざっていた。焼いた肉、香辛料、何か甘いもの、魚、煙。一つ一つが違う。重なって、街の匂いになっている。
知らない匂いがあった。
複数ある。はっきりとはわからないが、確実にある。今まで嗅いだことのない組み合わせ。
「……どうした」とライルが言った。
「匂いを嗅いでいた」
「歩きながら嗅ぐな。止まってるぞ」
知らない間に足が止まっていた。
「行くぞ」
「お前が止まってたんだが」
* * *
検問所で名前とパーティ名、ランクを告げた。
係の男が書類に書き込みながら、ちらっとこちらを見た。
「腹ペコ旅団」
「そうだ」
「……変わった名前ですね」
隣でライルが小さく息を吐いた。
「よく言われる」と俺は答えた。
通してもらった。
街の中に入った瞬間、匂いが変わった。外より濃い。色々な匂いが層になっている。
市場が見えた。屋台が並んでいる。旅人と商人と地元の人間が混ざって歩いている。声が飛び交っている。
「まず宿を取る」とライルが言った。
「その前に市場を見たい」
「宿が先だ。荷物を置いてからにしろ」
「……わかった」
ライルが少し驚いた顔をした。
「珍しく素直だな」
「合理的だと思った」
「お前が他人の意見を合理的と判断するのが珍しい」
「そうか」
「そうだよ」
宿を探した。ライルが街の造りを読みながら歩いた。交易街の経験があるらしく、宿の場所の見当がついているようだった。
「市場の近くは高い。一本外れた通りの方がいい」
「任せる」
「本当に任せるのか」
「宿の選び方はお前の方が詳しい」
ライルがまた少し驚いた顔をした。でも今度は何も言わなかった。
* * *
宿は市場から二本外れた通りにあった。
清潔だった。飯付きで銀貨二枚。少し高いが、ドラスの相場はこのくらいらしい。ライルが交渉して、少し安くした。
「交渉できるのか」と宿を出てから聞いた。
「D冒険者の証を見せた。長期滞在の可能性があると言った」
「長期滞在するのか」
「するかもしれないだろ。お前次第だが」
俺は少し考えた。
「食材次第だな」
「やっぱりそこか」とライルが笑った。声が出た。「まあ、いい。行くぞ、市場」
* * *
市場は広かった。
屋台が二十軒以上並んでいる。売っているものが全部違う。野菜、肉、魚、乾物、香辛料、加工品。
俺はゆっくり歩いた。
見たことのない野菜があった。赤紫色の根菜で、拳くらいの大きさだ。触ってみた。固い。匂いを嗅いだ。土の香りと、微かに甘いもの。
「これは何だ」と屋台の男に聞いた。
「ベルタですよ。東の砂漠の国から来た根菜です。煮ると甘くなる」
「食ったことがある人間はこのあたりに多いか」
「旅人に人気ですよ。珍しいんで」
一つ買った。銅貨三枚。
隣の屋台に乾燥した豆があった。見たことのない種類が三種類。全部少量ずつ買った。
次の屋台に香辛料があった。小瓶が十数種類並んでいる。宿場町で買ったものと似た系統のものもある。全部蓋を開けさせてもらって、匂いを嗅いだ。
屋台の女性が最初は面倒そうにしていたが、俺が一つ一つに反応するのを見て、興味ありそうな顔になった。
「旅人さん、料理をするんですか」
「する」
「珍しいですね、冒険者で」
「よく言われる」
「これとこれを合わせると面白いですよ」と女性が二つの小瓶を指した。「東の料理でよく使う組み合わせです」
嗅いでみた。
確かに合う。一方が温かくて丸い香り、もう一方が鋭くて乾いた香り。単体より重なった方が立体的になる。
「両方くれ」
ライルが隣で見ていた。
「さっきから顔が違う」
「そうか」
「市場に入ってから目の色が変わってる。さっきまでと別人みたいだ」
俺は少し考えた。
「旨いものの気配がする」
「気配」
「まだ食っていないが、わかる。この街には俺が知らないものがある」
ライルが少し黙った。
「……楽しそうだな」
「楽しい」
素直にそう思った。正直に言った。
ライルが今度はちゃんと声を出して笑った。
「そうか。じゃあ今夜の飯、期待してもいいか」
「ああ」
「珍しく即答したな」
「今日買ったもので作る。宿で火を使わせてもらえるか交渉してくれ」
「また俺か」
「お前の方が交渉がうまい」
ライルが「わかった」と言って、少し得意そうな顔をした。
* * *
宿の主人に頼んで、厨房の隅を少し使わせてもらった。ライルが「冒険者の料理人が腕試しをしたい」とうまく言った。主人は最初渋ったが、失敗したものを賄いに出すという条件で折れた。
俺はベルタを煮た。固いから時間がかかる。その間に、買ってきた豆を水で戻した。香辛料を合わせた。グラスボアの残りの肉を薄く切って、香辛料をまぶして焼いた。
ベルタが柔らかくなった。煮汁を味見した。甘い。予想通りだった。香辛料を少し足した。バランスが取れた。
豆を加えた。火を調整した。
匂いが変わった。
今まで作ったことのない匂いだった。知っている素材と知らない素材が混ざって、知らない何かになっていく。その瞬間が好きだ。
「……何を作ってるんだ」
ライルが厨房の入り口から覗いていた。
「まだわからない」
「え」
「食べてみないとわからない。初めての素材だから」
「わからないまま作るのか」
「作りながら決める」
ライルが何か言いかけて、やめた。
盛り付けた。煮込んだベルタと豆、香辛料をまぶした肉。見た目は地味だ。でも匂いは悪くない。
「食え」
ライルが受け取った。一口食った。
今回は少し時間が経ってから、声が出た。
「……なんだこれ」
「旨いか」
「旨い。でも知らない味だ。食ったことがない」
「俺も初めて作った」
「初めてでこれか」
「素材が良かった」
「また素材のせいにする」ライルが二口目を食った。「ベルタって根菜、甘いな。でも甘すぎない。香辛料が引き締めてる」
「わかるようになってきたな」
「お前のせいだと言っただろ」
宿の主人が様子を見に来た。残りを味見した。しばらく黙っていた。
「……これ、売れますよ」と主人が言った。
「売らない」
「なぜです」
「俺が食う分しか作っていない」
主人が苦笑した。ライルが笑った。声が出た。
俺も、少し口の端が上がった。




