第18話「道中二日目、宿場町の飯」
二日目の朝は霧が出た。
視界が白い。草原が霞んで、街道の先が見えない。足元だけが見える。そういう朝だった。
ライルが荷物を背負いながら空を見た。
「霧か。晴れるか」
「昼前には晴れる」
「なんでわかる」
「風がある。霧は流れる」
ライルが少し空を見て、「そういうものか」と言った。
歩き始めた。
霧の中の草原は静かだった。鳥の声だけが聞こえた。足音が草を踏む音がした。昨日より風が冷たい。季節が動いている。
腹が減っていた。朝飯はまだだ。
「川があれば止まる」
「昨日みたいにか」
「そうだ」
「……毎食、野外で作る気か」
「宿場町に着けば屋根の下で食える」
「それまでは」
「野外だ」
ライルが溜め息をついた。でも足は止めなかった。
* * *
霧の中を三十分ほど歩いたところで、街道沿いに水音が聞こえた。
昨日より細い川だった。でも澄んでいる。飲める。
「ここにしよう」
「異論なし」
火を起こした。昨日解体したグラスボアの肉が残っている。塩漬けにしておいた分だ。それを薄く切って、石の上で焼いた。脂が出た。香草を一つまみ乗せた。
霧の中に煙が混ざった。
匂いが広がった。塩漬けの肉は水分が抜けているぶん、旨みが凝縮している。焼くと表面がすぐに色づく。薄く切ったから火の通りも早い。
「早いな」
「薄く切ったからだ」
「それだけで変わるのか」
「厚みで火の入り方が変わる。朝は薄い方がいい」
ライルが受け取った。一口食った。
「……塩が立ってる」
「塩漬けだからな。水で少し戻してから焼いた」
「そんな手順があるのか」
「塩が強すぎると肉の味が消える」
ライルがもう一枚取った。黙って食った。
霧が少しずつ薄くなってきた。風が出てきた。草原の向こうに光が見え始めた。
「晴れてきたな」
「言っただろ」
「……素直に感心するのが悔しい」
俺は答えなかった。
川の水で手を洗って、荷物をまとめた。
* * *
昼過ぎに宿場町が見えてきた。
小さかった。建物が十数軒、街道沿いに並んでいるだけだ。宿が二軒、食堂が一軒、雑貨屋が一軒。旅人が一泊するためだけに存在している場所だ。
「思ったより小さいな」とライルが言った。
「十分だ」
「何が」
「飯が食える。屋根がある。それで十分だ」
ライルが少し笑った。声を出さない笑い方だった。
「お前の基準は常にそこだな」
「違うか」
「違わないけど」
食堂に入った。
中は狭かった。テーブルが四つ。先客が二人、旅人らしい男たちが無言で飯を食っていた。
給仕の女性がやってきた。年配だ。愛想はないが悪くもない。
「何にしますか」
「今日の飯は何だ」
「シチューとパンです。あとは串焼きが一種類」
「串焼きは何の肉だ」
「ホーンラビットです」
「それをくれ。シチューも」
ライルも同じものを頼んだ。
待つ間、俺は店の中を見た。調味料が棚に並んでいる。見慣れないものが一つある。茶色い粉が入った小瓶だ。
「あれは何だ」とライルに聞いた。
「どれ」視線を追った。「ああ、スパイス系だな。この辺の街道沿いで採れるやつじゃないか。詳しくは知らないが」
「買えるか」
「食堂の棚のものを買う気か」
「聞くだけだ」
料理が来た。
串焼きを見た。火の入り方が均一じゃない。悪くはないが、もう少し遠火でじっくりやれば良くなる。シチューは根菜が多い。出汁が薄い。肉の量が少ない。
でも食える。
食った。
「……普通だな」とライルが言った。
「普通だ」
「お前の飯に慣れると、外の飯が物足りなくなるな」
俺は少し考えた。
「そうか」
「そうだよ。気づいてなかったのか」
「気にしていなかった」
ライルが苦笑した。今度は少し声が出た。
「参ったな、それは」
* * *
飯を食い終えてから、給仕の女性に声をかけた。
「棚のあの小瓶、売ってもらえるか」
女性が棚を振り返った。
「これですか。構いませんが、何に使うんです」
「料理に使う」
「旅人さんが料理を。珍しいですね」
「銅貨で買える値段か」
「五枚でいいですよ。残り少ないし」
銅貨を払って小瓶を受け取った。蓋を開けて匂いを嗅いだ。
温かい匂いだった。木の香りに近い。少し甘くて、後から辛みが来る。嗅いだことがない組み合わせだった。
「何の匂いだ」とライルが覗き込んだ。
「わからない。でもいい」
「嗅いだだけでわかるのか」
「大体はわかる」
「……化け物みたいな鼻してるな」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めてない」
でもライルは少し興味ありそうな顔をしていた。
* * *
宿を取った。一泊銀貨一枚。二人で部屋を分けた。
夕飯は宿の食堂で食った。昼と似たような飯だった。悪くない。でも昼よりシチューの出汁が濃かった。宿の料理人の方が腕がある。
「昼より旨いな」とライルが言った。
「出汁が違う。骨を長く煮ている」
「そこまで見るのか」
「飲めばわかる」
ライルがスープを一口飲んで、少し目を細めた。
「……言われてみれば、確かに違う」
「わかるようになってきたか」
「お前のせいだ」
「俺のせいではない」
「いや、お前のせいだ。一緒にいると飯のことばかり考えるようになる」
俺は少し考えた。
「それは良いことだと思うが」
「……まあ、悪くはない」
ライルが珍しく先にパンに手を伸ばした。昨日より食いっぷりが良かった。
明日の朝に出れば、夕方にはドラスに着く。
そこに何があるかは、まだわからない。
でも腹が減っている。それだけで、歩く理由には十分だった。




