第17話「道中一日目、草原と肉と、それだけ」
街道は真っ直ぐだった。
草原の中を一本の道が北東へ伸びている。左右に遮るものがない。森にいたときとは全然違う。視界が広すぎて、最初は少し落ち着かなかった。
今は慣れた。
歩き始めて二時間ほど経つ。ライルは黙って隣を歩いている。特に話すこともなかった。
草原の風が横から来た。草がまとめてなびいた。
遠くに茶色い影がいくつか動いている。ホーンラビットだろう。あのサイズなら食べでがある。足が速そうだが、罠を使えばいける。
「あれ、取れるか」
ライルが視線の先を見た。
「ホーンラビットか。走らせたら速いぞ」
「罠を使う」
「道中で罠を仕掛ける気か」
「昼飯の話をしている」
ライルが少し黙った。
「……街を出て最初の話題がそれか」
「腹が減る前に考えておくのが合理的だ」
「合理的……、まあ、否定はできんけど」
街道を外れて草原に踏み込んだ。ライルが「依頼でもないのに」と言いながらついてきた。
* * *
罠を仕掛けるのに、そう時間はかからなかった。
森でやっていたことと基本は変わらない。ただ草原は隠れる場所が少ないぶん、誘導の工夫がいる。風向きを読んで、草の陰に仕掛けた。
待った。
十数分で一頭かかった。
首の付け根に棒を入れて仕留めた。ホーンラビットは思ったより大きかった。角が太い。成体だ。
「あっさり取るな」
「手応えはあった」
「そうは見えなかった」
解体に入った。草原に座り込んで、ナイフを使う。手順は体に入っている。内臓を分けて、皮を剥いで、肉を取り出す。脂の乗りを確認した。悪くない。
「食える部位はどこだ」とライルが聞いた。
「全部」
「全部か」
「捨てるところがない。内臓も下処理すれば使える。今日の昼は後ろ脚にする」
「今夜の分まで考えてるのか」
「当然だ」
ライルが何か言いたそうにしたが、やめた。
* * *
街道に戻って少し歩いたところに、細い川があった。
水を確認した。澄んでいる。飲める。
「ここで昼にする」
「異論なし」
火を起こした。後ろ脚を切り分けて串に刺した。塩を振った。それだけだ。余計なものはいらない。
脂が落ちて、炎が揺れた。
匂いが来た。
草原で育ったホーンラビットの脂は、森の獣と少し違う。青草の香りが混ざっている。それが火を通すと甘みに変わる。焼けていくにつれて匂いが変わっていくのがわかった。
「……いい匂いだな」
ライルが川の方を向いたまま言った。
「まだだ」
「わかってる」
もう少し。表面の色が変わって、脂が透き通ってきたら。
指で押した。弾力があった。もう一回転させて、火から上げた。
「食え」
ライルが受け取った。かぶりついた。
声が出なかった。
俺も食った。
噛んだ瞬間に肉汁が出た。草の香りと脂の甘みが一緒に来た。塩が全部をまとめた。後味に青みが残った。悪くない。かなり良い。
「うまい」
ライルがぽつりと言った。
「塩だけでこうなるのか」
「素材が良かった」
「それだけじゃないだろ」
「火の入れ方もある」
「……お前に料理を習う日が来るとは思わなかった」
「別に教えてない」
川の音が聞こえた。風が草を揺らした。
二本目を焼いた。今度は少し火から遠ざけて、ゆっくり時間をかけた。脂が均一に回る。そっちの方が旨かった。
* * *
昼を過ぎて、また歩いた。
街道沿いの草原に、ときどき魔物の気配があった。ホーンラビットが数頭。遠くにもっと大きい影もあった。
「あれは何だ」
「グラスボアだ。草原に生息する猪系の魔物。Eランク相当」とライルが答えた。「近づかない方がいい。群れで動く」
「食えるか」
「……食えるとは思うが」
「夕飯にしたい」
「正気か」
「Eランクなら倒せる」
「一頭だけならな。群れに突っ込む気か」
俺は群れの動きを見た。五頭いる。端の一頭が少し離れていた。
「あの一頭だけ取る」
ライルが溜め息をついた。「……わかった。援護する。無茶はするな」
「する気はない」
棒を持って草原に入った。
風向きを確認した。向こうはまだこちらに気づいていない。端の一頭との距離を測った。群れから離れる方向に誘導できれば、単独で相手できる。
石を一つ拾って、群れの反対側に投げた。
音がした。群れが反応した。端の一頭が首をこちらに向けた。
目が合った。
突進が来た。速い。体重がある。地面の振動が足に伝わった。
横にずれた。棒の先端を脇腹に叩き込んだ。手応えがあった。一発では止まらなかった。振り返ってくる。もう一発、頭に入れた。落ちた。
群れの方を確認した。ライルが牽制の魔法を出して、残りを遠ざけていた。四頭が散っていった。
「……仕留めたのか」ライルが近づいてきた。「速いな」
「遅いと喰われる」
「そういう問題じゃ……いや、そうか」
解体に入った。グラスボアは大きい。ホーンラビットの三倍はある。脂の厚みが違う。背肉を見た。きめが細かい。草原育ちの猪はこうなる。
「全部持てるか」とライルが聞いた。
「持てる分だけ持つ。背肉と内臓の一部。残りは置いていく」
「もったいなくないか」
「持てない分は仕方ない」
「……合理的だな」
「そうだろ」
塩を使って簡単に処理した。保存できる分はしておく。夕飯の分は別に取り分けた。
* * *
夕方、街道沿いに風を遮れる小さな丘を見つけた。
「ここで野営にする」
「異論なし」
火を起こした。グラスボアの背肉を厚めに切った。塩を振って、串ではなく直接火にかざす形で焼いた。脂が多いから、串より安定する。
脂が落ちた。炎が上がった。
匂いが違う。ホーンラビットより重い。甘さの中に獣の香りが混ざっている。それがいい。草原の風と火の匂いが一緒になった。
「……さっきより匂いが強いな」
「脂が多いからだ」
「腹が鳴った」
「もう少し待て」
表面が色づいてきた。脂が透き通った。指で押した。中まで火が通っている。
「食え」
ライルが受け取った。一口食った。
また声が出なかった。
今度は少し長かった。
俺も食った。噛んだ瞬間に脂が出た。肉の繊維がほぐれた。塩が引き立てた。後味に草原の香りが残った。
旨かった。
「……ホーンラビットと全然違う」
「育ちが違う。食うものが違えば肉が変わる」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ライルが二切れ目に手を伸ばした。
しばらく二人で黙って食った。火が揺れた。草原の風が通り過ぎた。星が出てきた。
「ドラスまであと三日か」
「宿場町で一泊する。実質二日と少しだ」
「早いな」
「歩けば着く」
「……ドラスで何を食うつもりだ」
「まだわからない」俺は火を見た。「行かないとわからない」
「それでも行くのか」
「それだから行く」
ライルが少し笑った。声を出さない笑い方だった。
「わかった。楽しみにしておく」
火が落ち着いてきた。
明日も歩く。その先に旨いものがある。それだけで、今は十分だった。




