第13話「塩を探す男」
市場の奥に、肉屋があった。
軒先に塊肉がぶら下がっている。豚に似た動物と、鶏に似た動物と、もう一種類、見たことのない四足獣の肉だ。レコードが形状と匂いを記録していく。
「あの肉は何だ」
ライルに聞いた。
「ホーンラビットだ。草原に生息する魔物で、食用として流通している。淡白な味で、どんな調理にも合う」
「一塊くれ」
肉屋の主人に声をかけた。銅貨数枚で、拳二つ分くらいの塊肉が手に入った。
隣の野菜屋で、根菜を数種類買った。玉ねぎに似たもの、にんじんに似たもの、白くて丸いもの。名前を一つずつ確認しながら買った。レコードが全部覚えていく。
「お前、料理人になるつもりか」
ライルが後ろからついてきながら言った。
「違う」
「どう見ても食材の仕入れをしてる」
「旨いものを食いたいだけだ」
「それを突き詰めると料理人になるんじゃないか」
返事をしなかった。干し魚の店が目に入ったので、そちらへ向かった。
* * *
宿に戻ったのは昼過ぎだった。
荷物を部屋に置いて、宿の主人に厨房を借りられるか聞いた。食材持ち込みで夕食を自炊したい、と説明すると、銅貨二枚で貸してもらえることになった。
厨房は広くはないが、鍋と包丁と火があれば十分だ。
まず肉を切った。
ホーンラビットの塊肉を、適度な大きさに分ける。包丁の感触をレコードが記録していく。肉の繊維の走り方、脂の入り方、切ったときの弾力。森で解体してきた魔物とは違う。こちらの方が扱いやすい。
根菜を切った。玉ねぎに似たものを薄切りにして、油で炒める。甘い匂いが立ち上がってきた。
「……いい匂いだな」
厨房の入り口にライルが立っていた。いつの間に来たのか。
「入っていいぞ」
「邪魔じゃないか」
「黙ってれば邪魔じゃない」
ライルが入ってきて、壁際に立った。腕を組んで、鍋の中を遠くから眺めている。
炒めた野菜に水を加えて、肉を入れた。強火で沸かして、灰汁を取る。火を弱めて、蓋をした。
待つ時間に、香辛料の瓶を並べた。
塩。黒胡椒。赤い粉——店主に聞いたところ、唐辛子に似た香辛料だという。干した香草が三種類。
どれをどのタイミングで入れるか。レコードの中に、前世で見た料理動画の記憶がある。香草は早めに、胡椒は仕上げに。塩は……
塩は、最後だ。
「随分真剣な顔してるな」
「煩い」
「料理中は別人みたいだ」
返事をしなかった。香草を二種類、鍋に入れた。蓋をして、また待った。
* * *
三十分が経った。
蓋を開けると、濃い湯気が上がった。根菜が柔らかくなっている。肉に火が通って、スープが琥珀色に変わっている。香草の香りが厨房いっぱいに広がった。
木のスプーンでスープを一口すくった。
飲んだ。
旨い。だがまだ足りない。何かが足りない。
塩の小袋を開けた。
少量を指先でつまんで、鍋に入れた。混ぜて、もう一口飲む。
「……」
声が出なかった。
旨味の輪郭が、はっきりした。肉の旨味、野菜の甘み、香草の香り——全部がばらばらだったものが、塩一つで一つにまとまった。味の全体像が見えた気がした。
もう少し足した。また飲んだ。
完璧だった。
「どうした」
ライルが近づいてきた。
「飲んでみろ」
スプーンを差し出した。ライルが受け取って、スープを一口飲んだ。
動きが止まった。昨日と同じだ。
「……昨日より旨い」
「塩を入れた」
「それだけでこんなに変わるのか」
「塩は偉大だ」
ライルがもう一口飲もうとしたので、スプーンを取り返した。
「夕飯まで待て」
「ちょっとくらいいいだろ」
「駄目だ」
ライルが不満そうな顔をした。が、引き下がった。
黒胡椒を仕上げに少量挽いて入れた。香りが立った。これで完成だ。
* * *
夕飯は宿の食堂を借りて食べた。
ライルと二人、向かい合って座る。鍋から椀によそって、パンを添えた。
一口食べた。
旨い。昼に味見したときより、少し寝かせた分だけ味が馴染んでいる。肉が柔らかくほぐれて、スープをたっぷり吸っている。
向かいでライルが無言で食べている。途中から椀を両手で持って、スープを直接飲み始めた。
「旨いか」
聞いたら、ライルが顔を上げた。
「旨い。普通に旨い。なんでお前が作るとこうなるんだ」
「素材と調理法だ」
「それだけか」
「それだけだ」
ライルがまたスープを飲んだ。
「お前、強いし飯も旨いし、何なんだ」
「普通の人間だ」
「どこが普通なんだ」
返事をしなかった。パンをスープに浸して食べた。パンがスープを吸って、柔らかくなる。これも旨い。
食べながら、ぼんやりと考えた。
塩一つでここまで変わる。だとすれば、醤油があれば。味噌があれば。出汁の素があれば。前世で当たり前に使っていた調味料が、この世界にどれだけあるのか。
まだ探していないものが、この街にもあるかもしれない。
「明日も市場に行く」
「また食材か」
「まだ見ていない店がある」
ライルが溜め息をついた。が、否定はしなかった。
「……わかった。案内してやる」
椀が空になった。おかわりをよそった。
今夜も腹がはち切れそうだった。




